市原市議会議員 小沢美佳です

市政や議会の報告、日々の活動や想いを綴ります。
一番身近な地方政治の面白さが、皆さんに伝わりますように・・・

視察最終日・石見銀山

2011-11-12 | お知らせ
朝の米子駅前。

15万の人口の割にはとても大きな街です。

最終日の3日目は、2007年に世界遺産に登録された、島根県太田市の石見銀山へ。
ガイドの方の説明をお聞きしながら街道を歩きました。

石見銀山は、16世紀前半から400年にもわたって採掘された、日本を代表する鉱山遺跡です。
最盛期の江戸時代前期には、世界の銀の産出量の3分の1を日本が占め、その多くがここ石見銀山から採掘されていました。
山を崩さず、木を伐採せず、狭い行動を掘り進んで採掘するという手法が特徴で、
「この時代にすでに環境への配慮がなされた開発を行っていた」という点が、世界遺産登録の大きな決め手になったのだそうです。







民家の軒先のこれ、何でしょう。

飾りではなく、呼び鈴なのだそうです。手車を回すと、カタカタと優しい音が響きます。

景観を損ねないように、自販機にもカバーが・・・


街道には土産物屋や食堂もたくさん並んでいましたが、中でもついふらふらと立ち寄った一件が、こちら。


意表を突く珈琲店です。
イタリアのカフェ・カリアーリ社という珈琲豆の老舗会社のオーナーが、この店の写真をひと目で気に入り、
日本で唯一輸入を許可しているのだそうです。
通のあいだで「魔法の珈琲」と呼ばれている一杯、さっそく頂きました。
都会の洒落たお店ではなく、山陰のひなびた日本家屋で味わう珈琲はまた格別です。

もちろん、豆もしっかり買いました。
(けっして、マスターがイケメンだからという訳ではありません^_^;^_^;)


西性寺。敬蔵の彫刻に目を見張りました。
 

当時の鉱夫の平均寿命は、30歳くらいだったそうです。
坑道内の高温多湿や煤塵などの劣悪な環境や、鉛による中毒などが原因でした。
賃金は破格で、残された家族への手当は生涯保障されていたとはいえ、
命と引き換えに坑道に入る若者と、それを見送る妻の気持ちは如何ばかりだったのでしょうか。
この地に寺院や神社が多数存在することからも偲ばれます。


石見銀山を後にして、「出雲縁結び空港」より帰路につきました。
初めて訪れた山陰地方は、日本の秋をダイレクトに感じさせる、見どころ、学びどころ満載の素晴らしい地でした。
いつの日かまた、プライベートでゆっくり訪れたい・・・!




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