
トロイは私がトルコに行くに当たって最も期待していた遺跡なのだが、今にして思えば最も期待はずれに終わった場所の一つである。どんよりと曇った空の下、ボコボコに折れた柱が散乱し、いびつに造成された宅地のような今一つロマンの感じられない石垣の中を、もとの形をイメージできないイラ立ちを感じながら進んだことを思い出す。ものは言いようで「この遺跡を楽しむには相当の考古学的知識と想像力が必要である」なんてガイドブックに書かれてしまうと、歴史好きなら「面白くなかった」なんてことはおくびにも出せなくなってくる。幸いにも見た順番がトロイ→ペルガモン→エフェソスの順だったからよかったものの、逆だったら全く楽しめなかったであろうことは想像にかたくない。
トロイ遺跡が難しい遺跡なのは、9つもの遺跡が重なっているからである。子供の頃読んだ、シュリーマンの伝記「夢を掘りあてた人」にも、トロヤ戦争の時代に憧れていたのに、トロヤ戦争より前の時代の層まで掘り進んでしまい、失望したようなことが書かれていたのを思い出す。(トロヤ戦争時代の遺跡は、実際には、第7層にあたる。)
ただでさえ複雑なこの遺跡をシュリーマンが宝探しのような発掘をしてしまったために、さらに分かりにくくなった、とか、シュリーマンがドイツに持ち帰った出土品は戦災に遭って焼けてしまった、とか聞くと、夢を掘り当てた偉人も功罪相半ばする、といったところか。だが1870年という発掘の方法論も確立していない時代に夢を信じて、誰もが馬鹿にしたことをやってのけたことは、やはり賞賛すべきだろう。現地では「シュリーマンが掘った穴」というのも一つの観光スポットになっている。
上のイラストは、遺跡の横に復元されたトロイの木馬。形も大きさも伝説に忠実に復元したと主張されているが、どこをどう見ると敵からの贈り物に見えるのか? 中に人が隠れていると思わない方が不思議だ。(ちなみに木馬の内部には階段がついていて、詰め込めば確かに伝説どおり50人くらいは入れそうな広さはある。私も入ってみたが、強風でかなり揺れるのでちょっと怖かった。)
カッサンドラにフラれたアポロンが「お前は未来を予見する力を持つが、誰にも信じてもらえない」という呪いをかけたという伝説が妙に真実味を持って感じられる。どう見ても怪しい木馬を目の前にして、「中を確認した方がよい」というカッサンドラの警告を誰も聞かないなんて、本当に呪いがかかっていたとしか思えないからだ。(2年くらい前に公開されたブラッド=ピット主演の映画「トロイ」に出てきた木馬は、これより全然リアルで立派だった。コレが出てきたらどうしようと心配していたのだが。)
周囲はオリーブの木や綿花畑の広がるど田舎で、忽然とこの木馬が出現する阿呆らしさは、今は微笑ましい思い出として、私の中で熟成されている。この絵を見ると、子供時代によく遊んだ近所の「きのこ公園」や「かば公園」のような懐かしさを感じる。
トロイ遺跡が難しい遺跡なのは、9つもの遺跡が重なっているからである。子供の頃読んだ、シュリーマンの伝記「夢を掘りあてた人」にも、トロヤ戦争の時代に憧れていたのに、トロヤ戦争より前の時代の層まで掘り進んでしまい、失望したようなことが書かれていたのを思い出す。(トロヤ戦争時代の遺跡は、実際には、第7層にあたる。)
ただでさえ複雑なこの遺跡をシュリーマンが宝探しのような発掘をしてしまったために、さらに分かりにくくなった、とか、シュリーマンがドイツに持ち帰った出土品は戦災に遭って焼けてしまった、とか聞くと、夢を掘り当てた偉人も功罪相半ばする、といったところか。だが1870年という発掘の方法論も確立していない時代に夢を信じて、誰もが馬鹿にしたことをやってのけたことは、やはり賞賛すべきだろう。現地では「シュリーマンが掘った穴」というのも一つの観光スポットになっている。
上のイラストは、遺跡の横に復元されたトロイの木馬。形も大きさも伝説に忠実に復元したと主張されているが、どこをどう見ると敵からの贈り物に見えるのか? 中に人が隠れていると思わない方が不思議だ。(ちなみに木馬の内部には階段がついていて、詰め込めば確かに伝説どおり50人くらいは入れそうな広さはある。私も入ってみたが、強風でかなり揺れるのでちょっと怖かった。)
カッサンドラにフラれたアポロンが「お前は未来を予見する力を持つが、誰にも信じてもらえない」という呪いをかけたという伝説が妙に真実味を持って感じられる。どう見ても怪しい木馬を目の前にして、「中を確認した方がよい」というカッサンドラの警告を誰も聞かないなんて、本当に呪いがかかっていたとしか思えないからだ。(2年くらい前に公開されたブラッド=ピット主演の映画「トロイ」に出てきた木馬は、これより全然リアルで立派だった。コレが出てきたらどうしようと心配していたのだが。)
周囲はオリーブの木や綿花畑の広がるど田舎で、忽然とこの木馬が出現する阿呆らしさは、今は微笑ましい思い出として、私の中で熟成されている。この絵を見ると、子供時代によく遊んだ近所の「きのこ公園」や「かば公園」のような懐かしさを感じる。