孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

善悪優劣損得の矛盾で生きていることに価値はないが…しかし…

2018年08月14日 | Weblog
この世人間界の誰も皆が一人残らず良い悪いで判断し、好き嫌いで選り好みし、損得勘定で生きている事実があります。

然るにその矛盾で生きていることは…どっちでもない・どっちにもコロコロ変わる・定まりのない・いい加減な生き様になります。

だから生きているようで生きていない・死んだも同然の生き方になります。

然るに生きている価値がない・生きている価値を見失った・愚かな人生一生となります。

しかもそれで止まらずにして防衛本能と攻撃本能からして守るために戦うという矛盾があり、それが勝てば官軍負ければ賊軍呼ばわりされる矛盾もあります。

ちなみに天草四郎が引き起こした島原の乱が天草四郎の勝ち戦となりそれが次第に全国に広がればやがて宗教国家となっていたかもしれません…

ところがしかし島原の乱で戦ったのは多くの庶民やその他大勢の下級武士です。
然るにフランス革命や明治維新も同じです。

ちなみに映画ドラマで描かれているように突撃するほうも守備するほうもバッタバッタといとも簡単に人間人生が終わる・戦死しているさまを見て…
正義が勝っただの聖者の勝利となるシーンを見て…
その大勢の戦死者や負傷者があなたや兄弟身内友人であればどうでしょう…
またその罪は誰のものでしょう…

またモーセの海割れ現象で溺れている騎士があなたであれば…そのモーセを聖者に思えますか?…命令に従っている追手のあなたに何の罪がありますか…
また911で高層ビルに激突するも艦隊に体当たりする神風特攻隊も同じようなものです。

不意打ちの真珠湾攻撃も原爆投下もどっちもどっちでは…

書けばキリもなく事例がありますが省きます。

何はともあれ善悪優劣損得で判断していることは矛盾だけに白黒つけたがりますが、それを長い目で見ればどっちもどっちの結果になるのです。

ところが「私は正しい」となると事と次第がどんどん大きくなって喧嘩にもなるし傷害沙汰にもなるし人殺し戦争にもなります。

然るに<執着>すればダメよとなるのです。

だから人間本能の欲が出て執着すれば<欲張り>になるのです。
そして欲張れば欲張るほど事と次第が大きくなっていくのです。
然るに大は小から始まっているのです。

だから欲張っちゃダメよと書いているのです。

何はともあれ先ほど書いたように善悪優劣損得の矛盾で生きていることに価値はないが…
しかし…矛盾で生きていることに気付きそれが自覚認識となれば(死んだも同然からして蘇り)生きていく価値が見いだせるのです…ちなみに私の過去が当てはまります…

またそれが人間として生きている役割使命だと思っています。

しかも小から大となっている事実からして日々の些細な矛盾に気付いていけば大ごとにならずに済むのです。

ところがあなた一人の世界ではありません。
また欲絡みで集まっている人間関係だけにあなたの力量で何とななるような簡単なものではありません。

そこで長々と書くのをやめにして結論から言えば…
自分さえ良ければの個人意識からして(自分のために・己の精神のために)孤独の自由になって己の自力と自信と自己結果と自己責任の独自独歩で生きていくしか他に道はありません。

しかもこの世人間界が矛盾に満ちているからには何を成せども同じ矛盾の結果になることからして…いま以上に欲張らずにして…自分にできる当たり前のことを成しながら…世間の片隅で心静かに生きていけば矛盾から離れた生き様にして…心身のストレスから解放された生活となります。

そして欲から離れるごとに人間関係が少なくなり孤独の自由が本物になります。

ちなみに人間関係があるよりも孤独の自由がいいのもなんか変ですね、
また戦争で簡単に死んでいく様からして命が安っぽく思いませんか、
また有史以来繰り返されている維新革命戦争ごとに物質文化文明が進化発展するのもなんか変では、

その原因は一体何でしょうか…自問自答すればどうでしょう…