ちなみに私は自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって過去も生きていたし現在も個人意識丸出しで生きていることに間違いはありません。
だから自分の思うがままに・自由に・自分のために生きて・昭和の高度経済成長からしての新製品を数々先駆けてきました。
そして見合い結婚でもって新婚生活が始まるも自分の都合・自分の思いを優先する個人意識でもって正直に生きてきました。
そんな中に…妻や子らの喜ぶ姿を見ると私も喜びになることからして…その妻や子らに喜んでもらうために私が率先していたのも数多くあります。
と言うことは…自分さえ良ければの個人意識丸出しの正直さでもって妻や子と接し触れ合っていたのですから→偽善には当たりません。
そして家族よりも自分を優先するときは、私一人で出かけて遊び仲間と一緒に楽しむことになりますから…妻や子らに関係のない「自分のため」となります。
然るに家族と一緒に生活していても…基本的には「自分のため」にしていたことになり…妻や子らのために尽くすという偽善にはなりません。
ところが夫や妻や子のために私が尽くしていると思えば偽善になります。
だから世のため人のために私は尽くしている・私が犠牲になっていると思えば自惚れ慢心の偽善となります。
と言うことは個人意識丸出しの正直さで生きることが人間本来であって、それを世のため人のために生きている・尽くしている・奉公している・犠牲になっている…となれば偽善で生きていることになるのです。
そして世間を見渡すと個人意識で生きている人は世間ではあまり目立たないが、世のため人のために尽くしているというタイプの偽善者が何かと目立つ立場にいますし、国家政治経済教育指導を自分が思うままに操っていますし、己が偽善者であることを自覚している人も多いはずです。
また災害被災地のボランティア活動に参加する多くの人は偽善になると知っているはずです。
すなわち自分のためではない・自分のことではなくて…ある特定の人様のために行動するということ自体が偽善なのです。
そして被災地の人が喜んでいることが自分の喜びになっている人も多いはずです。
ところがそれを自慢に思えば・人様に自慢したがれば…自分の喜び楽しさのための純粋さが消えて…己を善人に見せ掛けるための偽善になります。
然るに世間に目立つ人たちは善人ずらした偽善の王様なのです。
然るにちょっとした・紙一重・表裏の違いで…善が偽善に変わるのです。
だから己の思いが先立たない・成り行き任せ・自然体の重要性が言われるのです。
だから自分の思うがままに・自由に・自分のために生きて・昭和の高度経済成長からしての新製品を数々先駆けてきました。
そして見合い結婚でもって新婚生活が始まるも自分の都合・自分の思いを優先する個人意識でもって正直に生きてきました。
そんな中に…妻や子らの喜ぶ姿を見ると私も喜びになることからして…その妻や子らに喜んでもらうために私が率先していたのも数多くあります。
と言うことは…自分さえ良ければの個人意識丸出しの正直さでもって妻や子と接し触れ合っていたのですから→偽善には当たりません。
そして家族よりも自分を優先するときは、私一人で出かけて遊び仲間と一緒に楽しむことになりますから…妻や子らに関係のない「自分のため」となります。
然るに家族と一緒に生活していても…基本的には「自分のため」にしていたことになり…妻や子らのために尽くすという偽善にはなりません。
ところが夫や妻や子のために私が尽くしていると思えば偽善になります。
だから世のため人のために私は尽くしている・私が犠牲になっていると思えば自惚れ慢心の偽善となります。
と言うことは個人意識丸出しの正直さで生きることが人間本来であって、それを世のため人のために生きている・尽くしている・奉公している・犠牲になっている…となれば偽善で生きていることになるのです。
そして世間を見渡すと個人意識で生きている人は世間ではあまり目立たないが、世のため人のために尽くしているというタイプの偽善者が何かと目立つ立場にいますし、国家政治経済教育指導を自分が思うままに操っていますし、己が偽善者であることを自覚している人も多いはずです。
また災害被災地のボランティア活動に参加する多くの人は偽善になると知っているはずです。
すなわち自分のためではない・自分のことではなくて…ある特定の人様のために行動するということ自体が偽善なのです。
そして被災地の人が喜んでいることが自分の喜びになっている人も多いはずです。
ところがそれを自慢に思えば・人様に自慢したがれば…自分の喜び楽しさのための純粋さが消えて…己を善人に見せ掛けるための偽善になります。
然るに世間に目立つ人たちは善人ずらした偽善の王様なのです。
然るにちょっとした・紙一重・表裏の違いで…善が偽善に変わるのです。
だから己の思いが先立たない・成り行き任せ・自然体の重要性が言われるのです。