孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

否定反発の無い関係、お陰さまとお互い様の関係、自由な関係であれば、欲張らないで生きていけます。

2015年07月22日 | Weblog
ただ生きているだけでは面白くないから趣味嗜好娯楽でもって自己満足を求めることにもなっています。
そして肉体・感情体で味わい感じる変化刺激・快感快楽の自己満足があります。
また精神体で味わい感じる巷の神仏霊魂・信仰宗教・精神世界の類も趣味嗜好娯楽・変化刺激が如くの自己満足になっています。

その自己満足を求める裏には不平不満が隠れています。
だから喜怒哀楽の繰り返しになっています。

そんな苦楽の伴う生き方から卒業するには~欲張らない、頑張らない、見栄張らないで、無理しないで「楽ラク」に生きる実践を書いています。
然るに少しでも良くなりたい、少しでも楽しくしていたい思い・欲から卒業して「少しでも楽に生きるため」の実践です。

ところが面白く楽しく喜びに満ちた生き方、変化刺激に富んだ生き方をしてきただけに、何か物足りなさを感じると思います。
然るにそれが不平不満の原因なのです。

ところが実際に実践していると変化刺激が少ないだけに尚のこと食って寝て糞をしているだけのような単調な生き様の中にも喜び楽しさを味わい感じることが出来るようになります。

然るに「食べる」ことの出来る喜び楽しさ、「寝る」ことの出来る喜び楽しさ、「糞が」出る健康の喜び楽しさ、
然るに人間本来の<今を生きている>ことの喜び楽しさが味わい感じることになります。

ちなみに私は15年間毎日毎回食事のメニューがあまり変わりませんが美味しくいただいていますし、一晩に2回から3回夢を見ていますから、それが眠りの中で変化刺激を味わっていますし、健康だから虫刺されや水虫が気になる程度で体調は良好です。

そして出来ることなら(望むとしたら)否定反発の無い人間関係となって「共に食べる」「共に寝る」「共に遊ぶ」ことが出来る、その共に喜び楽しみ共有できる素晴らしさを味わい感じることが出来ればと思っています。

そうなれば此れまでの共にいるだけの価値観ではなくして、互いの心に届く本物の価値を味わい感じることが出来ると思います。

そして欲張らない関係からして不平不満も出てきません。

また束縛制限し合わない関係からして互いが自由ですから思い思いに生きていけます。

そして暇で退屈な時間を共に過ごすことになれば自然界の中に出掛けていって散策したり、四季折々を鑑賞したり、自然界の恵みを採取収穫してそれを味わったり、日の出や夕焼けや星空や月夜を共にすごしたりしながらも、ふと互いの目線が合ったときに微笑み合えるようにもなります。

然るに生きている価値を十分に味わえますから、他の特別な趣味嗜好娯楽・変化刺激・快感快楽に執着依存することにはなりません。

だから欲張らずに楽に生きることを理解し納得した者同士が寄り添えば否定反発することも束縛制限し合うことも無くなります。

然るに自由平等にして調和のある人間関係で共に生きていくことになります。

だから個人意識丸出しながらもお陰さまとお互い様の関係で何事もなく穏やかな生き様を味わえます。

しかしながら否定反発しない自由意識とお互い様とお陰さまの平等意識でもって、尚且つ欲張らないで楽に生きることを望んでいるような人が身近にいないだけに、やはり私一人の独自独歩で生きていくしかないのです。

しかしそれでも、時たまに私の意識に似通った人との交流やメール交換や電話での会話関係がしばらく続けば、それが生きている中での「付録のおまけ」だと思っています。