孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

無駄で無用で面倒な人間関係から離れ必然ご縁に限られた人間関係となると(続編)

2018年08月25日 | Weblog
必然ご縁に限られた人間関係となると…成り行きの必然関係だけに…無駄で面倒な不満になるよりもお互いが喜び楽しさ満足な結果になります。

ちなみに私が山菜を収穫するのも暇な時間つぶしに役立つし、自然の恵みである山菜を見つけて(発見する喜びと)収穫できる喜び楽しさも味わえます。
…捜し歩くことや収穫する手間労力が苦になることはありません…

然るに…苦がなくて喜び楽しさを味わうだけですから…矛盾になりません。

何はともあれ…暇さえあれば…自然界と接し触れ合い…苦労もなく金いらずにして…様々な喜び楽しさ満足や充実感が味わえるのです。

また牛舎のオーナーから現物支給されるお米も…出荷して儲けた後の自家用に貯蔵していたものをおすそ分けする感覚でありそして相手が喜ぶのですから…
そんなに苦労したわけでもないのに私が喜んでくれることは…オーナーにとっても喜び嬉しさ満足となりますから…矛盾とはなりません。

ちなみに野菜やトマトハウスの農家の場合も同じです。

と言うことは…自然の恵みである山菜や農産物が人それぞれに回りまわりながら…それに関わる人が苦や不満の伴わない喜び満足を共に味わっていることになります。

ちなみに私は…愛のキャッチボール…と称しています。

それでも…おすそ分けする物品の質量や価格格差に思い…多い少ないで判断すれば…愛ならぬ欲絡みになります。
然るに成り行きのお陰様や互い様の関係ではなくして優劣損得で判断し差別したことになります。

何はともあれ…日々暇している私の場合はごく限られた人間関係だから…必然ご縁あって交流できることさえも楽しさ喜びにもなります。

またその時々の必然ご縁に限られた人間関係となると…その時その場で一旦終わり執着にはなりません。

だからまた再会するご縁があればいいと思うも納得して終わっていますから…あとのご縁は当然ながら成り行き任せになります。

何はともあれ…日々の人間関係に拘り執着しなければ自然体の関係となって面倒なことにはなりません。