孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

この世の悲喜劇ストーリーの幕が閉まって新たな夜明けの幕開けが始まるのです。

2012年09月23日 | Weblog
以前に「神こそが諸悪の根源」と鋭い見識見解のコメントを書き込んだ人がいました。
その時に私は一理あると思いました。
何たって良い悪いで判断する人間を地球に創造したのが神だからです。

その人類創造の神代の時代でも善と悪と言われる者が互いに殺し合うことが続いていましたし、釈迦やイエスやの神に仕える者と言われる輩・類が何人現れても、その神の召使を含めた人間同士の殺し合いが続きましたし、勝てば官軍で負ければ賊軍の正義や聖戦と言われる殺し合いが未だに続いています。

その神の召使が(ミイラ取りがミイラになって)残した数々の教えが聖書経典となってそれが宗教化され、その宗教のための人集め金集めの布教・勢力拡大に加担された信者も多く、しかも異端者やサタンや魔女や異教徒と決め付けて悪者仕立てにして滅ぼすその人殺しの手伝いまでさせられていますし、また古今東西の熱心な信者が(神を信じたがために)支配者や勢力者に弾圧迫害殺害されたりしていますし、その弾圧されている者達が反乱決起して多くの人を巻き込んだりもしていますし、反対に神を信じていないと迫害されたり排除される場合もありました。
また我が神や宗教やその創始者を侮辱したと怒り立つ無茶な信者を作ったのも、またハーレムのような生活をする教祖や集団自殺をする教団やオウム真理教のような類が出てくるのもその宗教の神やその創始者の邪な思いが込められていたのが原因になります。

ところが、全知全能の神やその神の召使やであればそんな悲惨な事になる可能性を十分に予測予知できたはずだから、前もってその神やその宗教の創始者らがその予防を講じた(完全真理のような)説教が成されていて当然なのに、何故か抜け落ちています。
すなわち此れほどまでも完全な仕組みの宇宙(この世)を創造する事が出来るのに何で人間の意識を不完全にしたのでしょう。

その不完全意識がゆえに、神仏を説く宗教家が言うところの生きながらにしての極楽浄土どころか、いたる所で悲惨な悲劇が繰り返し続いています。
その原因は不完全意識の人間にありますが、その人間を創造した神が諸悪の根源と言われても仕方がありません。

しかし偶然にして地球人類が存在しているのではなくして、全知全能の宇宙・神の完全な愛の仕組みの必然からしてこの世があるからには、それら悲喜こもごも・喜怒哀楽を味わう人間に課した絶対的な役割使命があって当然になります。
そうでなければこの世に不完全な人間を創造した必然の意味が無いからです。


そこで毎回のように説明しているように「完全意識&神意識の世界」には不完全意識が原因の悲喜こもごもの喜怒哀楽がありません。
だから創造された人間が代理・代表・役割使命としてその不完全意識をいやになるほど味わっているのです。
だから時代が進むほどに複雑怪奇な矛盾だらけの世の中になっています。

ところがその「役割使命」が宇宙時間切れで終わる必然の仕組みがすぐそこまで迫っています。
そして次なる新たな仕組みが既に始まっています。
だから矛盾も妥協も無い完全真理が説かれることにもなったのです。

そしてこの世で生きながらにして極楽浄土を味わえなかったけれども、その人間としての役割使命を果たした者達(意識)が次元上昇の仕組みに乗るようです。

すなわち全知全能と言われる完全なる宇宙の仕組みの中の「始まり終わる」進化のその時が来ていると言うことです。
だからこの世の悲喜劇ストーリーの幕が閉まって新たな夜明けの幕開けが始まるのです。