孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

大勢の人が孤独と自由がなくしてその<孤独感>でもって生きているようです。

2015年07月29日 | Weblog
人間は概ねにして肉体・感情体・精神体でもって生きています。
その中の精神体でもって生きるのが本命なのですが、それだけでは面白くないから肉体や感情体を使って今を生きていることを味わい感じています。

また孤独にして生まれ孤独にして育ち孤独にして死ぬのが人間なのですが、その孤独が寂しくて何かと人間関係を築き絆を深めようとするのですが、それが原因からして孤独の自由を失う羽目にもなっています。

だから皆さんは思うがままの自由にして生きていません。
然るにそれが不平不満の原因にもなっています。

それでは生きている気もしませんから、そこで肉体関係や恋愛感情や趣味嗜好娯楽でもっての変化刺激や快感快楽を味わうことからして、それで何とか人間らしく生きているようにも思えるのですが、その多くは肉体と感情体の自己満足ですから精神体では満足していません。

だから心の中が空洞になっていて何だか虚しく寂しいのです。
なのに持ち前の精神体を使わずにして人様の肉体や精神体と関わることばかり繰り返しているから尚更に心から満たされません。

そこで今度は巷の神仏霊魂・信仰宗教・精神世界、超能力・霊力・念力、手かざし・チャネリング・ヒーリング・カウンセラーなる他力依存的な形を趣味嗜好娯楽が如くの好き嫌いの感情で選び、その形に接し触れてみるものの、これまた恋愛感情が如くに自己満足や不平不満でくっ付いたり離れたりしているのですが、
しかしそれらすべてが矛盾の偽善に満ちていますから心の満足は得られません。

しかもそれら主催する諸々諸氏も精神的には(まだまだ未熟だから)心の中では大きな隙間があって虚しく寂しいから、その埋め合わせ代替に世間に目立つことをして、そこで多くの人の関心を集め華やか賑やかに振舞ったり、また人集め金集め物売り・メシのタネにまでにして自己満足・自惚れ慢心しているのです。

然るに精神世界に関わるも(どこ吹く風の如くの意識になって)精神体で満足し切れていないのです。

ちなみに自力自信の精神力で生きていたならば、笛や太鼓や客寄せパンダを使ってまで(面倒を持ち込むような)(どうしようもない意識の)人様を自らが呼び寄せたりしません。

然るに自力自信の精神力を磨き高めるために独自独歩でもって水面下で静かにして己の思うがままの自由にして(個人意識丸出しでもって)「自分の為に」生きています。