完全なる宇宙・神・愛の仕組みからして実在している宇宙万物・人類・自然界は同じ完全ですから、猿から人間が生れることは絶対にありません。
ところがしかし人間だけが良い悪いで判断する不完全意識・矛盾意識をもって生れていますから、姿形は完全でも心意識に矛盾偽善があって当然です。
然るに熱い愛情でもって恋愛するも、めでたく結婚するも、やがて時と共にその熱が冷めて離婚・離別・独居生活・孤独となるかもしれません。
また夫婦の愛の結晶とやらの愛情でもって子供を育て熱心に指導教育しつけを成すも、しかしその矛盾・裏が出てうまい具合にはいっていません。
また溺れる者わらをも掴むからして信仰宗教・スピ系に足を運ぶも、その不完全・矛盾偽善からして救われ助かることは絶対にありません。
そんなインチキカルトではなくして絶対的な結果が出る医科学に頼るも、しかし不完全・矛盾・偽善からしてその弊害副作用に苦悩することにもなっていますし、更に地球環境がおかしなことにもなって人類が滅亡する危機にもなっています。
そんな中で何とかしなければと国家社会・政治経済でもって対処するも焼け石に水が如くに次から次と問題が続出してキリがありません。
然るに原子力発電の問題や大地震の心配もあるし交通事故死が年間4千人を超え自殺者は3万人を超えているようです。
更に10年後には老人大国になると言われていますし、10人のうち3人が認知症になると統計予測されているのが気になります。
然るに何度も書いているように不完全意識の人間が何を成せども同じ不完全な結果が出ることからして「どうしようもない」と明確に根堀り葉堀り書いていますが、
そこで矛盾偽善の積み重ねにならない自己縮小の実践を「此れしか無い」とばかりに極め付け絶対的に書くも、
しかし関心度・真剣さ・実践意識は低いようです。
然るに自分に都合がいい事は自分のことにしたがるが、都合が悪いことは他人事・蚊帳の外に置いときたがるところがあります。
だから判っているけれど守れない・実践できない、
然るに「医者の不養生」が言われるわけです。
と言うことはこの先で「溺れる者わらをも掴む」が如き状況になってから後悔反省するしかないようです。
もしかすると既に現在味わっている最中の人も多いかもしれません。
然るにそれでは時遅しの手遅れですからどうしようもありません。
だから医科学や宗教スピ系の他力に頼っているかもしれません。
その他力依存から抜け出して自力自信の精神力でもって生きて行くことを書いていても多分ながら「糠に釘」となっていることでしょう。
然るに私達よりも文化文明から取り残されたが如くの原住民や高原・山岳・平原・砂漠民族や南海の孤島や極限の地で暮らしている人たちのほうが自力自信の精神力・心は豊かなことでしょう。
然るに今どきの若者が山奥ニート・Bライフ・サイレントテロなる形を実践しているのを私は納得できます。
然るに私は不完全なこの世人間関係の矛盾偽善から卒業して過疎地でもって多くの金銭物質を必要としない生き方にして家族と離れた孤独の自由を味わっています。
またそれだけにこの世人間関係が「お互い様・お陰様」の関係でもって成り立っていることが深く理解できました。
だから私一人の孤独であってもお互い様でありお蔭様ですから全体的には孤独ではないのです。
ただ自力と自信の精神にして(自分に無理なく出来ることをしながらにして)思うがままの自由に生きているだけです。
然るにそれが心身の健全健康につながっているのです。
だから特別に楽しくはないが、何やら楽しんでいる感じです。
ちなみに必然ご縁の人と接していると何やら自然に微笑み笑顔が出て来てそれを楽しんでいることに気付きます。
だから美味しいもの、美しいもの、楽しいものを探し求めなくても十分納得できているのです。
ところがしかし人間だけが良い悪いで判断する不完全意識・矛盾意識をもって生れていますから、姿形は完全でも心意識に矛盾偽善があって当然です。
然るに熱い愛情でもって恋愛するも、めでたく結婚するも、やがて時と共にその熱が冷めて離婚・離別・独居生活・孤独となるかもしれません。
また夫婦の愛の結晶とやらの愛情でもって子供を育て熱心に指導教育しつけを成すも、しかしその矛盾・裏が出てうまい具合にはいっていません。
また溺れる者わらをも掴むからして信仰宗教・スピ系に足を運ぶも、その不完全・矛盾偽善からして救われ助かることは絶対にありません。
そんなインチキカルトではなくして絶対的な結果が出る医科学に頼るも、しかし不完全・矛盾・偽善からしてその弊害副作用に苦悩することにもなっていますし、更に地球環境がおかしなことにもなって人類が滅亡する危機にもなっています。
そんな中で何とかしなければと国家社会・政治経済でもって対処するも焼け石に水が如くに次から次と問題が続出してキリがありません。
然るに原子力発電の問題や大地震の心配もあるし交通事故死が年間4千人を超え自殺者は3万人を超えているようです。
更に10年後には老人大国になると言われていますし、10人のうち3人が認知症になると統計予測されているのが気になります。
然るに何度も書いているように不完全意識の人間が何を成せども同じ不完全な結果が出ることからして「どうしようもない」と明確に根堀り葉堀り書いていますが、
そこで矛盾偽善の積み重ねにならない自己縮小の実践を「此れしか無い」とばかりに極め付け絶対的に書くも、
しかし関心度・真剣さ・実践意識は低いようです。
然るに自分に都合がいい事は自分のことにしたがるが、都合が悪いことは他人事・蚊帳の外に置いときたがるところがあります。
だから判っているけれど守れない・実践できない、
然るに「医者の不養生」が言われるわけです。
と言うことはこの先で「溺れる者わらをも掴む」が如き状況になってから後悔反省するしかないようです。
もしかすると既に現在味わっている最中の人も多いかもしれません。
然るにそれでは時遅しの手遅れですからどうしようもありません。
だから医科学や宗教スピ系の他力に頼っているかもしれません。
その他力依存から抜け出して自力自信の精神力でもって生きて行くことを書いていても多分ながら「糠に釘」となっていることでしょう。
然るに私達よりも文化文明から取り残されたが如くの原住民や高原・山岳・平原・砂漠民族や南海の孤島や極限の地で暮らしている人たちのほうが自力自信の精神力・心は豊かなことでしょう。
然るに今どきの若者が山奥ニート・Bライフ・サイレントテロなる形を実践しているのを私は納得できます。
然るに私は不完全なこの世人間関係の矛盾偽善から卒業して過疎地でもって多くの金銭物質を必要としない生き方にして家族と離れた孤独の自由を味わっています。
またそれだけにこの世人間関係が「お互い様・お陰様」の関係でもって成り立っていることが深く理解できました。
だから私一人の孤独であってもお互い様でありお蔭様ですから全体的には孤独ではないのです。
ただ自力と自信の精神にして(自分に無理なく出来ることをしながらにして)思うがままの自由に生きているだけです。
然るにそれが心身の健全健康につながっているのです。
だから特別に楽しくはないが、何やら楽しんでいる感じです。
ちなみに必然ご縁の人と接していると何やら自然に微笑み笑顔が出て来てそれを楽しんでいることに気付きます。
だから美味しいもの、美しいもの、楽しいものを探し求めなくても十分納得できているのです。