さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

【100分de名著】三島由紀夫/「金閣寺」

2021-05-11 23:38:27 | 読書録

去年、原作を読んだ。

コンプレックスの塊である主人公・溝口の気持ちに寄り添おうとすると、気が変になってしまいそうで、ひたすら気持ち悪かった。

もし溝口が純粋な鶴川とだけつるんでいたら、あそこまで曲がることはなかっただろうに、途中から出てきた柏木という男性が受け入れられず・・・。源氏物語に出て来る柏木や、私の知っている上品な柏木さんのイメージを思いっきり捻じ曲げて来る金閣寺に出て来る柏木の様子に耐えられなかった。主人公に女遊びなんて教えるなよ・・と。

だが、100分de名著のテキストを読んで、むしろ柏木が正しかったのだと分かった。

行動するのではなく、認識を変えるんだ・・と柏木は言っていたが、私は原作を読んでいた時、何のことだかよく分からなかった。

だが100分de名著のテキストや番組を見て、この金閣寺の主人公には、三島自身が投影されているということが分かり、それなら・・と思い当たった。三島は戦後社会にうまく適応できなかったのだ。徴兵はされたが、入隊検査で肺病と誤診されて帰郷させられてしまった。同じ部隊の兵士たちはフィリピンに派遣され、ほぼ全滅したのにも関わらず、中途半端に生き残った自分。また文壇でも戦中に頭角を現した三島は、戦後の価値観の変化の中で、自分はすでに時代遅れになったことを悟り、もがき苦しんだ。その末に生まれてきた作品が金閣寺なのだ。

その三島のもがきは溝口に投影されている。障がいがあっても、この世の楽しみを謳歌する柏木は、いわば戦後の価値観の変化を、みずからの認識を変えることで、うまく渡っていくことが出来た人を表しているのだろう。

だが溝口は、自分の前にいろんな意味で立ちはだかるものを、認識を変えることでやりすごすことが出来ず、燃やしてしまうという行動に出たのであった。

そういう意味では、三島は戦後を乗り切る答えを知っていたかのように見える。だが皆が知っている通り、三島は戦後社会とうまく折り合いをつけたとは思えない最期を遂げた。

「認識を変える」とは響かない言葉である。その言葉を使っている限り、乗り越えられないのではないか?

今ならば「こだわりを捨てろ」とか「多面的に見ろ」とかの方が響くのではないか?

柏木という人物が、あまり美しく書かれていないところを見ると、やはり三島は、価値観が180度変わった時代をうまく生きていく人間というモノに対するネガティブなイメージを持ち続けていたのではないか・・などと考えてみた。

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