孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人が集まる所には互いの欲が卍の如くに渦巻いている事実がある。

2012年09月10日 | Weblog
精神世界を複雑怪奇にしたのが宗教家・教祖教団や霊能者だったことは間違いなさそうです。
何故なら、欲を出さずに今に感謝の心があれば、ややっこしい神仏やの世界を説く宗教の世界・精神世界を知らなくても、なんら不都合は無かったのです。

だから人を集めて特別な(不完全な)神がかり奇跡や超能力の実在を見せる必要も無かったことになります。
ただ単純明快にして語り、欲を出さない感謝の心で生きる実践を説いているだけで十分なのです。

ところでその欲を出さずに感謝の心で暮らすと言うことは宗教教団や霊能者のみならず精神世界に係わる者なら誰しも書いているし学び知っていることです。

なのにそれが此れまでも疎かにされてきたということは、人間は欲無しでは生きている気がしないとか、意欲で持って(欲を持って)事を成すことがなければ生き甲斐が無いように思い込み勘違いしていたのです。

だから自ずと欲絡みの自己拡大が進むことにもなり、そのために他力に頼る事にもなり、それが原因からして不平不満と自己満足の苦楽の絶えない生活になっていったのです。

ところが職業とする宗教家や霊能者の立場にすれば、そんな苦楽の多い人間関係に疲れた人や迷い悩み困っている人から親切ぶってお金を搾取するには都合が良かったようです。

そこで霊験新たなご利益のある特別な神仏を信じることで願いが叶うとか神のご加護があるとかで安心感や期待感を与えたり、また親切な聞き手や話し相手となって病む心を癒してあげていれば、また迷い悩み困った時の神頼みで先方から金を差し出してくることからして、そんな信者・リピート客を多く集めることにも熱心になったわけです。

また宗教家らが如何に真実を語ってその真実の結果を教えても、それを聞いた者がその真実を実践しなければその結果が出ることも無いことからして、真実を語った宗教家らの腹が痛むことにはならないのです。

そこでもっと多く人を集めるにしても、欲絡みで無ければ誰も寄り付きもしないことを知っていますから、そこで悩みや困ったことを如何にも解決してくれるが如くに見せ掛けて多くの人を寄せ集める必要から、そこで人寄せパンダの如くに奇跡を成す超能力・霊力を見せることにもなったようです。

しかしそんな特別な神仏を持ち出したり、また他力の奇跡超能力を見せることなく。その困ったと思うことや他力で助けて欲しいと思うこと自体が心違いであって、本来なら今生きているだけで有難いことや生かされていることに感謝することを教えるだけにして。後は本人の思い・心・意識に任せてほっとき、その意識が原因からして成る事は成るが、成らない事は成らないと、すべては己の良いとこ取りの意識に原因があることのその事実を繰り返し語り教えるだけで十分なはずです。

しかし先ほどに書いたように、その個人の欲目を如何にも叶えられる風に超能力の奇跡を成して見せることがあるから(いつの時代にも)その他力依存の信者意識の人がその良いとこ取りしたくて寄り集まる形が絶えないわけです。

すなわち人が集まる所には(水面下で)良いとこ取りしたがる互いの欲が卍の如くに渦巻いているわけです。

そこで更にその他力依存や願望祈願や信者意識の人や欲を出して自己拡大した人の意識を再修正改革するために精神世界の深いところ(深層)を詳しく教える必然が出てきましたが、その時代ごとにそのお役を果たすべき能力者がこれまた自惚れ慢心・欲に駆られたのか、そのミイラ取りがミイラになっている史実現実があります。
ところがそうなったのも、やはり神がかり奇跡の超能力や霊力を使うことで人を集め人気を集めたかったその欲目が原因と私は見ています。

そこで先ほど書いたように、誰もが語り聞くことになるその欲張らないで感謝の心で暮らしていれば、特別な神仏の世界や精神世界や摩訶不思議の世界をごちゃごちゃと学び知らなくても(関係なく)心豊かに生きていけます。

なのに欲を出して特別を求めることが繰り返され続けているわけです。
だから「どうしようもない」わけです。
そこで欲絡みで人が集まる所から離れているほうが心休まるわけです。

ところで完全真理に係わっている人の中には霊感霊力に長けた人もいると思いますが、そんな人は完全真理の中身を学び知ることよりも持ち前の感性からして耕栄さん信者に偏っていると思われます。

そこで霊能者伊勢白山道のQ&A辞典なる書物を読めば耕栄さん信者から脱することができると思いますし、その伊勢白山道の信者さんが完全真理を知ればその信じるか否かの不完全さを知ることになり、その信頼・信者意識から脱することができると思います。

このブログは何たって毒にも薬にもならない、すなわち良いも悪いも無い、裏も表も無い、しごく当たり前の事実・事例を判りやすく書いているだけですから、信じるか否かの多い精神世界をしっかり見際めるのには役立ちます。