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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

巴里のアメリカ人 (ヴィンセント・ミネリ監督作品)

2010年06月17日 23時16分21秒 | MOVIE
 先日、NHKでオンエアされたのを録画してあったものだが、一見してそのあまりの美しく鮮やかな画質は驚愕した。おそらくブルーレイ用にレストアされたソースを使って放送されたのだろうが、冒頭の微動だにしないクレジットの安定したノイズレスな画像でオヤっとしたと思ったら、その後に展開される巴里の風景のカラフルさには瞠目した。この作品はもともとの色彩設計も良さは映画史でも有名だが、それにしたって、本作は1951年の公開、日本で云ったら昭和26年、第一作「ゴジラ」の3年も前の作品になるのに、まるで昨日公開されたよう鮮度感があり、「一体、これはなんなのだ!」という感じである。

 MGMのミュージカルというと、私はV.ミネリの物量主義より、もっとフットワークが軽く都会調で作られたスタンリー・ドーネンの作品の方が好きだったから、本作も「派手で威勢はいいが退屈」というイメージがあったのだが、あまりに鮮やかな画面のレストア効果で、思わず最後まで観てしまったという感じだ。なにしろ、公開当時の映画館でこんな美麗な画面が再現されていたのだろうか?。と一瞬疑いたくなるようなカラフルで生き生きとした色彩感は圧巻だし(私がこれを観たのはかれこれ30年前とある名画座だったが、こんな目が覚めるようなものではなく、時代がかったくたびれ感があった)、ジーン・ケリーの顔の傷とか、セットの作り込みなどなど、実に細部までよくわかる精細感も驚異としかいいようがないものだった。

 現在、アメリカではこれと同様にHD用(ブレーレイ・ディスク用といってもいいかもしれない)に次々と歴史的名画をレストアしていて、その中ではやはりNHKでオンエアされたヒッチコックの「北北西に進路を取れ」などでもその鮮やかさなレストアには驚いたものだが、本作は間違いなくそれ以上の素晴らしい仕上がりである。先日、ブルーレイ用にレストアされた「海底軍艦」の映像を観てところ、全くDVDと変わらない画質にがっかりしたものだが、そんなところにも、映画というメディアに対する改日米の文化観そして、技術の差を思い知らされてしまったというところだろうか。
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新東宝名画傑作選 「女体桟橋」

2010年06月14日 23時40分07秒 | MOVIE
 昭和33年の制作で主演は宇津井健に、筑紫あけみ、そして常連の三原葉子(残念ながら万里昌代は出てこない)、当時人気歌手だったらしい旗輝夫、そして東宝特撮でお馴染みのハロルド・コンウェイといったところ(ベンチャーズのステージ司会をしていたビン・コンセプションもちらっと出てくる)。監督はこれがデビュー直後となる石井輝男という布陣。ちなみに宇津井と石井は、この作品の前にカルト的な人気のある特撮映画「スーパー・ジャイアンツ」シリーズのコンビでもあった。

 舞台は東京通信社があるポーカーストリートなる国際高級コールガール組織がはびこる銀座のとある場所という設定になっている(女体桟橋というのはそこから来ているようだが、例によって大した意味はない-笑)。田舎者の私はこれが銀座のどのあたりを想定しているのか、よくわからないが、通信社というのが近くにあるというから、電通あたりのことなのだろか?。ともあれ、このあたりをナレーターでは「東京租界」って形容していのが、なかなか笑えたりするこの時期はGHQ絡みでそんな雰囲気でもあったのかもしれないが…。

 このコールガール組織に、ここに偽装して潜入するエリート捜査官が宇津井、そしてその昔の宇津井の恋人でいまや組織の幹部になっているのが三原葉子という設定である。まぁ、しばらく前に観た「女体渦巻島」と似たり寄ったりな感じもするが、本作では後年の石井作品のような無国籍感や刹那的な雰囲気、暴力性はあまりなく、前半はけっこう律儀な潜入捜査ドラマになっている。調子が出てくるのは後半で、二転三転するストーリーや、快調なテンポ感は、いかにも石井輝男らしさが出ていると思う。きっと当時はかなりモダンなタッチだったのだろう。

 また、舞台が舞台なだけにキャバレー・シーンがふんだんに取り入れられ、セクシーなダンスだの、旗輝夫が歌うムーディーな歌などはいかにも30年代していて楽しい。また、途中出てくる昼の風景は東銀座あたりだと思うが、高度成長期のこのあたりは、まだまだ人も建築物も密度もスカスカで、今とは隔世の感がある。ついでに、この映画を撮った頃、おそらくカラヤンが単身して初来日したのだろう、途中に若き日のカラヤンのポスターが出てくるのはご愛敬だ。

 主演の宇津井健はなにしろ若い。ちょっと硬質で生真面目な感じはこの頃からで、ちょっとエリート捜査官には青臭い感じがなくもない。また、三原葉子は例のマダムっぽい感じが当方の好みでないため、観ていていいと思ったためしはないが、本作ではなかなかきれいだった。筑紫あけみは初めてみる人だが、はつらつ系の美人さんで新東宝というより、東宝的なキャラクターという感じであった。
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一番美しく、虎の尾を踏む男達 (黒澤明 監督作品)

2010年06月12日 19時51分56秒 | MOVIE
・ 「一番美しく」
 昭和19年の作品だから、当然戦時中の制作となり、仕上がりとしてはもろに戦意高揚風の作品だ。精密兵器のレンズ工場で勤労奉仕に女性達の生活をメインに据えた物語で、最初こそドキュメンタリー風に始まるが、その後は登場する女性陣のエピソードを集積するスタイルで徐々にドラマが進んでいく。
 つらいノルマを課した作業故に、工場から離脱する者、体が不調なる者も出て、やがて人間関係が険悪になり、主人公も精神的に追いつめられて行くが、悪戦苦闘の末、やがて再び団結心も甦り、生産性も向上していくというのがおおまかな物語だ。ハイライトは主人公が、大量のレンズを一晩がかりで検査確認するところ。ここでの演出も素晴らしく、妙な国威高揚色も建前至上主義的なところは後退して、主人公のがんばりぶりがストレートに感銘を与える。その後、主人公を迎える人たちの暖かさも映画的高揚感があったと思う。
 黒澤の演出は、「お国のために滅私奉公」的精神が横溢する序盤こそ、いささか鼻白むものの(笑)、全体は極めて克明かつ綿密だ。同時に黒澤らしい息苦しいほどの統率感も既に出ているともいえる。主演は黒澤明夫人となる矢口陽子で、庶民的なチャーミングさがあった。他に入江たか子(自分の世代だと、かろうして「化け猫女優」のイメージがあるが、もともとは華族だとか)、志村喬など。

・ 「虎の尾を踏む男達」
 戦時中の昭和20年に制作され、完成と同時に終戦となったせいで、GHQの検閲により数年間お蔵入りを余儀なくされた作品。歌舞伎の十八番「勧進帳」をもとに制作され、そこにミュージカルの趣なども取り入れたミュージカル風時代劇という非常にユニークな作品になっている。これまでの3作に比べれと、時代劇という舞台設定とお馴染みの題材というせいもあるが、人物配置といい、ドラマのメリハリといい、黒澤の良い意味でのエンターテイメント性(用心棒とか椿三十郎的なセンス)が横溢して、非常に楽しめる内容だ。
 出演は弁慶が大河内傳次郎、富樫左衛門が藤田進、そしてオリジナルには強力として登場するのが、エノケンこと榎本健一、他に森雅之、志村喬という布陣だが、重厚な大河内に対し、エノケンなトリックスター的コメディアンぶりが絶妙な対比となって進行。「七人の侍」ほどではないが、人物の個性も描き分けも巧みだし、クラシカルな合唱、ミューカル風なコーラス、歌舞伎風な邦楽が使い分けられて音楽も凝っていて、一時間ほどの物語だが非常に密度の高い作品になってた。というわけで、本作は個人的にも戦前の4作の中では一番楽しめた作品となった。
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姿三四郎、續姿三四郎 (黒澤明 監督作品)

2010年06月11日 22時07分55秒 | MOVIE
・ 「姿三四郎」
 ご存じ、昭和18年に黒澤の第一作。もちろん初めて観る作品なのだが、明治時代が舞台というせいもあって古色蒼然とした雰囲気がある。大河内に弟子入りするきっかけとなった場面で、藤田が脱ぎ捨てた下駄が、その後あちこちに放浪していく時間の経過でもって、主人公の柔道の腕の成長に表現しているところなど、当時にしてはかなり斬新な手法だったに違いないが、それも当時にしては…というレベルであり、やはり「大昔の映画」という雰囲気はぬぐえない。
 出演は大河内傳次郎、藤田進、轟夕起子等だが、なにしろ藤田進が若い。轟夕起子は先日「洲崎パラダイス赤信号」で疲れた酒屋のおかみをやっていたけれど、この時期はまだ若くて輝くような美しさで、さながら「お姫様」って感じ。ちなみに映像はHDでリマスターされているので、かなり観やすい画面だった。
 あと、有名な池のシーンは、映画のハイライトというより、序盤のターンニングポイント的エピソードとしてあっけなく現れるのは意外だった。また、藤田と轟がほのかなな恋愛感情を抱き合う神社のシーンのモンタージュはなかなかのものだった。

・ 「続姿三四郎」
 タイトル通り「姿三四郎」の続編となる。どうやら、この作品での黒澤は「やとわれ仕事」と割り切った演出だったようで、出演者は前作と共通だし、全体の雰囲気やパターンも正編を継承しているものの、正編の方のような創意工夫ある編集みたいなシーンがある訳でもなく、特にこれといって熱気のこもっていない、型どおりの続編という仕上りだ。
 というか、そもそも映画の出来、不出来を云々する以前に、このフィルムはコンディションはあまり劣悪過ぎた。雨降りノイズに画面の揺れが頻発する画質、そしてほとんど台詞が聴き取れないぼやけた音質と、正直申して、観ていているのがつらくなってしまうことしきり…という感じだった。
 あと、これは前作もそうだったのだが、随所に現れると柔道(格闘)のシーンについては、さすがにその後に開発された様々なダイナミックな手法の方に既に知っている身としては、この2本のそれは、緊張感の演出といい、スピード感といい、非常におとなしいものに感じてしまうのは、まぁ、いたしかたないというところか。
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惑星大戦争 (福田純 監督)

2010年06月10日 21時59分59秒 | MOVIE
 「スターウォーズ」の大ヒットにあやかって制作された1977年の東宝作品である。当時の東宝といえば、これより2年ほど前に公開された「メカゴジラの逆襲」が、シリーズ最低の興行収入で、後続作品の打ち切られたりした2年後だから、東宝特撮映画という側面で見ると、この時期はほとんどどん底だったと思われる。当時高校生になっていたとはいえ、子供の頃からあれほど東宝特撮映画に熱狂していた私ですら、この「惑星大戦争」については(ついでに「メカゴジラの逆襲」も)、その存在すら知らなかったことからも、当時の盛り下がりぶりが分かろうものである。「スターウォーズ」という突然のヒット作の上陸がなければ、おそら企画すらされなかった作品であろう。ともあれ、こうした時期に、東宝が伝統的な特撮スタイルで一本でも作品を残しておいたのは、今となっては貴重という他はない。

 内容的には冒険活劇的な「スターウォーズ」というよりは、「宇宙大戦争」を中心に「地球防衛軍」や「妖星ゴラス」などのテイストを散りばめ、ベータ号や鳳号のかわりに「海底軍艦」の轟天号が宇宙船にリニューアルされて登場するといった趣向だ。主演は森田健作で、共演が浅野ゆう子、沖雅也、宮内洋といった当時のテレビでお馴染みだった面々だから、あまり東宝特撮映画という雰囲気はしないものの、轟天号の設計した博士役で池辺良や平田昭彦が登場するシーンでは、得も言われぬほどに東宝特撮的な雰囲気になるのは、やはり「伝統」という他はない。ことに池辺良は「妖星ゴラス」で活躍した博士のその後といった風情の役回りであり、当時の池部といえばすでに東映の任侠路線での役柄の方が定番だったはずだが、ここでは昔を懐かしんでこの役をやっているようでもあり、オールドファンにはなかなか楽しい趣向であった。

 ただし、特撮映画としてはやはりどん底だったと云わざるを得ない。演出が福田純、特撮監督を中野昭慶(助手が川北)だから、練達を布陣で作られてはいるのだが、なにしろ急ごしらえの即席映画で、予算も大したことなかったのだろう。都市破壊シーンは「世界大戦争」といった大昔の作品が大々的に流用されているのは、いかにも貧乏くさいし。轟天号のシーンにはさすがに流用はなかったものの、「海底軍艦」のショットを安易に再現してお茶を濁しているところも散見する。後半の金星大魔艦と轟天との対決も、オリジナルの冷戦砲やドリルに匹敵する「売り」が拳銃の蓮根をもしたようなリボルバー・ビームだけ、敵の使うマーカライトもどきの方が強そうなのは本末転倒であろう。まぁ、最後は轟天号のドリルが、オキシジェン・デストロイヤーもどきの最終兵器になって、一矢報いるのだが…。いかんせん安普請なのがミエミエなのは興をそがれてしまうが残念だ。
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東京の恋人 (千葉泰樹 監督作品)

2010年05月31日 22時48分35秒 | MOVIE
 これは『東京映画散策 ~銀幕に見る失われた昭和の風景~』のシリーズとして放映されたのではなく、数年前に録画してあったもの。ほとんど観るあてもなく録ったものだったが(録画機器は東芝の未だRDXだった)、やはりこういう時が来るのかと思うと、「集めるために録ったのではない」と、ちょっとばかりうれしくなる。
 さて、本作だが東宝で制作され、出演は原節子、三船敏朗、森繁久弥、小林桂樹、藤原釜足、清川虹子、藤間紫、飯田蝶子とけっこう豪華な顔ぶれ、そして監督はサイレント時代から娯楽作を作り続けてきた千葉泰樹による典型的な都会調コメディである。制作は昭和27年だから、このところ観ている作品群の中ではかなり古い方になると思う。ちなみにこれと同じ年に制作された東宝作品としては黒澤の「生きる」があり、「ゴジラ」はこの2年後に作られる。

 さて、舞台は江東区(勝ち鬨橋が跳ね橋だった頃の風景が頻繁に見られるのが珍しい。また橋自体が小道具としてもおもしろい使い方をされている)、銀座の並木通りらしき宝石店、有楽町付近、そし当時は空き地だらけだった山の手(四谷とか赤坂あたりか)といった場所が舞台となり、偽の指輪職人三船が作った指輪がひょんなことから入り替わって、原と3人の若者、購入した金持ち、ヤクザが入り乱れ、おまけに最後には三船が偽の夫役を演じるハメになるなど、てんわわんやの大騒ぎになるというストーリー。
 主演の原は当時32歳、既に青春スターという感じではないが、やはり大女優のらしい「華」があるし、三船の存在感もさすがだが、どうも両者ともにスター的なオーラがあり過ぎて、こういう軽いコメディ作品では、豪華すぎるというか、やや牛刀をもって鶏を割くといった感がなくもない。共演陣としては清川虹子が後年イメージそのままの強欲なマダム役で、あとデビュー直後で、まだまだ青臭い時期の小泉博も出ている。
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戦前の小津作品を3つほど観てみた

2010年05月30日 18時10分34秒 | MOVIE
「一人息子」(昭和11年)
 信州に済む母一人子一人の貧しい家庭から、息子の立身出世を願い東京に進学させた母親が、その後大人になった息子に会いに来るというお話。息子は母親が期待したように出世せず夜間学校の教師になっている息子も一生懸命母親に親孝行をするが、結局、田畑売り払い全てを息子の学費に充てた母親の失望感は強く、そのまま田舎へ帰っていくのだが、どうも全体に戦前の貧困と就職難が色濃く影を落としていて、かなり救いがない結末になっている。こういう残酷な人間関係の機微を精緻に描いていて、既に「小津らしさ」が十分に感じ取れる作品になっている。
 出演は飯田蝶子、日守新一、坪内美子、笠智衆。飯田蝶子はこの時点だとけっこう未だ若いはずだが、既にちょっとガラっぱちなおばあちゃんというイメージが出来上がっている。あと坪内美子って全く知らない人だが、いかにも戦前型の楚々とした美しさがあった。また、永代橋が出てくるから舞台は江東区だろうが、当時のかの地はまったくごみごみしてなく空間だらけで、今観るとディファレント・ワールドである。人々の暮らしも十分に貧しく日本中で暮らしが豊かになり、多様な価値観とか称して、みんながてんでに生きるようになったのは、たかだかこの3,40年であることを痛感した。


「出来ごころ」(昭和8年)
 こちらはサイレント映画。庶民の生活をコメディタッチで描いたものらしいが、さすがに無声だときつい。大昔買ってきたフィルムアート社の「小津安二郎を読む」と首っ引きで観てみた。前半は工場を首になった娘(伏見信子)を近くの居酒屋に世話した子持ちの主人公(阪本武)は、その娘を好きになるが、実は娘は主人公の同僚(大日方伝)が好きで…というなんだか、寅さんみたいな筋書きのストーリーだが、後半は後半は主人公と息子の人情物語風な展開になる。入院費用が払えなくて、主人公が稼ぐために蟹工船にのるとかいう話が、また一悶着あってという感じである。
 主演の阪本武はガラっぱちな3枚目。伏見信子は今では完全に絶滅した大正ロマンのイラストみたいな美人。ちなみに彼女はこれでスターになったらしい。大日方伝は当時の大スターだが今の感覚で観てもハンサムな2枚目だ。酒屋の女将は先の「ひとり息子」に続いての飯田蝶子だ。なお、舞台は主人公がビール工場に勤めている設定からすると、墨田区の吾妻橋工場付近ということだろうか。時折でる付近の風景は、電信柱に他家すらあまりない、本当にがらがらスカスカな光景で、ならやら既視感を覚える。


「戸田家の兄妹」(昭和16年)
 高峰三枝子、佐分利信、坪内美子、三宅邦子、吉川満子など当時のオールスター出演による作品。先「一人息子」とは対照的にブルジョア家庭が舞台で、借金を残して死んだ父親のせいで、豪邸を売り払うことになった母(葛城文子)と妹(高峰)の兄弟の家に身を寄せるが、うまくいかず…といった右往左往を描いている。
 最初の15分は還暦を迎えた母親のところに久々に一家が集まって、一時の幸福な情景が実に緻密に描かれている。丁寧に描かれた家族のやりとりは、現代では完全に絶滅した日本の風景で、ストイックな美しさに溢れているし、途中淡々と描かれる母と娘が同居することによって起こる小さな悲劇や、父の死後、佐分利と友達が父親の話を淡々とするところなども、実に小津らしい演出でしみじみとした良さがあった。
 ラストは天津から一周忌に帰ってきた佐分利が、母親を冷たくあしらった兄弟達を非難して、兄弟は改心、兄と妹はそれぞれ所帯を持つような未来を暗示しつつ、母親と高峰はとりあえず佐分利が天津へ連れていくことで、とりあえずハッピーエンドとなる。これに大陸には夢があり、なんとなく明るさのあった戦前の一時ならでは結末だと思う。
 ちなみに当時の日本のブルジョアはまさにまさに和洋折衷。瀟洒な図書館風の部屋があるかと思えば、襖と廊下、畳にちゃぶ台の部屋といった具合に江戸の住まいと洋館が奇妙な調和をしている。当時人気絶頂の高峰については、私などおばあさんになってからのイメージしかないが、この時期は利発な和風な令嬢(ほとんど着物)ってなイメージであった。
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胸より胸に (家城巳代治 監督作品)

2010年05月26日 21時00分42秒 | MOVIE
 これも日本映画専門チャンネルのシリーズ「東京映画散策 ~銀幕に見る失われた昭和の風景~」の一本。有馬稲子主演、大木実、水戸光子、久我美子らの共演、監督は戦後派でその後テレビなども手がけることになる家城巳代治による昭和30年の松竹映画である。
 戦争で天涯孤独となった有馬は、踊るのが好きで浅草の人気ストリッパーとして働いていたが、彼女を見初めた大学の先生(冨田浩太郎)とは、結局住む世界が違いすぎてお決まりの破局、続いて幼なじみの大木と同棲するが、彼に尽くすものの…といった物語である。日本映画専門チャンネルの紹介では、『明るくたくましく生きるストリッパーが真の幸せを模索するヒロイン映画』とのことで、ヒロイン映画というのが実はよくわからない気もするのだが、ともかく観てみた。

 内容だが、原作を読んだ有馬稲子が主役を熱望したというだけあって、彼女の魅力がいっぱいだ。有馬稲子といえば、私が小学生の頃、テレビでやっていた「女人平家」というドラマを観て、「きれいな人だなぁ」と思ったのが、多分初めてだったと思うのだが、40歳であれだけきれいな人だから、23歳の時の彼女はまさに眩いほどの美しさであり、さしずめ「明眸皓歯」という形容がこのくらいぴったりする人もいないという感じであろうか。さすが「タカラヅカで一番美人」といわれたのも伊達でない美貌だ。
 ちなみに役柄としては、基本的には清純なんだけど、妙にハキハキして利発そうというキャラで、これは彼女に実にぴったり、この役を切望したもの良く分かろうものだ(ただ、まぁ、基本山の手のお嬢様みたいなキャラなのに加え、久我美子まで出てくると、あまり下町風な感じがしないのが玉に瑕という感もなくもないが-笑)。ついでに後半になると多少ヴァンプ風な感じもけっこう様になってるし、途中のダンスはうまいは、スタイルもいいはで、まさに「有馬稲子を見る映画」になってる感じである。

 ちなみに舞台として登場するのは前述のとおり浅草だが、昭和20年代の六区、花屋敷、仲見世、仁丹塔などが観れるのは楽しい。また、途中で勝ち鬨橋(このシリーズで何回登場したことだろう)、また珍しいところでは小田急の北鎌倉駅が出て、その後に当時の鎌倉の風景なども登場するのも興味深いところだ(ちなみに水戸光子にこの鎌倉の風景が絶妙にあっていた)。
 家城巳代治の演出はややモタモタしたところはあるが、まぁ手堅いといったところだろうか。全体に健全なトーン、小市民風な感覚が横溢しているところは、この人のキャラクターというよりは松竹的なところかもしれない。また、ラストで有馬が死んでしまうのは今の感覚では、悲惨な印象しか残らないが、先日の「如何なる星の下に 」同様、当時はこういう結末もありだったのだろうし、またそこに有馬が惚れ込んだのかもしれない。そるゆえの「ヒロイン映画」なのだろう。
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如何なる星の下に (豊田四郎 監督作品)

2010年05月25日 22時23分50秒 | MOVIE
 これも東宝-東京映画による昭和37年の作品。出演は山本富士子、池内淳子、大空真弓が三姉妹役、他に池部良、森繁久彌、植木等、加東大介、三益愛子、乙羽信子等による。森繁や植木が出ているものの、意外にもこのプロダクションから予想されるコメディ的なところはほとんどなく、監督が戦後もっぱら文芸映画を撮り続けた豊田四郎だから、まぁ、当然なのかもしれないが、けっこうシリアスな文芸ドラマって感じである。

 作品は世話のかかる姉妹と両親、そして元夫に思いを寄せる男と、主役の山本に降りかかる苦難をいくつかのエピソードでもって描いているが、山本の「運の悪さ」はなんだか「盆と正月」級でかなり悲惨である。また、ラストもトドメを刺すような結末であり、なんとなく救いがない感じもある。悲惨な結末が敬遠され、ハッピーエンドが当たり前となった昨今では違和感を覚えるほどだが、まぁ、こういうのはあの頃の文芸映画らしいというべきなんだろう。昔はこうして映画館を出たあと、「考えこませる映画」というのも立派にエンターテイメントとして成立していたのだ。

 舞台となるのは築地の近くの(有名な聖路加病院が見える位置に、主人公一家が営むおでん屋がある)佃煮で有名な佃島というところ。今は橋がかかりほとんど陸続きになってしまったが、昔は本当に島だったようで、渡し船が登場するのは時代を感じさせる。ただし、このところ観てきて昭和20年代後半~30年代前半の映画に比べると、さすがに昭和37年だけあって、そろそろ高度成長期に始動していたせいもあって、隅田川も公害も蔓延してきたのだろう。「川が汚い」という台詞が出てきたり、そもそもカラー映画のせいもあって、ぐっと時代が下った印象がある。

 主役の山本は凜とした演技、なんとか主演女優賞級の大熱演で、池辺に思いを寄せながら、元夫の森繁に寄りを戻してしまうのは、実に女の悲しさを出していた。植木と森繁はいつもの軽い調子ではあるが思い切り悪い男を演じている。池辺の優柔不断男と加藤のダメ親っぶりも救いがたく、この作品に出てくる男はみんなダメ男である。また、品のいいおばあちん役のイメージがある三益は最後で鬼気迫る酒乱ぶりを熱演。池内と大空はちょい役程度であった。
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恋は異なもの味なもの (瑞穂春海 監督作品)

2010年05月24日 22時54分11秒 | MOVIE
 昭和33年の東宝作品で、上野の寄席(本牧亭かな)を舞台にした人情喜劇。出演は雪村いづみ、森繁久彌、日守新一、津島恵子、藤木悠、一竜斎貞鳳などで、監督は瑞穂春海という、戦中からいろいろな映画会社を渡り歩いたブログラムピクチャー系の職人さんである。一応、配給は東宝映画だが実際の制作は東京映画であり、その後このプロダクションが制作することなる駅前シリーズや若大将シリーズなどと共通する、コメディタッチの仕上がりになっている。あえていえばも森繁のところは駅前、雪村のところは若大将的なムードとでもいったらいいかもしれない。

 前述の通り、舞台は上野の寄席だが、さすがに東宝-東京映画だけあって、全体は非常に都会的だ(音楽の神津善行もまさにパラマウント調の音楽で彩りを添えている)。寄席は妻をなくした父親と渡仏した許婚者を待つ津島が切り盛りしているが、息子がなかなか帰ってこないのでやきもきしている。そこに許婚者の妹である雪村は近くに住む藤木と縁談が持ち上がるが、実は藤木は津島のことを好いている。そこに渡仏した許婚者から婚約を破棄したい旨の手紙が来て…というストーリーだ(これに森繁の駅前シリーズ風なスケベオヤジ風の浮気がからむ-笑)。当然、ラストは収まるべきところに全て収まってお決まりのハッピーエンドとなるが、都会的な雪村の行動と寄席の古臭いムードが良い対照となり、また3つのドラマの流れを巧く連動させつつ、実に軽快なテンポで進んでいく。

 出演者では、当時人気絶頂アイドルだった雪村いずみがモダンなはつらつした娘役で実にチャーミング(風貌的には今でいったら上戸彩みたいな感じ)。それとは対照的に楚々としたイメージで津島恵子も良い。また、藤木悠も好青年役で出演というのもおもしろいところだった(先日の「幽霊男」の翌々年の出演となる、ちなみに「キンゴジ」で高島とコンビを組むのはこの4年後)。ともあれ、出演者の中では最後に恋のキューピット役を演じる雪村いずみが、その切なさで最後にいいところを全部持っていってしまう(ラストの上野駅のシーンなど泣かせる)。当時の彼女のスター的「華」のようなものがよく伝わる作品でもある。



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州崎パラダイス~赤信号 (川島雄三監督作品)

2010年05月20日 23時41分43秒 | MOVIE
 これも日本映画専門チャンネルの『東京映画散策 ~銀幕に見る失われた昭和の風景~』の一本として録画してあったもの。若き日の新珠三千代と三橋達也が主演、轟夕起子、河津清三郎、芦川いづみ、小沢昭一らを共演に迎え、戦後プログラム・ピクチュア系の作品を沢山残した川島雄三が演出した昭和31年の日活作品である。
 当時の江東区洲崎にあった遊廓(明治以来のもので通称:州崎パラダイス、この映画の2年後に閉鎖されたらしい)を舞台にした人情ドラマだが、私は落語も映画もどうも遊郭を舞台にした作品というのは、得意な分野ではないものの、とりあえず映画に対するモチベーションが高いうちに…ということで観たものだ。

 駆け落ちをして各地を転々としいたカップルが州崎に流れ着く。ひょんなことか遊郭入口にある一杯飲み屋の立ち寄り、そこの女将(轟)の世話で新珠はそのまま飲み屋を手伝い、三橋は近くにあるソバ屋でおかもちを始めるのだが、これでふたりが真人間としてきっちり働き始めれば良かったのだが、奔放な新珠は秋葉のラジオ屋の店主(河津)を見つけ、ダメ男の三橋はそば屋の店員の芦川に思いを寄せられつつ、男を見つけた新珠へ嫉妬に狂い…といったストーリーで、いかにも腐れ縁したカップルを右往左往を描いている。
 ちなみに州崎パラダイスといっても、タイトルドラマはもっぱら遊郭の外で展開されるので、ああいうムンムンするような雰囲気はそうでもなく、途中では当時の秋葉の電気街が出てきたりするのはおもしろい(あそこは陳列している商品は違うものの、ムード的には今も昔もほとんど変わらない-笑)。

 川島の演出はどろどろした男女関係をけっこう突き放しながら、それでいて妙に暖かい視点で描いているのが印象だ。ラスト近くなんとも救いようのないエピソードが出てきたりもするが、オーラスでは修羅場をくぐり抜けたカップルが開巻と同じ場所に来て、一見すると堂々巡りのようでいながら、かすかな曙光を感じさせるような結末になっていて(男がいくらか成長し、男女関係の逆転を暗示)、観終わった後、じめじめとした後味の悪さを残さないところがいい。
 新珠は私の世代だとなんといっても「細うで繁盛記」の女将のイメージだが、本作でははすっぱなで全く違った雰囲気、三橋もその後の精悍なイメージはなく、かなりのダメ男っぷり全開なのだが妙に憎めない役柄を好演。なにしろふたりとも若い。けなげな娘役の芦川いずみもチャーミングだった。
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新東宝名画傑作選 「煙突の見える場所」

2010年05月19日 21時10分30秒 | MOVIE
 昭和28年の新東宝作品。荒川付近の千住を舞台にした人間模様を描いた五所平之助監督作品。主演は田中絹代と上原謙、共演は芥川比呂志、高峰秀子という配役である。「お化け煙突」の界隈の安い貸家に住む夫婦の借家に、赤ん坊が置き去りにされていて…というストーリーで、当時の貧しい生活ぶりを克明に描写しつつ進んでいく。本作は私が生まれる前の作品ではあるものの、ちゃぶ台にふすま、台所の鍋とやかん、布団をしまう押し入れなどなど、なんだか懐かしさが一杯になる作品でもあった(当時の鯛焼きのなんと薄っぺららこと!)。

 さて、ストーリーはこの赤ん坊がどうやら、田中の前夫の子供らしいことから、戸籍の偽造がバレて、仲むつまじかった夫婦関係は崩壊、おまけに前夫の悲惨な境遇もあぶり出させれて、「人間の業」みたいなものが重くのしかかる妙に悲劇的展開になっていく。ここからは、芥川がトリックスター的な役割で奔走し(高峰がこれを励まし、こちらの恋愛関係も進む)、物語は右往左往しつつも、最後には夫婦仲は修復、子供は元の親に戻り、芥川と高峰も結ばれる結末がやって来る。このラストは不思議な幸福感が漂い、ほのぼのとした感動につつまれるもので、お決まりといえばお決まりだが、非常に印象的である。

 五所平之助の監督作品は、多分これが初めて観たが、戦前からこの手の小市民の悲喜劇をユーモラスに描くことを得意としてきた人だけあって(日本初トーキー映画「マダムと女房」の監督としても有名)、本作でものんびりしつつも適度な小気味よさがあり、また独特の抒情も感じられる演出だ。またパンフォーカスなどユニークなカメラワークなども随所に挿入され、意外に凝ったところも見せてもいた。

 出演者では戦災未亡人役の田中絹代がユーモラスで聡明な中年の人妻役で熱演。私など彼女がおばあさんになってからのイメージしかないが、同時代の女優達とは全く違う存在感があり、彼女の全盛期の演技者としての凄さを垣間見る思いだった。また出演陣では後半からウェイトが増す、高峰秀子もキリリとした演技で、この物語の「良心の側面」を表していたと思う。当時彼女は29歳だったが、そろそろ中年に差し掛かっていた田中に比べ、この時期の高峰はまだまだ若く、すっきりとした美しさ印象的だった。上原は優柔不断なダメ男ぶりを好演。
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新東宝名画傑作選 「恋文」

2010年05月17日 20時41分25秒 | MOVIE
 昭和28年の新東宝作品だが、その後大蔵貢が主導したエログロ路線ではなく、いたって「きまじめ」な作品である。内容としては、当時まだまだ戦後の貧困とカオスが残る渋谷のドヤ街を舞台にした純愛ドラマといった風情だが、おきまりの通俗恋愛ドラマになるすれすれのところで、今一歩調高い仕上がりになっているのは印象深い。なにしろ、本作の監督は田中絹代。一時スランプに陥った彼女が女優として復活した直後、まさに満を持してという感じで、監督業に進出した第一作だった訳だから、「ありきたりの通俗作品にしてたまるか」という踏ん張りがよく出た仕上がりになっている。

 主演は中心となるカップルが森雅之と久我美子、このふたりに絡むのが宇野重吉、道三重三という布陣。宇野が営むアメリカに帰国したアメリカ兵に送る恋文の代筆業(これと主人公が大事にしているラブレターをひっかけて、タイトルが「恋文」となっているのか)を主人公の森が手伝い、それがきっかけで長年探していた女がそこに訪れる。ところが彼女は戦後の貧困で外人の結婚同様の生活をしていた過去があったことが、主人公に知れてこのふたりの懊悩が始まる…というものだが、共演の宇野重吉がなにしろ若い。また、久我美子は個人的にはあまり好みじゃないが、この時期の彼女の清楚さは抗しがたい魅力を感じた。ついでにいえば、新東宝らしくデビュー直後に三原葉子、それと何故か安西郷子も出てくるのも楽しいところだ。

 ストーリー展開はさすがに昭和20年代だけあって、実にのんびりしたものだ。なにしろ二人が駅で再開するまでに45分もかかるのだ。今の感覚ならもう待ちきれないというか痺れを切らすようなテンポだか、その分、当時の渋谷の風景(まだ江戸が残っている東京という感じ)やそこに生きる人間達の風俗のようなものがたっぷりと拝めるのは、今だからこそ魅力だろう。後半は主人公の弟がキューピット役となって奔走しつつ、お決まりのハッピーエンドに行く手前で唐突に結末を迎える。こうした余韻を残す終わり方は、昭和28年にしてはけっこうモダンなスタイルだったはずだが、こういうところに田中絹代なりのこだわりを感じないでもない。

 ともあれ、この作品、主人公に関わるエピソードも多いし、田中監督の初演出ということで顔見せの大物ゲストも多数で、なかなかまとめるのは大変だったはずだが、初監督としてはなかなかの手堅くかつ堂々たる演出だったように思う(大監督の助言もかなりあったようだが)。あと、木下恵介による脚本にはたっぷりと織り込まれていたであろう反戦的メッセージは、けっこうそぎ落とされているようで前半と終盤に出てくるくらいになっている。当時はおそらくこのあたりが「手ぬるい」と批判の対象となったのかもしれないが、現在の視点でみるとこのくらいの方が、嫌みにならず恋愛映画としてはよかったとも思った。
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新東宝名画傑作選 「女岩窟王」

2010年05月14日 23時41分45秒 | MOVIE
 昭和35年の新東宝作品。先日観た「女体渦巻島」と同じく、日本の端のローカル都市を舞台にした、B級無国籍アクションといった体裁の作品だが、タイトル通り主人公が女(しかも姉妹)で、ストーリー的には閉じこめられた洞窟で発見した財宝を元に繰り広げられる、自分たちをぼろぼろにした麻薬組織に対する復讐劇という点で、変化に富んだストーリー展開になっている。日活の同系統作品の亜流みたいな物語に終始した「女体渦巻島」に比べて、破天荒なストーリーである分おもしろかったともいえる。監督は小野田嘉幹という人で(なんと平田昭彦の実兄らしい)、石井輝男のようなドライ過ぎるアクがなく、職人芸でもってテンポよくストーリーを進行させていて、まるで60年代のTVシリーズ(プレイガールとかガードマンとかいいう感じ)を観ているような楽しさがあったといえる。

 主演はこの時期の新東宝の常連ともいえる三原葉子と万里昌代(この二人はこの年新東宝の作品に軽く10本以上は出演していたようだ)。正直いって三原葉子という人に私はあまり魅力を感じないのだが、万里昌代はいつも書いているとおり、常盤貴子かケリー・チャンかという目鼻立ちのはっきりしたモダンな美人さんで、今観てもまったく時代的誤差のない美しさで観ているだけでうっとりとしてしまう。しかもこのふたりは踊り子という設定なので、冒頭からダンスシーンのサービス、しかも洞窟に閉じこめられてから海で脱出するまでは、衣服がだんだんぼろぼろになって次第に露出していくというお楽しみまで付いている(それにしてもこの時代だと女優さんでも脇毛は処理してないんだよな、今の間隔だとちょっと変-笑)しかも、この時期には珍しいカラー作品ということもあって、主人公ふたりはなんとも華やかである。ふたりを助けるキレ者の男に吉田輝男というお馴染みの布陣なのも楽しい。
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おえんさん(本多猪四郎 監督作品)

2010年05月12日 21時50分53秒 | MOVIE
 昭和30年東宝制作のホームドラマ。早くに夫を亡くし母一人子一人の仲良く暮らしていた親子だったが、近所の娘と結婚が決まった息子の巡って母親が逡巡し始め、更には若い頃に結婚諦めた男がブラジルから帰国して....というストーリーだ。ひとり息子を他所の女と結婚させずに、ずっとふたりで暮らしていたいという母親が物語の中心になっていて、これは今時の感覚からすると、いささかエキセントリックな感がなくもなくないが、まぁ、昭和30年頃といえば、こういう親子関係というもそれほど違和感はなかったのだろう。これは家族が何か行動する度に右往左往する恋人同士の行動も同様である。

 母親役は初代水谷八重子、息子役が小泉博、小泉の恋人役が司葉子という布陣。水谷はやや息子を溺愛気味だが「ニッポンのおかあさん」を好演。小泉はちょうど「ゴジラの逆襲」と同年の制作になるるが、あれと同様のハンサムな好青年というイメージ。恋人役の司はとてもフレッシュで、かつ楚々とした風情を発散して素晴らしく魅力的(当時20歳)。また小泉とのコンビネーションも良く、いかにも「東京の美男美女」という感じでとてもいい感じ。あと、名脇役の中北千枝子(司の姉役)と清川玉枝(水谷に姉役)が、狂言回しのようなスパイスを効かせた映画を進行役となっていて、映画全体をひきしめていた。
 演出はなんと「ゴジラ」の本多猪四郎、この多少古くさいホームドラマを小田基義あたりとは、ひと味違うテンポの良さ、明るさで描いているのは見所だ。特撮物でもそうだが、やはりこの人の演出はバランスが良く、また実に職人的なうまさがあったことを、こういう特撮なしの映画だと堪能できる。

 また、当時の築地魚河岸やその界隈を筆頭に、銀座のデパートや浅草の演芸場などの東京の風景が矢継ぎ早に登場するのも楽しいところで(浅草演芸場のシーンでは当時、林家正蔵を襲名したばかりの林家彦六が出てくる)、昭和20年代の日本の風景に彩られた、郷愁を誘うホームドラマといったところだろうか。
 ちなみにこの作品、どうも放映に際して7巻目と8巻目が逆につながっていたようで、放映元の日本映画専門チャンネルにウェブサイト通じて、そのことを指摘したところ、さっそくでアナウンスを出していた。19日の再放送では補正されたものを放映するようだが、ディスクに残すとしたら、そちらをもう一度録画しなければなるまい。
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