孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

孤独の自由と貧乏生活が優雅となる

2018年05月10日 | Weblog
私が過疎地で暮らし始めたころご近所のおばさんたちは私のことを買いかぶり金持ちで社会的地位にあった人が自然界の中で暮らすことを望んで住み着いたように思っていました。

何たって誰も買い手がなかった廃屋を買ってまで移住し、しかも仕事をしないで山で遊んで暮らしているのだから、また訪れてくる人も優雅な暮らしをしているようだから、また家族を町中に残して住み着くくらいだから…よほどの余裕がある人で財産家だと思われていました。

またパート先の牛舎のオーナーも私が孤独の自由と貧乏を楽しんでいるさまを見て優雅な生き方をしていると感心しています。

ちなみに私自身も優雅な暮らしをしていると思っています。

何たって自然界の四季折々の変化を味わい・山菜や山野草を直に味わい触れ楽しんでいるのですからね。

また暇からして焚き木で暖をとったり・薪で風呂を沸かしたり、
また食事の時間に関係なく食することで空腹こそが最高の料理となるように…
貧乏を味わうことで…これまで当たり前だったことが…最高の贅沢や道楽娯楽に変わり…また昔の良さを再認識することになり・此れまでの意識とは変わってきました。

だから人為人工的な変化刺激や趣味嗜好娯楽がストレスの原因となっていることも自覚実感しています。

何はともあれ…衣食住に満たされ健康で悩みも心配もなく、また人の事を気にしないで好き勝手で優雅な暮らしているのは事実です。

だからご近所の人から見ても…世渡り人生に失敗して致し方なくおんぼろな廃屋で暮らしをしているという暗いイメージがなく…
自らが選んでの素朴で謙虚ながらも・何かしら自信に満ちて過疎地暮らしを楽しんでいるように思っています。

と言うことは…見えている形結果じゃなくて・己の思い意識や精神や心しだいなのです。

だから私が暗ければ暮らしぶりも暗く見えるが、私が明るければ優雅な暮らしに見えるのです。

また私自身もその優雅な暮らしを実感自覚できて・それが自力と自信と精神力にもなっています。

何はともあれ…自らが欲張らない実践にして素朴謙虚にして生きていればそれが優雅な暮らし・幸せに思えるように…己の精神意識が変わるのです。

だから物質金銭や結果形や肉体や感情体に拘り執着して生きることよりも己の精神体でもって生きていくことが肝心となるのです。

精神世界を自覚しながらもその実践がなければ半端者で未熟者でお粗末な卑怯者とも言えます。

2018年05月09日 | Weblog
私は妻を感情的に好きになることがあっても、妻に愛していると言ったことは一度もありません。

何たって「愛」が如何なるものか・はっきりとした「自覚」がなかったからです。

その自覚がないのに…自分の思い感情や都合が絡んでの…裏心からしての…便宜上からして…妻に愛していると言えば偽善になります。

また好きになることが愛だと思っている人は精神未熟にしてお粗末な精神体となります。

ちなみに私の娘が念力の類のスピ系に熱中していた時に、幼い乳のみ子を連れてまで出かけることに違和感がありましたが、それでも娘が望んでいることだからと自覚納得し機嫌よく娘を長距離バス停まで送り迎えしました。

そのことをご縁があった霊能者に話すと…それが愛ですと言われました。

ちなみに娘に対する私の思いを口に出さずにして・ほっといて・普通の感情のままにして・必然ご縁にして・快く対処していることが…娘に対する愛だと言われました。

すなわち特別な感情を持つことは愛情になるが、愛している自覚がなく・必然ご縁の成り行きからして・好き嫌いの感情が伴わない・普通の精神状態にして動いていることは愛の行為となるのです。

その娘が縁からして山田耕栄さんが説く完全真理を知ることになり、その良い悪いで判断しなければ何の問題もなく自由平等調和となることからして…まさにこれしかないとばかりに…自覚納得確信に至りました。

しかし良い悪いで判断するのは人間の本能だから絶対的に無理があるとして娘に言った覚えがあります。

そして後日耕栄さん自らが無理だと悟り・素朴謙虚に生きる自己縮小の実践が説かれることになりました。

となるとすでに過疎地暮らしをしていた私にとっては水を得た魚・鬼に金棒となりました。

ところが言い出しっぺの耕栄さんは自己縮小どころから超能力からして作られたファバラ製品販売でもって大儲けをしていました。

と言うことは完全真理や自己縮小を言うだけにして・持ち前の超能力を売り物にして・人集め金集めしている偽善者になります。

だから此れしかないとまで思っていた完全真理に関係ないところの、仕組まれながらにして・すでに過疎地でもって暮らしていたのが幸いして…現在の欲張らない実践のブログとなっています。

ところでこのブログを読んで理解し納得確信となり自覚できているでしょうか…

然るに…数に限りがある有限の世界でもって欲張ることは弱者を虐める罪作りとなることが理解納得確信となって自覚できているでしょうか…

ちなみに…賢い皆さんのことだから…既に理解し納得確信となり自覚できていると思われます。

ところが納得確信となり自覚できているのに…
それを実践しないでいることは…己の精神を裏切ることであり、知って知らぬふりをしている偽善にもなり、
その偽善のままに生きていれば・思うだけ言うだけ聞くだけで納得している精神半端者にして・愚かな精神にして・自分の都合を優先している・卑怯者ともなりますが…
何か異論反論があればどうぞ…

何はともあれ…肉体や感情体で生きている愚かな精神未熟者なのは確かです。

そしてこの世人間界の三次元から抜け出せない・卒業できない人間となり…宇宙・神・愛の仕組みのアセンションの流れに乗れません。

となれば…肉体は生きてはいるが精神体では生きていない…死んだも同然の生き様にして・また生きた屍が如くの哀れな人間となり・その老後となり・その死となります。

と書くも…いまいち真剣本気になれずにして・しっかり自覚できずにして…自分の首を自分で閉める愚かなことになり…己の墓穴を掘りながらの人間人生で終わることでしょう…

追記;前もっての自覚がないままにして…必然ご縁が仕組まれ…その成り行きからして結果が出ることになれば…自然体の愛になります。

だから…欲張らずにして…必然ご縁の成り行きに任せて生きていれば…宇宙・神・愛の仕組み・すべてはひとつの宇宙の流れに乗って生きていることにもなるのです。

生きた屍で閉幕せずに…新たな開幕アセンションとなるには…

2018年05月08日 | Weblog
お金よりも健康が一番とか、穏やかな精神にして・余計なこと面倒なことに巻き込まれたくないとか、逆に人様に面倒をかけたくないとかの思いでもって生きているはずです。

ところが裏心には…何を差し置いても楽しくなくっちゃと欲張っています。

だから賑やか華やかなのが好きで世間にも目立ちたがります。

ちなみにお気に入りの伝統風習やケジメとなる冠婚葬祭が大掛かりにもなるし、また何かと記念日を多くして(人が集まり)お祝いし合いますし、またその記念品を差し出す風習が根強くあります。

然るに面倒なことが多くなりますし、金銭や時間の浪費にもなるし、それに束縛され自由時間が失われるし、またその気遣いや行動でもって心身が疲れもします。

だから…良いことを望めばその裏の悪いことも同時についてくる矛盾があるのです。

ところが皆さんはそれが当たり前が如くになっていませんか…

だから不自由不平等不調和が当たり前の世の中になっているのです。

ゆえに個人の自由を選ぶことになれば差しさわりがあるのです。

だから個人の自由を選ぶとなれば…孤独の自由…となるのです。

そして結果的には世間離れ家族離れとなり仙人が如くの孤独にもなるのです。

ところが孤独の自由を味わえば味わうほど…世間一般的な矛盾偽善に満ちた生き方から卒業して…孤独の自由の真価価値を十分に味わえるのです。

となれば初頭に書いたように…お金よりも健康が一番となり、穏やかな精神にして余計で面倒に巻き込まれたりせず、また己が人様に面倒をかけることもなくなっていくのです。

そして何よりも…生きた屍が如くの老後で人生の幕を閉じることにならずにして…
心静かで精神安定のままにして・拘り未練執着がないまま・思い残すこともなく…
新たなステップとなる次元上昇の人生の幕開けとなるのです。

ストレスに満ちた老後が長く続くほどに…生きた屍…が如くの無残な老後ともなります。

2018年05月07日 | Weblog
ブログを書きながらにしていつも思うのですが、世間の常識を覆す逆は真なりの、しかも矛盾のない確かな真実事実のブログだけに、世間で騒がれてもおかしくないはずなのに、なんか静かすぎて、私としては面白みがなくて・興ざめして、書くのをやめにしたい思いがありますが、しかし暇すぎてその時間つぶしに今日も書いていますが、先日のアクセスポイントをみてビックリ、訪問者202人なのに閲覧数2211でした。

しかし大方の人が読んだだけで終わり実践できないことからして言えば…人間界の三次元を超えたブログともいえます。

ちなみに欲が本能にあるのに…欲張っちゃダメとなれば…一般世間では生きずらいことになり…変人扱いされかねないから…どうしても世間から離れた孤独にして・人知れずにして・昔の仙人が如くに暮らすことにもなります。

また誰も皆が欲張らなくなれば事実にして自由平等調和の世界平和が実現するのに…なんか夢の世界が如くに受け止めているのか…自覚納得できないのか…一人前の精神力がない未熟者なのか…
書いている私にすれば…何やらぬかを噛んでいるが如くの歯ごたへしか感じられません。

しかも実践すれば御身が救われ助かること間違いなしの優れものなのに…何だか無関心ぶっているようにも思えます。

だからこの世人間界の次元を超えたブログなのです。

ちなみに孤独の自由でなければ実践できないのがネックになっているように思えるのですが…

人が集まれば欲からしてヘンテコなことになっている事実に気付いていないのか、言い訳正当化して己をごまかして裏切っているのか、真面目真剣本気が感じ取れません。

何はともあれ…不完全意識にして矛盾のあるこの世人間界でもって確かな方向に生きていくには孤独の自由が絶対的に必要なのです。

また人間は孤独にして生きていくように仕組まれているのです。

ちなみに…自己中心にして判断し行動する個人意識が仕組まれているからには集団でもって生きることは苦手で面倒なのです。

はっきり言えば…本能の性欲が原因からして出産子育てとなるように仕組まれているだけで…人間本来は孤独にして生きていく定めなのです。
…しっかり自問自答すれば自覚認識できるはずです…

ちなみに血気盛んな若者が終わるにつれ・夫婦や家族として関わり合う互いの思い意識のずれからして・次第に孤独感が出てくるはずです。

だから子育てが終わるにつれ夫婦関係はセックス絡みだけになり共に行動することが減っていくはずです。

ちなみに老後となれば尚更です。

だから老後が進むにつれ孤独感が強くもなっているはずです。

しかも見栄世間体プライドからして…老いぼれた姿を見られたくない・惨めなさまを世間に悟られないように隠したがる・哀れ可哀そう気の毒と思われたくないことからして世間に出ていくことも減り続け・家の中で閉じこもる老後ともなるのです。
…ちなみに街中で老人が何をするでもなくとぼとぼと歩いているさまが見られなくなっています。

何はともあれ…誰も皆が公平にして老後が来ます。
そしてそれ以前のことは過去となり記憶だけとなり空しくもなるのです。

となれば…上向きだった若かりし頃の変化刺激に満ちた華やかな時代が過去となり、次第に衰えが増して下り坂となり、思うように動けない肩身の狭い老後や人様の世話がなければ生きずらい老後ともなり、
それが長く続けば続くほどに身動きできない・生きた屍が如くの無残な格好ともなっていくのです。

何はともあれ…孤独になることが避けられないのであれば…元からして孤独の自由にして欲張らずに生きていればストレスも軽減されますから…その分だけ精神安定にして健全健康な老後となるのです。

そして精神安定にして・未練執着のない・思い残しがないとなれば…此れまで欲張ってきた罪の自己責任を全うした死にもなり…来世まで引きずらないですむのです。

何はともあれ…欲張らない実践を続けて死に至れば…三次元意識を卒業したことにもなり…死の世界・四次元を超えた…五次元以上の意識・精神体・生命体となるようです。

仙人という逸話があるのは何故でしょうか…

2018年05月06日 | Weblog
誰も皆が生まれた時から欲張らなければそれが当たり前の世の中になります。
だから自由平等調和にして・ストレスのない精神安定にして暮らしていることが当たり前ですから…特別ではなく普通の暮らしになります。

ところがこの世人間界は…これではダメだ何とかしなければと…不満と欲に執着して欲張って生きることが当たり前が如くの世の中となっています。

だからそんな世の中で生きていると心身ともに疲れます。

ところがひょんなことからして欲張ることに疲れていることに気付き、そこで欲張ることから離れた暮らしとなれば…当然ながらストレスのない穏やかな暮らしとなり、そのありがたさ・真価価値に気付き・自覚納得確信に至ります。
…だから二度と欲張る生活には戻りません…

それを言い換えれば…神様が神意識であって当然であり普通ですが、その神様が人間界に生まれ出て矛盾偽善を味わえば、当然ながら元の神意識であったことのありがたさに気付き・自覚納得確信となります。

となれば…矛盾偽善の人間から早く卒業して元の神意識に戻ることを自覚納得して実践に励みます。

そしてめでたく神意識に戻れば二度と人間意識には戻りません。

すなわち自己拡大を味わったのち自己縮小となれば、その自己縮小のありがたさに気付き納得確信となるのです。

そして二度と自己拡大に励むことはありません。

然るに信じるか否ではない…宇宙・神・愛の仕組みからして仕組まれた確かな真実事実なのです。

だから「お伝え」人として…飽きもせず根掘り葉掘り書き続けているのです…

そして今や面倒な精神世界を抜きにして・単純明快にして「欲張らい実践」一点張りとなっています。

だから大方の人が理解できているはずです。
…また人間の元は神意識からして…内心では自覚納得できているはずです…

ところが欲張らない実践となると…オマケ・ご褒美のない…なんとも味気ないように思っているところがあります。
…何たって事実にして味わっていないから・想像するだけですから…

何はともあれ…先ほど書いたように…神が人間に格落ちして初めて認識できる神のありがたさを自覚納得確信できるように…大元の宇宙・神・愛の仕組みが創造した自然界の中に人間として生まれ出ているのです。

然るに三次元意識の人間を終わらせる次元上昇の仕組みの中でもって私たちは生かされ生きているのです。

だから欲張らずにして生き永らえ、そのままにして死に至れば、その意識次元が上昇し、その意識でもっての(衣食住の必要ない)新たな生き様が(三次元の人間には見えないところで)始まるようです。
…だから(霞を食って生きている)「仙人」という逸話がありますが…原因があっての逸話となることからしていえば…本当の事実かもしれません…

欲張ることで幸せになることは絶対にありませんから早く卒業することです。

2018年05月03日 | Weblog
欲張ることは犯罪ではありませんが、宇宙・神・愛意識の精神世界からすれば人様に悪さをする罪作りになり、しかも己までも被害者となるしっぺ返しがあります。

そのしっぺ返しの多くが体の衰弱となる老人や長い老後ほど深刻になります。

ちなみに身近な世間一般を見ればその様が見とれ理解できるはずです。

しかも年老いたものだけが感じる・知ることになる悩みが多いのも事実です。

特に人が大勢暮らす町中の老後となれば…身動きがままならい哀れなご老体を見られることが恥・嫌なのか、散歩がてらに家から出ていくことさえも次第に減って引きこもりになる事例が多いようです。

ちなみに自営業で欲張り頑張り見栄はりしてきた私の母親は家の中での仕事づくめで街に出かけたり知人などの接点が少なくて、体は元気なのに何処へ出かけることもなくなり、またテレビさえ面白くないからと、部屋で静かに過ごす引きこもり同然でしたが、やがて手遅れ状態の肺がんでもって血を吹き出しながら死にました。

また私が過疎地暮らしを始めたころは私より年上で独り暮らしのご婦人が四人いまして、どなた様も金銭物質欲が強く過去も現在もそうとうに欲張り続けている様が見とれました。

そのうち(私の18年間のうち)三人は老後生活に便利な老人ホームに入居しましたが…野外に出ること・行動が少なくなって・衰弱が早まって…足早に死去しました。

ところでその中の二人は年老いての難聴と腰曲がりとなっていました。
三人目は右足が麻痺となり杖を使って野外に出ることもあったが、ほとんど引きこもり状態でした。
そして一番欲が深かったと思われる四人目のご老人は耳鳴りがひどくて部屋に閉じこもることが多くなり、そして定番が如くに足腰が弱り、排便さえ思うようにいかなくなり、入院介護となって、独身の息子が帰郷してその面倒を見ています。

ちなみに例外ですが…ご家族の送迎付きでもって・車いすに乗ってのパチンコに・毎日来ている老人がいます。しかも大年寄りのご婦人さんが増え続けています。

ちょっと前置きが長くなりましたが…
欲張ることはその分だけ苦労が伴います、また悩むことも不安心配にもなりますから、それが心身のストレスとなって当然なのです。
…だから欲張ってのめでたい結果だけではありません…

またそのストレスが万病の元なのは事実です。

だから欲張った罪作りのしっぺ返しが心身の症状病例となるのです。
また交通事故や現場事故や災害事故となることもあります。

ちなみに山あり谷ありの波乱万丈の人生をほめる人がいますが…欲が深かったのが原因です。

何はともあれ…欲張って世の中人間関係が自由平等調和となるのであれば…太古の昔に実現しています。

しかし事実は人殺し戦争や維新革命の繰り返しとなり、それがきっかけからして文化文明が進化発展しただけなのです。

そして何よりも自然界の荒廃によるしっぺ返しがずーっと続くのです。

ということは自然界の一員である人間にとっては致命傷となるのです。

しかもその危機感を持ちながらも知らんぷりしているのが大方です。

そして自分に都合がいい時だけ自然界をめでて楽しんでいます。

そんな得手勝手な矛盾偽善のある生活からして(お金財産があっても)悠々自適の老後となるはずは絶対にありません。

だから町中での引きこもり老人や病気入院介護や認知症となるのが当たり前です。

ちなみに親の介護をしながら己が年老いて老人となる老人王国が目の前に迫っていることを本気になる必要があります。

然るに先ほど紹介したご近所のご老人のように…幼いころから自然界に接していても欲張ることを続けていれば老後が安泰なわけがありません。

そして家族を巻き込んだ要介護の老後生活ともなり、それが長年続くと世話をしている家族もご老体となっていきます。

ところで私は矛盾偽善の人間関係よりも自然界と仲良く暮らすことを意識しています。

だから人間に害をなすといわれている諸々を敵対することもありません。

また敵対心がなければ薄暗い山林や藪の中でも平気で作業できます。

そして敵対心警戒心がないからか…害をなすはずの動物や害虫の珍しい生態や二度と見ることもない摩訶不思議な習性までも見せてくれました。

ちなみに摩訶不思議な信じるか否かのような事例が事実にして数多くありますが、ここでは紹介するのはやめときます…気になる人・知りたい人とメールでどうぞ…

ちょこっと横道にそれましたが…
欲張っている限り自然界を本気で意識することにもなりません。

となれば1000に1のような自然界の超常現象や魔訶不思議ともご縁がありません。

となれば矛盾偽善の人間界との接点記憶だけで人生が終わります。
…なんか勿体ないような気もしますが…

然るに街中での引きこもり老人とならない前に自然界と接することを多くするのも必要です。

ちなみに山菜取りや桜紅葉や名所巡りだけではなく自然界の中でボケーっとすることも必要です。

だから町中の引きこもり老後よりも・自然界の中での孤独の自由が老後には似合っていると思います。

ちなみに私の死後は廃屋となりますから、過疎地暮らしで自己縮小の実践を本気でする気があれば…私の死後であれば丸ごと無料で引き継ぐことができますが…現在のところ誰一人候補者がいません。

だから本気になる前の下見・見物がてらに来られるなら歓迎します。
詳しいことはメール(utyu21@yahoo.cm.jp)でどうぞ…

無理・余計・面倒なことから解放される孤独の自由からして欲と不満から離れ精神安定ともなります。

2018年05月02日 | Weblog
人間は得手勝手なものでして、自分の好きなこと・都合の良いことなら一生懸命頑張りますが、嫌いなこと都合の悪いことは面倒くさがります。

そして一生懸命頑張っているときは寝食を忘れて没頭します。

だから寝食がなくても生きていけるなら徹夜の連続でもって励むことでしょう。

それを裏返すと…食うことも寝ることも糞することも…本心では面倒だということです。

しかし空腹にもなり眠たくもなり糞が出たくなりますから…面倒ながらも従っているのです。

何はともあれ…面倒なこともしないで呑気に生きていれば…世間一般では変人扱いされます。

その世間的に変人に思われていた人が過去の記憶のなかに三人ほどいます。
…私に精神的影響をもたらした人ともいえます…

ちなみに戦後の学校にはこづかいさんの名称で呼ばれていた用務員さんがいましたしが、世間では軽蔑される傾向にありましたが、毎日ニコニコとして笑顔が似合う人でした。
また市役所の小間使い・下働きで満足して(自分に似合っているとして)出世を望まなかった人がいました。
また看護婦さんと呼ばれていた女性の介護士が上司から上に立つように勧められたが、今以上のことをしたくなとして断った人がいました。

然るに見栄(不満と欲)がなければ自分に見合った当たり前が如くにして楽に生きていくことにもなるのです。

ちなみに孤独の自由を書いているのも…
人が集まるところには否定反発排除・束縛制限支配したがるところがあるからです。

然るに人が集まれば・欲からして・面倒なことにもなるからです。

しかも善悪優劣損得でもって比較判断したり差別ともなっています。

また好きな人と恋愛し結婚し家族家庭を持つも・自分に都合がいいことばかりではなくて・互いが面倒なことを押し付け合う関係ともなります。

だから孤独の自由を事実にして味わっているものだけが人間関係の矛盾偽善に気付けるのかもしれません。

そして欲と不満から離れることができた人が…
精神安定にして・空白が如くの人生のなかで・心身の健全健康でもって・寿命が尽きるまで・死ぬまで生き続けることになるようです。

健全健康にしてロマンあふれる老後

2018年05月01日 | Weblog
苦労しながらにして何か事を成すことが人間らしいと思っているかもしれませんが、それは思い込み洗脳なのです。

ちなみに私も過去は自己拡大に励んでいました。

ところが仕組まれ続けて質素素朴な過疎地暮らしとなったことからして…食って寝て糞をするだけのようなグータラ生活となりました。

そして気付いたことをブログに書き続けていますが、書きながらにして気付くことも多くなり、簡単明瞭ながらも次第に内容が奥深くなっています。

そして今では肉体や感情体でもって苦と楽の喜怒哀楽で生きることよりも…心静かな精神体でもって生きることを書き続けています。

然るに人間は元からして心静かな精神体にして楽に生きていればよかったのに…釈迦やイエスらを含めて…これではダメだ何とかしなければと…その不満と欲の執着からしてことを成そうとして…結果的に頑張り見栄張り欲張り続けことになりました。

そして文化文明が進化発展するも自然界がおかしなことになり人間関係も欲の集団が如くになって精神世界が疎かになっています。

何はともあれ…肉体や感情体で生きることから卒業して精神体で生きることが人間本来の役割使命なのです。

ところが精神世界さえも艱難辛苦の荒行や修業や無となる瞑想や聖書経典が必要と説く人もいますし、大勢の人を集めて神仏霊魂を説く霊能者教祖先生もいますし、超能力からして人を集めたがるスピ系の人もいます。
…然るに精神世界さえも特別になっているのです…

ところがそれら類は欲絡みの精神世界ですから結果的には何かと苦労します。
ちなみにお金と時間の浪費にもなっています。
そして苦労の甲斐あっての喜びとなれば…やはり喜怒哀楽になります。

何はともあれ…国家社会や教育指導や組織団体や諸々の人様に関係ないところの己の精神のあり様が最も重要なのです。

そして単純明快にして<欲張らなけれ>何の問題もないのです。
たったそれだけで自由平等調和の世界になるのです。

ところが皆一緒になっての実践ができないから…致し方なく…孤独の自由にして実践するしかないと書いているのです。

そして実践しているものだけが心静かな精神安定にして日々生活できるのです。

何もむつかしく思い考えることでもないのです。

ちなみに人間本能に欲がありますから、その欲をなくすることは絶対に無理だから、その欲に執着しなければ・すなわち欲張らなければいいだけです。

また心静かな精神安定となって暮らすようになれば当然ながらその価値を見出しますから巷の人為人工的な変化刺激となる趣味嗜好娯楽が色あせてくるのです。
…変化刺激に惑わされているから精神世界が疎かにもなったのです…

すなわち精神安定にして暮らすことに慣れてくると…何かと面倒で騒々しい人為人工的な変化刺激を欲しがらなくなり次第に色あせて必要なくなるのです。

ちなみに自己拡大中の60歳ころまでは家庭常備薬や栄養剤やサプリが必要でしたし整体医院にも通っていましたが呑気な過疎地暮らしになってからは薬いらず医者いらずの健康体で暮らしています。

…だから毎年現れ出ている謎の発光体よりも…
宇宙船から全裸の美女が降り立ち微笑んでくれるようなことにならないかと…未だに若者が如くのロマンを持っています。

また肉体的にも感情的にもストレスのない暮らしぶりからして当然ながら拘り執着未練のない・思い残しのない老後人生ともなっています。

となれば…死さえも当たり前に思えて…不安も恐れもありません。

然るに…欲張らないことからして諸々のストレスから解放されて…我が身・心身が救われているのです。

だから皆さんに…ロマンあふれる老後のためにも…欲張らない実践を勧めているのです。