孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人それぞれの思いで生きることが自由であり皆が公平になり納得人生になるのです。

2015年07月19日 | Weblog
人間は意識で生きています。
だから人それぞれの思いで生きています。
だから皆が自由であり公平なのです。

それだけに人様の思いを簡単に変えることは無理です。
何たって己が偽善者だと気付いていながらも私は正しいとして否定反発し偽善の積み重ねをしていることに気付かない人がいるくらいですから、
然るにどんな手立てを施してもぬかに釘となるばかりですから、人様のことは「どうしようもない」とまで書いています。

ところがそれでも人様の思いを操って自分の思いに従わせたがる欲張りな人は、
そこで「飴とムチ」の使い分けによって「どうしようもない」相手を何とか自分の都合がいいように操りたがっています。

また不完全な人情愛情・義理や恩義を持ち出して正当化していたりすると、その裏が出ると裏切り関係になり、時として憎悪・嫉妬・破壊意識にもなっています。

それがこの世人間関係に現れています。

その代表的なのが巷の信仰宗教や精神世界を説き語る者のみならず魔法使いが如くの類も加わっています。

同じく国家社会制度・学校教育制度など諸々がありますから自問自答すれば新たに気付くかもしれません。

何はともあれ「人それぞに」自分さえ良ければの個人意識を持っているがゆえに、人束ね一筋縄一網打尽といかないのが(帯に短したすきに長しとなって)結果的に良かったり悪かったりしているのがこの世の現実です。

そこで巷の信仰宗教や魔法使いが如くの人が特別なご褒美の飴をちらつかせて精神力の弱い人を集め、その集合意識を高めたり、思い込み暗示にかけたり、集団洗脳が如き術を成すのも、その主催者・主導者の思い通りに人を操りたいが為です。

とにかく人が集まるところに邪な連中が群がっていることは事実です。

となるとこのブログに書いているように個人意識丸出しのままにして「自分の為に」思うがままに自由に生きることが過ちではなくして妥当な生き方になります。

しかしそれを世間や家族が認めたがらないところがありますから、どうしても孤独の自由にして独自独歩に生きていくことになるのです。

またそれが個人意識同士の「お互い様・お陰様」の関係からして<公平>なのですから、誰からも批判され卑下されることではなくして当然なことですから平然としていればいいのです。

しかしそれが思うようにいかないことからして、それが不平不満になっていることを自覚納得しない限り、何をやっても中途半端で納得人生にはなりません。

とにかく誰も皆が「人それぞれの思いで」生きることが自由であり皆が公平だと(自由平等だと)自らが自覚認識して此れからの人生を全うすれば悔いの残らない納得人生になることでしょう。