孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

死ぬより大変なことが・生きている中にある。

2018年02月23日 | Weblog
死ねば無となる…と思っている人もいますが、その無からして有になることは天地がひっくり返っても絶対にありません。

そして(何度も書いているから)結論を早めれば…この世人間界が結果で…あの世が原因なのです。

そして人間は肉体と感情体と精神体を持った結果であり…その中の精神体が本命であり…肉体と感情体は人間として生きていくためのおまけの付属なのです。

となると…肉体や感情体で生きていることは…本命の精神体を疎かにしていることになるのです。

然るに死してあの世に持っていけない衣食住や趣味嗜好娯楽に拘り執着して仲間を集めたり先生や名人となるも、また名誉名声肩書や権威権力や財力を欲しがり欲張って生きていることは…精神世界を疎かにした愚か者が成す行為なのです。

ゆえに巷で様々な精神世界が必然にして説かれているのです。

ところが巷の精神世界さえも…世間に目立ちたがるものや人集め金集め物売りに精出す者や組織化して勢力拡大を目指す邪な輩が多いのも事実です。

そこで結論を早めれば…
欲と不満はキリもなく続くことからして文化文明が進化するも人間精神は未熟なまま・愚かなままに推移します。

だから不完全で矛盾偽善に満ちたこの世人間界の中で生きていくからには…欲と不満とその執着から離れない限り…喜怒哀楽のストレスにまみれた人生でもって終えることになるのです。

とは言っても…死ぬことは大したことではありません…痛くもかゆくもなく単に深い眠りにつくのと同じですし…しかも思い意識次第で来世があるかもしれません。

ところが肉体でもって様々な変化刺激や快感快楽の自己満足を味わうことからして…そのしっぺ返しとなる肉体の過労疲労や激痛などの肉体的な限界をキリもなく味わう・大変なことを味わう羽目にもなります。

特に老後や死に際に多く味わうことになります。

また感情体でもって自己表現行動し自己満足するも、その裏では不満・不安心配恐れ怒りに止まらずにして妬み嫉妬や憎悪までに至れば…人間として抑えきれない過剰な感情や何でもぶち壊し破壊したがるサタンが如くの激情を自らが味わって死に至ります。

だから感情的なストレスは肉体的ストレスよりも深刻な状況になります。

然るに自己破壊の自殺や集団自殺や人殺しや戦争の他者破壊につながっています。

ところが精神体でもって欲張らず・不満にならず・執着することにならなければ…心穏やかな精神安定にして日々を生きて・その老後と思い残しのない安らかな死に至ることになります。

何はともあれ…若かりし頃の肉体や感情のストレスには耐えることができても年追えば様々な症例病例が出てきて苦しみ苦悩となり…悠々自適の老後がさんざんな目になり、また死ぬにも死にきれない思いでもって死に至るかもしれません。

ちなみに金銭物質的なことでは満足するも精神的満足が無ければ生きている甲斐もなくなるのです。

然るに姿形の物質的な満足よりも・見えないところにある内なる精神的な満足・納得が無ければ中途半端で・生きている値打ちが見出せずにして・生きている甲斐がないのです。

然るに精神体でもって生きていくことが重要となるのです。