2月12日に行ってきた、天橋立のすぐ上にある札所、成相寺(なりあいじ)。私の中では、雪のうず高く積もったお寺として、記憶されるのだろうな。
京都から直通の特急はしだて1号に揺られ、いい気分で寝ていたら、福知山を過ぎたあたりでふと目が覚め、地面が雪化粧しているのに唖然とした。
電車の中で、他の若い人達も、やばいやばいと騒ぎ出した。果たして天橋立駅についたら周りは雪だらけ。駅前のタクシーの運転手さん、「成相寺、多分行けると思うけれど、途中山道で路面が凍結していたら先に進めません。」と言われ、不安に思いながら乗車した。ここまで来て行けなかったら、すごい残念だもの。
この雪は3日ほど前に降ったもの。行った当日は綺麗に晴れてはいたものの、雪はあまり溶けていないようであった。
寺近くになるとこんな感じ。もっと急な坂も沢山あり、路面が凍結してたら本当に途中で断念しなければならない。
先に展望台に行こうとしたが、先に止まっていた車の人が「除雪しようと思ったんだけど、とても無理」とおっしゃっていたので断念。タクシーを成相寺の脇に止めていただき、境内へと進む。人一人通れる幅で除雪されている。
さて、本堂の前に来たらびっくり。掻いた雪が背丈以上に積み上げられているのであった。
この写真の方が分かりやすいかな。本当に大変な思いで除雪していただいたのだなぁと思う。天気の悪い日であっても、私のように遠くから来ている人間は日を選べないわけだし、いつお客さんが来てもいいように、お寺の人、近所の方々の心が行き届いているんだなぁと感じ入った。
さて念願のお参りを済ませる。成相寺とはちょっと不思議な名だが、これはこのお寺を開かれた真応上人の逸話に基づくものである。上人は修行中に餓死寸前の状態になり、命をつなぐ食を与えたまえと観音様に祈った所、堂外に鹿が倒れているのに気づいた。ついにその肉を食べた上人は、獣肉を食べる禁を破ったことを悩んだが、里人が上がってきて気づくと食べ残りの肉は桧を刻んだものであった。観音様を見ると肩先が削り取られている。鹿肉と思ったのは観音様の肩だったのである。元通りになるように祈ると、里人の目の前で観音様の傷が元通りに「成り合った」ということで、その観音様を「成相(なりあい)観音」と呼ぶようになったとのこと。なんかこの話、子供の頃に古典童話か何かで読んだ気がするのだが・・・。
この寺には「つかずの鐘」の悲話も伝わる。梵鐘を鋳造したが、音が出ないので、溶かして作り直していたら、ある母親が間違って赤ん坊をどろどろに溶けた銅の中に落としてしまい、鐘は出来上がって音は鳴るようになったが、赤ん坊の悲鳴が混じって聞こえるので、あまりの哀れさに鐘をつかないことにしたという話である。
境内には沢山お守りが売られていたが、この必勝守は、成相寺でしか買えないという。形も剣に竜が巻きついているおしゃれな形。鈴かついてないのも気に入った。鈴がついてると音楽活動の邪魔になるので、カバンとかに付けられないからね。
これが裏面「人生は勝負なり 成相寺」と書かれている。気に入ったので購入した。今回沢山お寺を回ったが、お守りを買ったのはここだけである。
京都から直通の特急はしだて1号に揺られ、いい気分で寝ていたら、福知山を過ぎたあたりでふと目が覚め、地面が雪化粧しているのに唖然とした。
電車の中で、他の若い人達も、やばいやばいと騒ぎ出した。果たして天橋立駅についたら周りは雪だらけ。駅前のタクシーの運転手さん、「成相寺、多分行けると思うけれど、途中山道で路面が凍結していたら先に進めません。」と言われ、不安に思いながら乗車した。ここまで来て行けなかったら、すごい残念だもの。
この雪は3日ほど前に降ったもの。行った当日は綺麗に晴れてはいたものの、雪はあまり溶けていないようであった。
寺近くになるとこんな感じ。もっと急な坂も沢山あり、路面が凍結してたら本当に途中で断念しなければならない。
先に展望台に行こうとしたが、先に止まっていた車の人が「除雪しようと思ったんだけど、とても無理」とおっしゃっていたので断念。タクシーを成相寺の脇に止めていただき、境内へと進む。人一人通れる幅で除雪されている。
さて、本堂の前に来たらびっくり。掻いた雪が背丈以上に積み上げられているのであった。
この写真の方が分かりやすいかな。本当に大変な思いで除雪していただいたのだなぁと思う。天気の悪い日であっても、私のように遠くから来ている人間は日を選べないわけだし、いつお客さんが来てもいいように、お寺の人、近所の方々の心が行き届いているんだなぁと感じ入った。
さて念願のお参りを済ませる。成相寺とはちょっと不思議な名だが、これはこのお寺を開かれた真応上人の逸話に基づくものである。上人は修行中に餓死寸前の状態になり、命をつなぐ食を与えたまえと観音様に祈った所、堂外に鹿が倒れているのに気づいた。ついにその肉を食べた上人は、獣肉を食べる禁を破ったことを悩んだが、里人が上がってきて気づくと食べ残りの肉は桧を刻んだものであった。観音様を見ると肩先が削り取られている。鹿肉と思ったのは観音様の肩だったのである。元通りになるように祈ると、里人の目の前で観音様の傷が元通りに「成り合った」ということで、その観音様を「成相(なりあい)観音」と呼ぶようになったとのこと。なんかこの話、子供の頃に古典童話か何かで読んだ気がするのだが・・・。
この寺には「つかずの鐘」の悲話も伝わる。梵鐘を鋳造したが、音が出ないので、溶かして作り直していたら、ある母親が間違って赤ん坊をどろどろに溶けた銅の中に落としてしまい、鐘は出来上がって音は鳴るようになったが、赤ん坊の悲鳴が混じって聞こえるので、あまりの哀れさに鐘をつかないことにしたという話である。
境内には沢山お守りが売られていたが、この必勝守は、成相寺でしか買えないという。形も剣に竜が巻きついているおしゃれな形。鈴かついてないのも気に入った。鈴がついてると音楽活動の邪魔になるので、カバンとかに付けられないからね。
これが裏面「人生は勝負なり 成相寺」と書かれている。気に入ったので購入した。今回沢山お寺を回ったが、お守りを買ったのはここだけである。