己が進む精神世界に人様を巻き込むことなく、また人様が集い集まる必要も無く、己の自力と自信でもって独自独歩に歩むことを書いていますが、此れが基本と言ってもいいでしょう。
何故ならば人が集まって良いことも有れば悪いことにもなる事実が多くあるからですが、先ずは他と比べ合って差を付けたがる比較競争差別意識が出てきます。
また大勢の人が集まることでの安心感や信頼感からして(油断して)その心に隙間が出来てそこへ邪な意識が入り込むことがあります。
それがいつの間にやら思い込み洗脳されていたり自己陶酔していたりして指導者の思うがままに操られているのにその是非の分別が付かなくなって盲信状態に陥ることがあります。
また似たような者が同じような格好をして大勢集まっているのを外部の者が見ると異様な感じに見えたり、また洗脳集団に見えますから、その見掛けだけで否定反発・排除したがる警戒心・敵対心まで待たれることがあります。
例えそこまで行かなくても、多数が同意しているので断りづらかったりして寄付や奉仕や布教活動することになったり、その反対に自分が率先するもまだ同意していない者を白い目で見ている自分が居たりします。
またそれがアリガタイ物品だったりお布施だったり御札だったりもします。
とにかく最初は不信感を持っていたのにいつの間にやら盲信・洗脳状態になるのが精神世界の人が集まるその集合意識の危ないところです。
何で人が集まるのか? 自問自答してください。
何らかの「欲」を持っているから集まるのです。
その欲の中にプライドを保つことや人格を高めるための欲も含まれますが、まず(思惑期待理想目的)(他力依存本願祈願)(安心安全を得たい)欲の無い人が人様の集まる所に行くはずがありません。
人類有史以来の宗教や精神世界で人が大勢集まったことで(裏の無い)良かったことが一つでもありますか? また自問自答してください、
概ねながら、欲張り無理し無駄にして余計なことをした結末で終わっているのと、まだ途中結果であっても同じ結末になるはずですし、また人気集めの誇示拡大主張や人集め金集めの勢力拡大や仲間同士の争い派閥抗争や侵略・略奪・人殺し・集団殺人・集団自殺・闘争・戦闘・戦争になっています。
それ以外にも自然環境や人間関係・家族関係の破壊崩壊につながっています。
何たって矛盾する不完全からして、薬にもなるが毒にもなるし、その毒が薬になってもその薬がまた毒になるその矛盾の繰り返しがあるのがこの世です。
だからその宗教思想や真理が如何に優れものであっても、それを学び教える不完全意識の人間界に「絶対・完全」が無いのですから、そこで人様を巻き込まないためにも、また反対に巻き込まれないためにも、独自独歩の歩みが基本になるのです。
何故ならば人が集まって良いことも有れば悪いことにもなる事実が多くあるからですが、先ずは他と比べ合って差を付けたがる比較競争差別意識が出てきます。
また大勢の人が集まることでの安心感や信頼感からして(油断して)その心に隙間が出来てそこへ邪な意識が入り込むことがあります。
それがいつの間にやら思い込み洗脳されていたり自己陶酔していたりして指導者の思うがままに操られているのにその是非の分別が付かなくなって盲信状態に陥ることがあります。
また似たような者が同じような格好をして大勢集まっているのを外部の者が見ると異様な感じに見えたり、また洗脳集団に見えますから、その見掛けだけで否定反発・排除したがる警戒心・敵対心まで待たれることがあります。
例えそこまで行かなくても、多数が同意しているので断りづらかったりして寄付や奉仕や布教活動することになったり、その反対に自分が率先するもまだ同意していない者を白い目で見ている自分が居たりします。
またそれがアリガタイ物品だったりお布施だったり御札だったりもします。
とにかく最初は不信感を持っていたのにいつの間にやら盲信・洗脳状態になるのが精神世界の人が集まるその集合意識の危ないところです。
何で人が集まるのか? 自問自答してください。
何らかの「欲」を持っているから集まるのです。
その欲の中にプライドを保つことや人格を高めるための欲も含まれますが、まず(思惑期待理想目的)(他力依存本願祈願)(安心安全を得たい)欲の無い人が人様の集まる所に行くはずがありません。
人類有史以来の宗教や精神世界で人が大勢集まったことで(裏の無い)良かったことが一つでもありますか? また自問自答してください、
概ねながら、欲張り無理し無駄にして余計なことをした結末で終わっているのと、まだ途中結果であっても同じ結末になるはずですし、また人気集めの誇示拡大主張や人集め金集めの勢力拡大や仲間同士の争い派閥抗争や侵略・略奪・人殺し・集団殺人・集団自殺・闘争・戦闘・戦争になっています。
それ以外にも自然環境や人間関係・家族関係の破壊崩壊につながっています。
何たって矛盾する不完全からして、薬にもなるが毒にもなるし、その毒が薬になってもその薬がまた毒になるその矛盾の繰り返しがあるのがこの世です。
だからその宗教思想や真理が如何に優れものであっても、それを学び教える不完全意識の人間界に「絶対・完全」が無いのですから、そこで人様を巻き込まないためにも、また反対に巻き込まれないためにも、独自独歩の歩みが基本になるのです。