出羽三山神社のご開祖であらせられる蜂子皇子様という方は、祟峻天皇の第一皇子で、父帝が蘇我馬子に殺された後、出家して日本海へ逃げ、羽黒山中の阿久谷(あこや)というところにこもって修行された方である。
難行苦行の中で、羽黒山大神、月山大神 湯殿山大神の霊徳を感受し、それぞれの大神を祀ったのが推古元年のこととされる。そして羽黒修験道を創立し、人々の苦しみを取り除く「能除仙」と呼ばれたり、亡くなられた後は朝廷より「照見大菩薩」の諡号を賜ったりしている。明治以前は神仏習合だったから、神を祀る神社であるが、ご開祖は菩薩だったんだね。☆ ☆ ☆
神子修行に参加した14年前、里中満智子さんの某漫画にハマッていた私は、「皇子」という語を見ると左のイラストのようなイメージを思い浮かべてしまうほど毒されていたのだが、実際に出羽三山神社に残されている蜂子皇子様のご尊影は、冒頭のように醜く・・・などと言っては失礼だが、天狗のように凄みのあるお顔であった。空想と現実のギャップにかなりのショックを感じた私は、そこまでに阿久谷での修行とは、すさまじいものであったのか・・・と非常に感じ入ったのであった。
※それにひきかえ、私のやった修行なんて、何と楽なことか・・・。
この蜂子皇子様を教祖と讃える歌「教祖讃歌」というのもある。
これもこんな楽譜はないので、勤行の際などに歌うこの歌の節回しを覚えておいて、あとで、無理やり楽譜に落としておいたものである。楽譜というものは便利だなぁ。14年前のたった5日間の経験が、この楽譜をみるとほんの数年前であるかのようにまざまざと思い出せるのだ。
※繰り返し記号に囲まれた部分を、何回も繰り返しながら歌詞を変えて歌っていくので、実は非常に長い歌である。
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難行苦行の中で、羽黒山大神、月山大神 湯殿山大神の霊徳を感受し、それぞれの大神を祀ったのが推古元年のこととされる。そして羽黒修験道を創立し、人々の苦しみを取り除く「能除仙」と呼ばれたり、亡くなられた後は朝廷より「照見大菩薩」の諡号を賜ったりしている。明治以前は神仏習合だったから、神を祀る神社であるが、ご開祖は菩薩だったんだね。
神子修行に参加した14年前、里中満智子さんの某漫画にハマッていた私は、「皇子」という語を見ると左のイラストのようなイメージを思い浮かべてしまうほど毒されていたのだが、実際に出羽三山神社に残されている蜂子皇子様のご尊影は、冒頭のように醜く・・・などと言っては失礼だが、天狗のように凄みのあるお顔であった。空想と現実のギャップにかなりのショックを感じた私は、そこまでに阿久谷での修行とは、すさまじいものであったのか・・・と非常に感じ入ったのであった。
※それにひきかえ、私のやった修行なんて、何と楽なことか・・・。
この蜂子皇子様を教祖と讃える歌「教祖讃歌」というのもある。
これもこんな楽譜はないので、勤行の際などに歌うこの歌の節回しを覚えておいて、あとで、無理やり楽譜に落としておいたものである。楽譜というものは便利だなぁ。14年前のたった5日間の経験が、この楽譜をみるとほんの数年前であるかのようにまざまざと思い出せるのだ。
※繰り返し記号に囲まれた部分を、何回も繰り返しながら歌詞を変えて歌っていくので、実は非常に長い歌である。
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まだ張ってない物も多くて、さっき数えたらもう御朱印帳の残りが無い事がわかりました。
次はどこになるかな~。
開山1400年は良いですね。慎ましいー。
私が持っている御朱印は見開き一杯にばーんっ。。
そりゃーびっくりーですよ。
隣のお寺のご朱印が写ってしまって、汚くなってしまったのだけど、ちゃんとご開山1400年の年でしょう?
ともブーさんの持ってるご朱印とは形が違うみたいですね。
※伊勢の五十鈴川での禊なんて、なんてまぁロマンチックぅ~♪
(まるくてものすごく大きい御朱印)
ともブーは出羽三山の御朱印から始め、現在その御朱印帳を使ってまーす。
ちなみに水行は別のところでやったことがあるのですが、格好は白い襦袢みたいのだけだった(ズボンなし)
歌詞は
五十鈴川 清き流れの末酌みて
心を洗え 秋津島人
伊勢神宮(内宮)の横を流れる五十鈴川に浸りましたん。