国道11号線から見える松山城。
街の中にこんもりとそびえる山の上に立っています。だいたい何処にいても城が見えるので自分の位置を知るのにはとても便利。山は勝山といいます。
ふもとの城山公園には美術館や市民会館などの施設があります。
公園広場から二の丸庭園、天守閣を望む。
日曜日、県展の作品搬入に行ってきました。いつものことながらぎりぎりの最終日。けれどまだましなほうで、午前中に搬入できました。良いお天気だし、搬入が済んだら足慣らしのために松山城に登ろうと決めていました。
追記 ここからはいくつかの訂正をしています。
松山城には登城口が4か所あります。一つは東側の東雲神社から。ここにはロープウエイとリフトもあって、観光にはここから登るのが一般的。二つ目は南側にあって二の丸庭園を経由する黒門登城口。そして3つ目が北西にある古町登城口。この古町からのルートは去年修復ができたところで私はまだ登ったことがなかったので、今回はここから登ります。四つめは、県庁から登るルートで許可のない車両は入れません。
過去の記事を合わせて読んでいただけるとそれぞれの道の様子がわかると思います。
お断りしておきますが、私にとってはなじみが深いものの、城についての専門的な知識があるわけではありませんので間違った情報もあるかもしれません。あくまでも散策の感想としてお読みいただければと思います。
古町ルートは登り始めがかなり急な石段。段数は少ないけど降りるとき怖そう。
消火栓も新しくなったみたい。
舗装はされていませんが歩きやすい道です。
ハチトラップ。そうか、今頃はスズメバチが凶暴化する時期だなあ。スズメバチは黒いものを攻撃すると言います。黒いTシャツじゃないほうがよかった、なんて考えながら歩きました。
ちょっとした山歩き気分ですが、街をはしるチンチン電車の音も子供の歓声も聞こえる低い山です。黒門登城口からだと石垣で守られた折れ曲がった道を登るのですけれど、ここはほとんど山道。
山道を抜けたところでに石垣に通せんぼされました。見上げると建物が。乾櫓だそうです。
下のほうの案内板によると右が天守方向。左がロープウエイ方向だそうです。すぐに天守に着くのも味気ない。まだ来たことのない場所だったので左に行くことにしました。
この角の石積みは、長短の石を交互に積み重ねた算木積み。この間のテレビ番組で知りました。
松山城は難攻不落の強いお城ナンバー16だそうです。敵の侵入を防ぐための仕掛けがいろいろあるそうです。それを思い出しながら歩きました。
松山城は難攻不落の強いお城ナンバー16だそうです。敵の侵入を防ぐための仕掛けがいろいろあるそうです。それを思い出しながら歩きました。
正面をまっすぐ行くことができないのがこのお城。天守が向こうに見えていますが、左の門をくぐらねばなりません。
乾門
門を出たところに「頭上注意」とあるんですけど、はて? 昔なら確かに上から矢を射かけられるようになっていますよね。
門を抜けると道は右方向へ曲がっています。そこを進むと
どうやら本丸の裏側にでたようです。
これがふたつの櫓なのかなあ。松山城の本丸は連立した二つの櫓と天守、小天守が連なって中の広場を囲んでいます。これが難攻の理由になっているとか。ひとたびここに入り込めば四方の頭上から攻撃されるんだそうです。
左に曲がると、真後ろから見えなかった建物が見えてきました。
趣のある柵
ひそかに近代的な設備が備えられていました。
柵の下は、多分ロープウエイのある東雲神社からの登城路だと思いますが、長く続いている道が丸見えです。
ふんふん、敵の行動は筒抜けというわけね。
訂正 県庁からの車道ではないでしょうか。今度確かめてみます。
ぐるっと回って天守の正面に来ました。
観光客もちらほら。 前に来たときはほとんどいませんでした。この日は売店も開いていてなんだかうれしい。せっかくなので観光客気分でソフトクリームを買いました。
やっぱ、伊予柑ソフトでしょう。
クリーム自体は普通のクリームだと思いましたが、手前の伊予柑ソース(マーマレード)がとてもおしかったです。
ここで松山らしいものを発見
一つはミカンジュースの出る蛇口。ビールジョッキ一杯500円、ふつうのコップは300円。
それから自動販売機が道後温泉の屋根をかぶっていました。
伊予弁をしゃべるって書いてあったけど、どんなことをしゃべるんでしょう。買ってみたらよかったですね。
広場で20分ほど休みました。
城東方面。高い鉄塔はロープウエイのものかな? 遠くの山並みは前に行った淡路が峠に連なる山。
城北方面。道後温泉側です。
城西方面。 海が光って見えました。右手のほうに見える大きな島は、興居島か中島か。
左のほうが城南。オフィス街です。
こうしてみると、街の暮らしがほぼ全体見渡せて、戦に備えるというより治世にも効果的な場所に城があるのではないでしょうか。実際この城が建てられたのは江戸幕府が成立してから。戦に備える必要もなかったのです。そしてこの城にはこんな逸話があるそうです。
こうしてみると、街の暮らしがほぼ全体見渡せて、戦に備えるというより治世にも効果的な場所に城があるのではないでしょうか。実際この城が建てられたのは江戸幕府が成立してから。戦に備える必要もなかったのです。そしてこの城にはこんな逸話があるそうです。
最初の松山藩主加藤嘉明は幕府に築城の許可を得るとき、この勝山に城を建てたかったのですが、わざと、近くの御幸寺山に建てたいと願い出たそうです。しかし幕府は決して大名の願い通りには許可せず、勝山に建てよとの仰せ。加藤嘉明は幕府の裏をかいてまんまと希望通りの勝山に城を建てることができたのだとか。というのも勝山の下には石手川の伏流水が流れていて、水が豊富だったのだそうです。大学時代に地学の先生から聞いた話です。
防御に優れた城は治世にも優れた城だったと、わたしは思いました。
帰り道は来た時とは反対の道を。つまり天守閣をぐるりと時計回りに見て回りながら下りました。
帰り道は来た時とは反対の道を。つまり天守閣をぐるりと時計回りに見て回りながら下りました。
紫竹門をくぐって
門の向こうに竹が植えてありました。黒い竹でしたけど、これが紫竹なのかな?
乾門に出て
あとは同じ道を下りました。もう午後の3時半をすぎていましたが、ここを登ってくる人4,5人に会いました。多分散策に来た地元の人。森の中からはあまり聞いたことのない小鳥の声が聞こえて、街とは別世界でした。
追記 この道は後になって作られた道で、お侍たちが歩いた道とは違う様です。市民の憩いの道になつているそうです。
この道は黒門口から登るよりも楽だったような気がします。