死とは神の領域であると私は思っている。だが、そうは考えない人もいるらしい。オランダでは、2002年、安楽死法が施行されて以来、多くの人が安楽死を迎えている。2012年には4200人にも上るのだそうだ。言うまでもなく、安楽死を認めるのは、個人の意思を尊重するとともに、そこには、それなりの理由が必要とされるはずである。しかし、現実には、植物人間になったとか、認知症、さらには死に直面している新生児など、個人の意思が確認できないままに、安楽死が施されるケースも絶えないそうである。確かに、家族として、苦しむ姿を見ていることができずに、処置を願う場合も少なくないようである。だが、一方で、本人の意志さえ確認できれば、安楽死させてよいのかという根本的な問題が残る。末期がんで、医師からはもって2~3か月の命だと宣告され、しかも、苦しみ痛む日々を過ごす患者であっても、私は神に召される前に、人間が人の命を絶つことには反対である。さらに言えば、この個人の自由が拡大解釈されて、もう生きていく生きがいを失った。生活資金も底をついたという老人が安楽死を求めてくることさえ考えられる。死の時期が分からぬことは不安を呼ぶが、その不安こそが、生きる糧にもつながることになることを知ってほしい。
Y-FP Office Japan
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