孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人は見掛けによらぬこと、だから内なる心意識を読み取るだけの精神力が必要になるのです。

2015年07月23日 | Weblog
同じ集落の60代の独身男性が難聴の母親の世話をしていますが、その人が神戸でサラリーマンしているときの話ですが、
同僚がホームレスに対する思いやりの言葉で”毎日たいへんですね、と声かけると”たいへんなのはお前のほうだろうが、毎日朝早くから夜遅くまで働きづめだろうが、と矛先が跳ね返ってきたことに驚くも何だか納得させられたと思ったそうです。

然るに人を見掛け・先入観で判断することの間違い。
すなわち姿形ではなくして=肝心なのは心意識にあり=となるのです。

ちなみに過疎地で品疎な暮らしをして、洗いざらしの古ぼけた着衣を着て、髪はバサバサでひげは伸び放題で、糞はポリバケツに座って用を足し、洗顔手洗いはお風呂に入ったときだけの、まさにホームレスに間違えられそうなかっこをしています。

そんな私が暑いさなか草刈でもしていたなら、たまたま側を通りかかった人が”たいへんですね、ご苦労さん、と声をかけることがあっても、
その人の内心では”あんな風な生き様にはなりたくない、と否定的な感覚でいて、
然るに私がどんな意識でもって今を生きているとか、15年余り精神世界のブログを書き続けているとは思いもよらないことでしょう。

また自らの意識で家族と離れての、独自独歩にして、自力自信の精神力でもってして、ちなみに感謝される立場よりも感謝できる立場になること、そんな自己縮小の実践となる、独居年金暮らしであることや、また闘病生活するよりも、白骨死体で発見されたり孤独死・無縁死を望んでいるとは気付きもしないでしょう。

またそんな会話が出来たとしても私が本気であることが理解できないでしょう。

だからこのブログの中にも時々ホームレスやフリーターやニートが登場してくるのです。

ちなみにヤフー検索で=NHK「多摩川の猫とおじさん」=引き出して読めば参考になると思います。