孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

”私は違うぞ”の「否定反発」が無くなれば諸悪の根源・闇意識の原因である不平不満が無くなります。

2015年07月21日 | Weblog
人間は自由にして公平でなければなりません。
だから否定反発・束縛制限支配してはなりません。

然るにそれが「愛」と言われています。
だから人それぞれが思うがままに自由にして生きていくことが出来ます。

ところが皆が公平では面白くないとばかりに、私は”人とは違うぞ”とばかりに特別なことを始めだした輩がいます。
その多くが占師・魔術師・摩訶不思議を成す特別な者たちです。

そして特別な術を成して神業の如くに思い込ませ、そんな私は神の如くに正しいとばかりに思い込ませ、それを(神仏)信じているか否かを試すが如くのようにして残酷な人身御供・人柱・生贄を供えることを言い出した輩が過去にいるように、

だから先祖供養や親孝行や善行奉仕を説いたりして、その善と悪・天国と地獄・幸福と不幸を説いて、然るに飴とムチを使い分けて人心を惑わし、そして自分の都合がいいように操って組織拡大や勢力拡大にしたり飯のタネにしたり世間で目立ちたがっているのです。

しかも個人意識で生きていることを”そんなことではダメ”恥を知れ”とばかりに説教して、それとは異なる特別なことを美化・美徳にして、それを成さなければならないように思わせたのです。

だから皆さんも”私は違うぞ”とばかり特別なことをしないで、お互い様・お陰様の人間関係に気付き、”にらめっこ”恨めっこ”ドングリの背比べ”のない、自他共に否定反発の無い穏やかな心でもって、自由と差のない公平の精神でもって生きていくことです。

とにかく”私は違うぞ”の「否定反発」が無くなれば、諸悪の根源・闇意識の原因である不平不満にもならないのです。

ところが何度も書いているように、多くの人が否定反発するのが当たり前の如くになっているこの世人間関係だけに、やはり「どうしようもない」人様のことを気にする事無くほっといて、己の思うがままの独自独歩の自由にして世渡りするしか他に道が無いのです。