孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間として生まれてきたことを<無駄>にして「死する」のですか?

2012年09月21日 | Weblog
自己満足に趣味嗜好娯楽がありますが、その自己満足から離れる事になるとその分だけ時間的にも金銭的にも余裕が出てきますので、他力をあてにしないで自力で成すことに都合が良くなります。
その余裕と自力でもって成すことで新たな自信が出てきますし、その自力と自信の積み重ねから成す事があれば今を生きていることを実感する事になります。

その余裕と自力と自信からして身近な家族と接することにもなりますから、それでもって平穏な家庭生活が続くようになればいいのですが、ところが家族肉親といっても個性性格(意識)は人様々に違っている事実があります。
だから絶対的に足並みが揃わないのです。
だから結果的に自分のことが優先されることにもなるのです。

しかもその家族の中に一人でも不機嫌な者がいればそれが家族全体に影響しますから、何かしら気まずい雰囲気が漂う中で一緒に居ることになります。
だから皆揃っての家族団らんが有るようでも中身は不完全なだけに、実質は不調和の家族団らんになります。
それは家族団らんを装った(ぼろ隠しの)見せ掛けであり、不調和を気にしないように装った(自分を偽った)家族団らんになります。

しかしそれでもいいではないかと納得することも出来ますが、しかしその不調和は出続けます。
それでもいいのでしょうか? あるがままで気にせずにいられるでしょうか? それともやはり我慢するしかないのでしょうか? それが家族ということなのでしょうか?


私は夫婦喧嘩ばかりしている両親を見て育ってきました。 
そこで私は家族円満に暮らすことを優先してきました。
しかし土台無理なことであり、結果的には無駄なことや余計なことを繰り返していた事実と、その結果が今の私です。

何故ならば、家族と一緒にいる限りにおいて、自分・自力だけでは(力不足と言うよりも)どうすることも出来ないのです。
しかも皆も同じく自分だけの事ではすまされなかったのです。
すなわち一蓮托生の協力し合う関係なのに皆がそれぞれに自分さえ良ければの個人意識・不完全意識を持っていることに原因があったのです。
だからどうすることもできないのです。

また私が如何に家族思いであっても、その家族を連れてあの世へ行けるはずもありません。
また家族が私思い(親思い)であっても、その家族が私を極楽浄土に連れていくことは出来ません。
また親思い子思いの意識でもって(頭の中で)思い続けそして言い続けるだけではそれが事実の結果になることは絶対にありません。

また人様家族のことを思って成すことのその意識そのものが自他共に不完全なだけに、その成すことが余計なことや無駄なことになる事実があるだけに、やはり自らが先に完全真理の実践をするしかないとして、その自覚確信からして今があるのです。
それよりも他に名案があれば教えてください。

精神世界・完全真理を知ったからには(私としては)この世に人間として生まれてきたことを<無駄>には出来ません。
だから不完全意識であっても神意識・愛意識の完全意識になっていくその実践を続けていなければ人間として生まれてきたことが意味を成しません。

だからこそ孤独にして生まれ、その孤独にして死ぬ時が来るのです。
だからこそ他力に頼ることなく自力と自信の独自独歩で歩むしかありません。
だから(人様に関係なく)(私が)どう生きるかしかありません。
だから(私の命を無駄にしないために)自己縮小を続けるしかありません。
それ以外に何がしの方法や選択があれば教えてください。