私が過疎地で暮らし始めたころご近所のおばさんたちは私のことを買いかぶり金持ちで社会的地位にあった人が自然界の中で暮らすことを望んで住み着いたように思っていました。
何たって誰も買い手がなかった廃屋を買ってまで移住し、しかも仕事をしないで山で遊んで暮らしているのだから、また訪れてくる人も優雅な暮らしをしているようだから、また家族を町中に残して住み着くくらいだから…よほどの余裕がある人で財産家だと思われていました。
またパート先の牛舎のオーナーも私が孤独の自由と貧乏を楽しんでいるさまを見て優雅な生き方をしていると感心しています。
ちなみに私自身も優雅な暮らしをしていると思っています。
何たって自然界の四季折々の変化を味わい・山菜や山野草を直に味わい触れ楽しんでいるのですからね。
また暇からして焚き木で暖をとったり・薪で風呂を沸かしたり、
また食事の時間に関係なく食することで空腹こそが最高の料理となるように…
貧乏を味わうことで…これまで当たり前だったことが…最高の贅沢や道楽娯楽に変わり…また昔の良さを再認識することになり・此れまでの意識とは変わってきました。
だから人為人工的な変化刺激や趣味嗜好娯楽がストレスの原因となっていることも自覚実感しています。
何はともあれ…衣食住に満たされ健康で悩みも心配もなく、また人の事を気にしないで好き勝手で優雅な暮らしているのは事実です。
だからご近所の人から見ても…世渡り人生に失敗して致し方なくおんぼろな廃屋で暮らしをしているという暗いイメージがなく…
自らが選んでの素朴で謙虚ながらも・何かしら自信に満ちて過疎地暮らしを楽しんでいるように思っています。
と言うことは…見えている形結果じゃなくて・己の思い意識や精神や心しだいなのです。
だから私が暗ければ暮らしぶりも暗く見えるが、私が明るければ優雅な暮らしに見えるのです。
また私自身もその優雅な暮らしを実感自覚できて・それが自力と自信と精神力にもなっています。
何はともあれ…自らが欲張らない実践にして素朴謙虚にして生きていればそれが優雅な暮らし・幸せに思えるように…己の精神意識が変わるのです。
だから物質金銭や結果形や肉体や感情体に拘り執着して生きることよりも己の精神体でもって生きていくことが肝心となるのです。
何たって誰も買い手がなかった廃屋を買ってまで移住し、しかも仕事をしないで山で遊んで暮らしているのだから、また訪れてくる人も優雅な暮らしをしているようだから、また家族を町中に残して住み着くくらいだから…よほどの余裕がある人で財産家だと思われていました。
またパート先の牛舎のオーナーも私が孤独の自由と貧乏を楽しんでいるさまを見て優雅な生き方をしていると感心しています。
ちなみに私自身も優雅な暮らしをしていると思っています。
何たって自然界の四季折々の変化を味わい・山菜や山野草を直に味わい触れ楽しんでいるのですからね。
また暇からして焚き木で暖をとったり・薪で風呂を沸かしたり、
また食事の時間に関係なく食することで空腹こそが最高の料理となるように…
貧乏を味わうことで…これまで当たり前だったことが…最高の贅沢や道楽娯楽に変わり…また昔の良さを再認識することになり・此れまでの意識とは変わってきました。
だから人為人工的な変化刺激や趣味嗜好娯楽がストレスの原因となっていることも自覚実感しています。
何はともあれ…衣食住に満たされ健康で悩みも心配もなく、また人の事を気にしないで好き勝手で優雅な暮らしているのは事実です。
だからご近所の人から見ても…世渡り人生に失敗して致し方なくおんぼろな廃屋で暮らしをしているという暗いイメージがなく…
自らが選んでの素朴で謙虚ながらも・何かしら自信に満ちて過疎地暮らしを楽しんでいるように思っています。
と言うことは…見えている形結果じゃなくて・己の思い意識や精神や心しだいなのです。
だから私が暗ければ暮らしぶりも暗く見えるが、私が明るければ優雅な暮らしに見えるのです。
また私自身もその優雅な暮らしを実感自覚できて・それが自力と自信と精神力にもなっています。
何はともあれ…自らが欲張らない実践にして素朴謙虚にして生きていればそれが優雅な暮らし・幸せに思えるように…己の精神意識が変わるのです。
だから物質金銭や結果形や肉体や感情体に拘り執着して生きることよりも己の精神体でもって生きていくことが肝心となるのです。