孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

釈迦やイエスの類も、何を成せども満足しきれずに、次から次と同じようなことを繰り返していました。

2015年07月11日 | Weblog
この世の誰一人として満足しきっている人はいません。
然るに不満があるのです。

そこで満足を得ようと頑張り欲張り見栄を張るも、それが矛盾のある偽善だけに一時のかりそめの満足で終わります。
だから次々と不満が出てくるし、また次々と自己満足する、その繰り返しになっているのです。

だから過去の釈迦やイエスの類も、何を成せども満足しきれずにいたから、次から次と似たようなことの繰り返しをしてきました。
然るに偽善の積み重ねをしてきたのです。

ちなみに私が過疎地での単身暮らしが始まり、自己満足になることを減らし続けていると、どんどん暇になり退屈な時間ばかりが多くなりました。
ところが自己満足が減るとそれだけ不平不満が出てこなくなったのです。

と言うことは自己満足するための時間から開放されて自由時間が多くなったのです。
となると食って寝て糞をしながらにして生きているだけのような、肉体的な苦労や喜怒哀楽の感情的な高ぶりや精神的な苦悩も減り、心身ともに健全健康を味わっていることに気付いたのです。

だから自然と不平不満が出てこなくなりその分だけ自己満足を求めなくなったのです。

ところが問題なのは暇で退屈な時間を如何に対応し処理するか、そんな毎日が続くばかりとなり、それが苦痛になり始める頃には誰に気兼ね遠慮することも無い独り遊びのパチンコで時間つぶしすることやまた好き勝手の自由にして観れるギャオの映画ドラマを独り見することが多くなりました。

と言うことは如何に暇で退屈していても、自分の思うようにならない(面倒臭い)人間関係を意図的に避けていたのです。

ハッキリ言えば不完全で矛盾・偽善のある人間関係が不平不満の原因になっているのです。

だから人間関係から離れてみれば一目同然となることでしょう。

然るに自分さえ良ければの個人意識を無くすることが出来ない以上は、その個人意識を丸出しにして素朴・謙虚・省エネ・楽チンの自由勝手気ままに生きていくほうが自分の為にもなり人の為にも世の中の為にも貢献することになります。

それがどっちつかずの中途半端な生き方になれば、世の為にも人の為にも自分の為にもならずにして、偽善の積み重ね上塗りの悪影響を及ぼし、それが自然破壊や人間関係の破壊に拍車をかけることになっています。


別件ですが
毎年この時期に現れている「謎の発光体」が見られた1年目と2年目に「発光しながら飛行する」のを各1回見たのですが、それ以来は「停止」状態で数対散らばっているのを見るだけでしたが、昨日は一体だけが2秒~3秒くら発光しながら飛行して消えました。
その停止状態のときは鋭く光らないのですが、飛行しているときはそのエネルギーからしてか鋭い光を発しています。
数年ぶりに見られたので嬉しくなりました。