goo blog サービス終了のお知らせ 

Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

バルトーク 管弦楽のための協奏曲、弦チェレ他/ライナー&CSO (SACD)

2005年03月27日 19時11分48秒 | クラシック(20世紀~)
 このところ、RCAが50年代後半~60年代前半くらいにLIVING STEREOと銘打って発表してきたアルバムから、往年の優秀録音ものがハイブリッドSACDとして次々に発売されていますが、これもその一枚。ライナー&シカゴ響のオケ・コン&弦チェレといえば、もう半世紀近く不動の評価を受け続けている名演奏ですが、これがSACD化されたとなれば、さすがに聴かずにはいられません。本日、近くのショップに奇跡的に並んでいるを発見したので、すかさず購入してまいりまして、さっそく楽しんでいるところです。

 私はバルトークといったら、弦チェレとピアコンとか聴かない芸のない人なので、とりあえずオケコンの方はスキップして、弦チェレの方を聴いてます。これまで愛聴してきたCD(15年前くらいのもの)に比べると、まずその鮮明な音質に驚きます。イメージとしてはヴェール一枚くらい違うという感じでしょうか。弦チェレという曲は、2群に分かれた弦楽器が複雑に絡み合う部分が随所にあって、ひとつ聴きどころになっていると思いますが、とにかくその様がこれまで以上によく分かりますし、打楽器群の粒立ちもクリアで、近年のクリアなデジタル録音にそれほど遜色ないとすら思えます。

 ただ、これはSACDというメディアだからこうなったというより、むしろ積極的なリマスタリングの成果という感じがしないでもないです。何故かといえば、このディスクのCD層を聴いてみても、SACD同様、15年前のCDより明らかに鮮明な音がするからで、ひよっとすると音声編集ソフトである部分を持ち上げたり、ひっこめたりしているのかもしれません。なんとなく、デジカメの写真に強めのシャープネスかけたみたいな不自然さを感じたりしにいでもないですから....まぁ、当方がボヤけた旧盤を音を聴き過ぎて、そっちがリファレンスになってしまっているということも否定できませんが-(笑)。
 一方、鮮明さと引き替えに後退したのが、低音域かもしれません。15年前の旧盤は鮮明さではSACDにかないませんが、ふっくらとしてちょっと粘着質なのは、いかにもアナログ・ライクな音で、それはそれで気持ち良いと思います。一方、SACDは前述のとおりシャープなキレは良いとしても、やや細身で潤いのない音なのが気にならないでもないです。ティンパニを例にとってみると、打楽器っぽいアタック感ではSACDに分がありますが、アタックの後にくるドスンという量感のようなものは旧盤CDの方が雰囲気出ているような感じですか。

 つまり一長一短ということで、どちらをとるかは好みの問題でしょう。なんかこういうことをちまちま考えていくと、他の年代のCDはどうか、XRCD盤だとどうなるのか....とかドツボにハマりそうで怖いのです(笑)。


 PS:フィルアップされた「ハンガリー・スケッチ」という曲は初めて聴きました。バルトークにしては、とても親しみやすい作品でけっこう拾い物な曲でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本作曲家選輯/橋本國彦

2005年03月14日 18時41分26秒 | クラシック(20世紀~)
 もはやクラシックの廉価盤レーベルというには、あまりにメジャー化し、かつ巨大化したナクソスですが、同レーベルで個人的に最も注目しているのが、「日本作曲家選輯」という、戦前から現代に至る日本の作曲家の作品にスポットライトを当てたシリーズです。先日、とりあげた伊福部先生のアルバムもその一枚ですが、日本のレコード会社の邦人作曲家への冷遇ぶりを尻目に、この香港のレーベルは将来的に数十枚のオーダーでこのシリーズを出す計画なのだそうで、資料的な価値はもちろんのこと、一種の文化事業としても素晴らしい企画だと思います。

 今回聴いたのは、橋本國彦の作品集(沼尻竜典指揮/東京都交響楽団)です。この人は戦前の楽壇をリードした存在らしいのですが、なんでも第二次大戦中の国策に音楽でもって協力したということで、その音楽は近年まではほとんど封印状態だったらしく、このアルバムに収録された2曲、交響組曲「天女と漁夫」と交響曲第1番は、いずれも世界初録音となっています。
 この2曲から感じられる彼の作風は、ミもフタもない表現をしてしまえば、「平安朝な旋律をロマン派の形式と管弦楽で表現した」ってところですかね(怒られそうだな-笑)。当時の日本の状況からすると、もう少し西洋コンプレックス丸出しの泥臭い音楽を展開しているのではないかとも予想しておったのですが、なかなかどうして、非常に洗練された音楽になっていて、西洋音楽の巧みな換骨奪胎ぶりは、加工文化ニッポンの面目躍如といったところでしょうか。

 交響曲第1番は、全3楽章、46分に渡る堂々たる作品で、第1楽章はマーラーやツェムリンスキー、そしてワーグナーあたりを思わせる瀟洒なオーケスレーションでもって、淡麗な日本な旋律を見事にうたいあげ、第2楽章は、両端に沖縄の旋律、真ん中にスケルツォを挟んだ複合的楽章(通常の2楽章と3楽章を統合化)で、両端におかれた沖縄風のパートはちょっとポロディンの「中央アジアの草原にて」風、中間部の日本的な祭りの音楽とスケルツォの融合といった感じで前楽章が「ドイツロマン派の鋳型に流し込んだ日本の情緒」だったとすると、この楽章はロシア音楽の鋳型に流し込んだそれという感じ。ハイライトである第3楽章は、伊沢修二の「紀元節」を主題とした変奏曲で、ブラームスの「ハイドン変奏曲」やエルガーの「エニグマ演奏曲」あたりを彷彿とさせる堂々たる仕上がり、終盤のフーガで「紀元節」のテーマがほぼ原型どおりに再現するあたりの盛り上がりなど感動的です。

 一方、交響組曲「天女と漁夫」については、ロシア~スラブ音楽+印象派的なムードに、日本的情緒を溶け込ませたような作品で、基本的には前述の交響曲と同じようなコンセプトで作られているようです。ただし、もとがバレエ音楽というだけあって、素材の取り扱いは自由ですし、ドメスティックな土俗的ダイナミズムが強調されるところもあったりして、趣としてはかなり奔放な作品という感じがしました。

 そんな訳で、この2曲は一聴して気に入り、以降お気に入りになりました。ライナーを読むと橋本國彦はこの2曲の他にも興味深い作品がいろいろあるようなので、これを機会に是非他の作品も聴いてみたいところです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本作曲家選輯/伊福部昭

2005年02月24日 23時30分00秒 | クラシック(20世紀~)
 NAXOSから出ている「日本作曲家選輯」シリーズから伊福部先生の作品を集めた待望の一枚。

 収録作品は、「シンフォニア・タプカーラ(1954、1979改訂)」と「ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ」「SF交響ファンタジー第1番」と、ざっくりいえば、先生の代表的な交響曲、協奏曲、ゴジラに代表されるサントラという作品が網羅されているから、伊福部入門には最適だとは思うんですけど、ちょっと演奏がなぁ。

 ロシアの演奏陣ということで、先生の音楽的体質からすると、そうハズれた解釈にもならないだろう....と予想してたんだけど、実際聴いてみたら、違和感ありまくり(笑)。ここは存分に歌って欲しいと思うところはさらっと流され、重厚にリズムを刻んで欲しいところは、弦が動きが重い上に、妙なところでテンポを動かすものだから、時にリスムスキー・コルサコフだのボロディンなんかを聴いているような気になってしまい、聴いていて居心地の悪いことしきり。

 ただ、演奏そのものはうまいんですね。だからこそ、こういう演奏を聴くと、「やっぱ日本人には日本人にしかわからねぇ、音楽観みたいなものがあるんだろなぁ」と妙に感心しちゃいました。だって、昔の日本のあまり上手いとも思えないオケの演奏聴いて、「これが西洋の機動力抜群のオケだったら、どんなに聴き映えするだろう」と思ったりしたんだけど、それが半ば実現するとこうですもんね。きっと、ウィーンの人が、アメリカ人の演奏するウィンナ・ワルツとかシューベルトなんか聴くと、こんな違和感を感じるんだろうなと思う。

 そんな訳で、なにやら「国際空港のレストランで食う和食」みたいな違和感がある演奏ではあるんだけど、作品の国際化、古典化というのは、むしろこういう脱ローカル化作業みたいなところから始まっていくんだろうな....という気もしないでもないので、なんだか立派に育った我が子が、旅だっていくのを後ろから眺めている親のような、なんだか誇らしいような、哀しいような複雑な心境になる演奏でもあります。

 あっ、でも先生の作品は昔から海外で演奏されてんだよな。その時はどんな演奏だったんだろうか(笑)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする