この回はなかなか面白かった。太宗は3年に1回、大朝会なるものを催し、朝貢国を長安に呼び寄せ、いろんな競い合いをさせるのだ。
オリンピックみたいな感じだが、最終的には唐は負けてはならず、唐の威光を示すものでなければならなかった。大朝会の一部の瑠璃宴というものでは、琵琶や、宝物、碁などの競い合いがある。面白かったのは碁の名人を連れてきた東瀛(とうえい)という国の話。なんか垢抜けない人達だなぁと思ったら、太宗が「舒明天皇によろしく」などと言っているではないか。何と、東瀛(とうえい)とは日本のことだったのだ。ウィキペディアを見ると、「東瀛(とうえい)とは、古代中国において、仙人の住むという東方の三神山(蓬莱・方丈)の一つを意味し、転じて日本を指す雅称。」と書かれている。倭とか東夷とか言われるならわかるが、まさか雅称で呼ばれるとは。彼らは遣唐使の一行ということなので調べてみたら、犬上御田鍬を大使とする第一回遣唐使は舒明2年(630年)に送られているのだ。舒明天皇は言わずと知れた中大兄皇子の父君。舒明は諡(おくりな)だから、存命中の方に呼びかける名としては不適当だが、舒明2年に派遣された遣唐使が翌631年に皇帝太宗と謁見したのは事実のようである。
さらに興味深いことに、第8回の遣唐使は703年に武則天と謁見していて、その際国名が唐から周に変わってたんで日本側は混乱したらしいが、・・日本としてもここで初めて日本の国号を使ったというが、武則天側は日本を歓待してくれたらしい。
という、のちの時代のことは置いておいて、あくまでも太宗の時代は日本は倭だと記録されているのだが、ドラマでは東瀛(とうえい)になっている。その東瀛が連れてきた碁の名人の名前が物部大守で実際に日本人が演じている。で、その日本人は碁の試合で負けたら切腹すると言い張るので、中国人が日本人をどう思っているかが分かる。碁は唐では男女問わず親しんでおり、今のように黒白の玉ではなく、青は赤など、ガラスなのかなぁ~とてもきれいな玉を碁盤に置いている。物部大守(たぶん架空の人だと思うが)を碁で迎え打ったのがが武才人の友人の徐慧が相手をしていたが、彼女が扇に仕込まれた毒に当たって倒れてしまったことから、武才人が試合を引き継ぎ、徐慧の考えた手を完璧に覚えていた彼女は、最後の1手を勝てる位置に置く素振りをし、勝てるんだぞということをアピールしながら、敢えて引き分けの位置に玉を置く。最終的に物部大守は切腹はせず、唐の度量の大きさに感服して帰る。太宗は武才人に「なぜ勝たなかったんだ」と怒るが、「おかげで人心を得ましたよ」と武才人は言う。非常にカッコ悪い形で敗れた西域の国と天竺に比べ、日本は随分リスペクトされたような扱いになっていた。
で、徐慧が持っていた扇は、もともと韋貴妃が楊淑妃に上げ、さらに楊淑妃が武才人に与えたものである。武才人に影響が及ぶように、楊淑妃につかえる楊青玄が毒を仕込んでいたが、武才人がそれを知らずに徐慧に扇を渡したため、楊淑妃側は当てが外れた形になった。楊淑妃・・美しく優しく善良な人かと思ったら、この人もなんかありそうだ。何故ずっと守ってきた武才人にそんなことをするんだろう。楊淑妃は隋の煬帝の娘ということになっており、李世民は煬帝のいとこだから、そういう婚姻もありうるのであるが、なんか複雑な事情がありそう・・・。
オリンピックみたいな感じだが、最終的には唐は負けてはならず、唐の威光を示すものでなければならなかった。大朝会の一部の瑠璃宴というものでは、琵琶や、宝物、碁などの競い合いがある。面白かったのは碁の名人を連れてきた東瀛(とうえい)という国の話。なんか垢抜けない人達だなぁと思ったら、太宗が「舒明天皇によろしく」などと言っているではないか。何と、東瀛(とうえい)とは日本のことだったのだ。ウィキペディアを見ると、「東瀛(とうえい)とは、古代中国において、仙人の住むという東方の三神山(蓬莱・方丈)の一つを意味し、転じて日本を指す雅称。」と書かれている。倭とか東夷とか言われるならわかるが、まさか雅称で呼ばれるとは。彼らは遣唐使の一行ということなので調べてみたら、犬上御田鍬を大使とする第一回遣唐使は舒明2年(630年)に送られているのだ。舒明天皇は言わずと知れた中大兄皇子の父君。舒明は諡(おくりな)だから、存命中の方に呼びかける名としては不適当だが、舒明2年に派遣された遣唐使が翌631年に皇帝太宗と謁見したのは事実のようである。
さらに興味深いことに、第8回の遣唐使は703年に武則天と謁見していて、その際国名が唐から周に変わってたんで日本側は混乱したらしいが、・・日本としてもここで初めて日本の国号を使ったというが、武則天側は日本を歓待してくれたらしい。
という、のちの時代のことは置いておいて、あくまでも太宗の時代は日本は倭だと記録されているのだが、ドラマでは東瀛(とうえい)になっている。その東瀛が連れてきた碁の名人の名前が物部大守で実際に日本人が演じている。で、その日本人は碁の試合で負けたら切腹すると言い張るので、中国人が日本人をどう思っているかが分かる。碁は唐では男女問わず親しんでおり、今のように黒白の玉ではなく、青は赤など、ガラスなのかなぁ~とてもきれいな玉を碁盤に置いている。物部大守(たぶん架空の人だと思うが)を碁で迎え打ったのがが武才人の友人の徐慧が相手をしていたが、彼女が扇に仕込まれた毒に当たって倒れてしまったことから、武才人が試合を引き継ぎ、徐慧の考えた手を完璧に覚えていた彼女は、最後の1手を勝てる位置に置く素振りをし、勝てるんだぞということをアピールしながら、敢えて引き分けの位置に玉を置く。最終的に物部大守は切腹はせず、唐の度量の大きさに感服して帰る。太宗は武才人に「なぜ勝たなかったんだ」と怒るが、「おかげで人心を得ましたよ」と武才人は言う。非常にカッコ悪い形で敗れた西域の国と天竺に比べ、日本は随分リスペクトされたような扱いになっていた。
で、徐慧が持っていた扇は、もともと韋貴妃が楊淑妃に上げ、さらに楊淑妃が武才人に与えたものである。武才人に影響が及ぶように、楊淑妃につかえる楊青玄が毒を仕込んでいたが、武才人がそれを知らずに徐慧に扇を渡したため、楊淑妃側は当てが外れた形になった。楊淑妃・・美しく優しく善良な人かと思ったら、この人もなんかありそうだ。何故ずっと守ってきた武才人にそんなことをするんだろう。楊淑妃は隋の煬帝の娘ということになっており、李世民は煬帝のいとこだから、そういう婚姻もありうるのであるが、なんか複雑な事情がありそう・・・。