正月が過ぎるとあちこちで見られる風景。こちらでは「とうどうさん」とよびます。
昔は1月15日の小正月にこれを燃やして、その火で餅を焼いて食べ1年間の健康を祈ったそうです。そして燃えた後の灰を家の周りにまくと災難を逃れるとか、火災を免れるとか・・・よく覚えていませんが。
今は成人の日が月曜日になり、15日は休みにならないので、1月の第1日曜日にこれを作り、第2日曜日あたりに燃やすところが多いようです。今年は第1日曜日が元旦だったこともあり、年末にはこれができあがっているところもありました。
作り方も地域によって微妙に違うようで、作るときに家々のしめ飾りを集めて回り、一緒に巻き込んでいくところもあれば、
最初に竹とわらで三角錐の土台を作り、後から各自で好きな時にしめ飾りを挟み込んでいくところもあり、
しめ飾りは別の箱に収めるところもあるようです。
作られる場所も、近隣に2つも作られているところもあれば、まったく作られてないところもあって、わたしは結婚してこちらにきて初めてこのようなものを知ったものですから不思議だらけの行事です。
これを燃やす(こちらでは「はやす」と言っておりますが)のは早朝の7時ごろです。恥ずかしながら朝寝坊の私、生まれて初めてこれに点火するのを見てきました。
7時前はまだこんなに暗く、近くの家々は明かりも見えません。昔は6時とかだったんですよ。
ようやく東の空が明るくなりかけました。
お宮のほうから、神主さんと大人に守られて、小さな男の子と女の子とが提灯を下げてきました。
神主さんが祝詞を唱えた後、集まった人たちにお祓いをして、提灯のろうそくで火をつけました。 ああ~知らなかった、立派な神事だったんですね。
火は瞬く間に燃え上がり
さあ、大迫力の炎を撮ろう・・・と、その瞬間、まさかのレンズエラー
カメラをいじっている間、盛んにパンパンと竹のはぜる音がしていましたが、
あっという間に崩れ落ちてしまいました。しかし、年頭に一年の無病息災を祈るすがすがしい行事でした。
それにしても集まった人の少ないこと。お世話をしてくれる人が(たぶんPTA)ジュースなどを用意していましたが、寂しい限りでした。娘たちが小学生の頃はこうした行事もにぎやかで参加者にはぜんざいなんぞがふるまわれていたように思います。
バレンタインデーやらハロウィンやら恵方巻やらお金に直結した行事はどんどん派手になって外国の宗教だろうがどこか知らない地方の習慣だろうがみんなあほみたいに乗せられて浮かれて広がっていくのに、農村のさやかな行事はすたれる一方です。生活様式や考え方の変化、住む人の高齢化と人口の減少、いろいろなことが重なっているのでしょうが、このまま衰退させていいものか。今まで協力しなかったことを棚に上げてそんなことを考えたのでした。
昔は1月15日の小正月にこれを燃やして、その火で餅を焼いて食べ1年間の健康を祈ったそうです。そして燃えた後の灰を家の周りにまくと災難を逃れるとか、火災を免れるとか・・・よく覚えていませんが。
今は成人の日が月曜日になり、15日は休みにならないので、1月の第1日曜日にこれを作り、第2日曜日あたりに燃やすところが多いようです。今年は第1日曜日が元旦だったこともあり、年末にはこれができあがっているところもありました。
作り方も地域によって微妙に違うようで、作るときに家々のしめ飾りを集めて回り、一緒に巻き込んでいくところもあれば、
最初に竹とわらで三角錐の土台を作り、後から各自で好きな時にしめ飾りを挟み込んでいくところもあり、
しめ飾りは別の箱に収めるところもあるようです。
作られる場所も、近隣に2つも作られているところもあれば、まったく作られてないところもあって、わたしは結婚してこちらにきて初めてこのようなものを知ったものですから不思議だらけの行事です。
これを燃やす(こちらでは「はやす」と言っておりますが)のは早朝の7時ごろです。恥ずかしながら朝寝坊の私、生まれて初めてこれに点火するのを見てきました。
7時前はまだこんなに暗く、近くの家々は明かりも見えません。昔は6時とかだったんですよ。
ようやく東の空が明るくなりかけました。
お宮のほうから、神主さんと大人に守られて、小さな男の子と女の子とが提灯を下げてきました。
神主さんが祝詞を唱えた後、集まった人たちにお祓いをして、提灯のろうそくで火をつけました。 ああ~知らなかった、立派な神事だったんですね。
火は瞬く間に燃え上がり
さあ、大迫力の炎を撮ろう・・・と、その瞬間、まさかのレンズエラー
カメラをいじっている間、盛んにパンパンと竹のはぜる音がしていましたが、
あっという間に崩れ落ちてしまいました。しかし、年頭に一年の無病息災を祈るすがすがしい行事でした。
それにしても集まった人の少ないこと。お世話をしてくれる人が(たぶんPTA)ジュースなどを用意していましたが、寂しい限りでした。娘たちが小学生の頃はこうした行事もにぎやかで参加者にはぜんざいなんぞがふるまわれていたように思います。
バレンタインデーやらハロウィンやら恵方巻やらお金に直結した行事はどんどん派手になって外国の宗教だろうがどこか知らない地方の習慣だろうがみんなあほみたいに乗せられて浮かれて広がっていくのに、農村のさやかな行事はすたれる一方です。生活様式や考え方の変化、住む人の高齢化と人口の減少、いろいろなことが重なっているのでしょうが、このまま衰退させていいものか。今まで協力しなかったことを棚に上げてそんなことを考えたのでした。