昨日、「中核地域生活支援センター大会in2016」が開かれました。
会場の千葉市生涯学習センター。なかなか豪華でオシャレなつくりです。

「中核地域生活支援センター」は、24時間365日ありとあらゆる分野の相談を受け、福祉サービスにつなげる機関です。千葉県が独自に始めた事業で、県内16か所。市原市は国分寺台に「いちはら福祉ネット」があります。
基調講演は、
「自立を育む地域社会を考える」というテーマで、釧路を拠点に若者の自立支援活動を行っている日置真世さん(フレームフリープロジェクト「FFP」)と、生きづらさを抱えながら「共に学びあうたまり場」であるFFPで社会参加を模索する20代の若者たち、計8名が登壇しました。

写真向かって左がFFPを主宰している日置真世さん。

日置さんは、2000年にNPO法人地域生活支援ネットワークサロンを立ち上げ、様々な地域づくり活動に携わってきました。
FFPでは、若者たちが自分の生きづらさ(例えば「妬みとは」「平等・不公平とは」など)をテーマにして研究したり、この日のような講演も活動の一つに位置づけています。
発達障害やこころの病を抱えたり、貧困や虐待など過酷な環境に置かれた若者たちの生の声。貴重な機会でとても勉強になりました。

「養護施設で暮らしていたとき、スタッフが自分を人として対等に接してくれたことが嬉しかった」
「相談員に対して、自分のつらかった経験を話すのはかなりしんどいこと。そのことに対するフォローが欲しかった」
「病気になったことで、人とのつながりができた。今自分は、他の同い年の若者よりも胸を張った生き方をしていると思う」
何よりも、自分の経験や考えを冷静に客観的に整理して、大勢の聴衆の前で堂々と発言されている姿には、本当に驚きました。
ところで、
日置さんの活動の原点は、娘さんが重度の障害を抱えていたことで、「支援・指導を受ける側」になって初めて感じた「違和感」にありました。
若者サポートからちょっと話がそれますが、私が同じく重度障害者の親としてとても共感した日置さんの言葉を、以下紹介します。
当時出会った専門家は熱心にサポートしてくれたが、私はそれに対して言いようのない居心地の悪さを感じた。
「支援を受ける」という立場が、「よき母親でなければならない」という焦りや束縛につながり、自分らしさから離れていくような気がした。
娘が同じ年齢の子どもとして享受する当たり前の楽しさや親子の喜びよりも、訓練や療育が優先される日常に疑問を感じながらも、「今自分が頑張らなければ」という義務感や責任感や負い目を抱えた葛藤の日々であった。
正直私は、幸か不幸か、訓練や療育よりも当たり前の日常を優先してしまったので(これは信念というよりも単に性格に因るところが大きいと思う)、義務感や負い目を感じることはほとんどありませんでした。でも、こんな呑気な母親はごく少数派で、多くの母親は日置さんのように葛藤しながら障害児を育てているのが現状です。
私はちょうど6月議会で発達障害児への早期支援について取り上げましたが、子どもが幼いうちは特に、子どもに対してではなく家族に対する支援が重要だということをまず理解してほしいと思います。
またその一方で、今回の講演を聞いて、支援の難しさや支援する側の苦悩も理解していかなければならないと、改めて感じました。
会場の千葉市生涯学習センター。なかなか豪華でオシャレなつくりです。

「中核地域生活支援センター」は、24時間365日ありとあらゆる分野の相談を受け、福祉サービスにつなげる機関です。千葉県が独自に始めた事業で、県内16か所。市原市は国分寺台に「いちはら福祉ネット」があります。
基調講演は、
「自立を育む地域社会を考える」というテーマで、釧路を拠点に若者の自立支援活動を行っている日置真世さん(フレームフリープロジェクト「FFP」)と、生きづらさを抱えながら「共に学びあうたまり場」であるFFPで社会参加を模索する20代の若者たち、計8名が登壇しました。

写真向かって左がFFPを主宰している日置真世さん。

日置さんは、2000年にNPO法人地域生活支援ネットワークサロンを立ち上げ、様々な地域づくり活動に携わってきました。
FFPでは、若者たちが自分の生きづらさ(例えば「妬みとは」「平等・不公平とは」など)をテーマにして研究したり、この日のような講演も活動の一つに位置づけています。
発達障害やこころの病を抱えたり、貧困や虐待など過酷な環境に置かれた若者たちの生の声。貴重な機会でとても勉強になりました。

「養護施設で暮らしていたとき、スタッフが自分を人として対等に接してくれたことが嬉しかった」
「相談員に対して、自分のつらかった経験を話すのはかなりしんどいこと。そのことに対するフォローが欲しかった」
「病気になったことで、人とのつながりができた。今自分は、他の同い年の若者よりも胸を張った生き方をしていると思う」
何よりも、自分の経験や考えを冷静に客観的に整理して、大勢の聴衆の前で堂々と発言されている姿には、本当に驚きました。
ところで、
日置さんの活動の原点は、娘さんが重度の障害を抱えていたことで、「支援・指導を受ける側」になって初めて感じた「違和感」にありました。
若者サポートからちょっと話がそれますが、私が同じく重度障害者の親としてとても共感した日置さんの言葉を、以下紹介します。
当時出会った専門家は熱心にサポートしてくれたが、私はそれに対して言いようのない居心地の悪さを感じた。
「支援を受ける」という立場が、「よき母親でなければならない」という焦りや束縛につながり、自分らしさから離れていくような気がした。
娘が同じ年齢の子どもとして享受する当たり前の楽しさや親子の喜びよりも、訓練や療育が優先される日常に疑問を感じながらも、「今自分が頑張らなければ」という義務感や責任感や負い目を抱えた葛藤の日々であった。
正直私は、幸か不幸か、訓練や療育よりも当たり前の日常を優先してしまったので(これは信念というよりも単に性格に因るところが大きいと思う)、義務感や負い目を感じることはほとんどありませんでした。でも、こんな呑気な母親はごく少数派で、多くの母親は日置さんのように葛藤しながら障害児を育てているのが現状です。
私はちょうど6月議会で発達障害児への早期支援について取り上げましたが、子どもが幼いうちは特に、子どもに対してではなく家族に対する支援が重要だということをまず理解してほしいと思います。
またその一方で、今回の講演を聞いて、支援の難しさや支援する側の苦悩も理解していかなければならないと、改めて感じました。