仕事の道楽化

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奉仕作業の時間も、子どもを育てる場である

2015年11月30日 | 修養
以前、親子で参加する学校の奉仕作業があった。中学校である。

親子で学校をきれいにしようという活動だった。


自分は、他人のために働く心を育てるひとつの機会であると考えている。

こういう奉仕作業の場で一生懸命頑張れる子は、どんな職場に行ってもかわいがられる。自分の時間と体力を他の人のために使える子だからである。

逆に、作業をしない子は、・・・どんな職場に行ってもかわいそうな状況に陥る。



作業が始まって、びっくりした。

親が黙々と作業している近くで、子供は喋っている。

もちろん、半分位の生徒は、まじめに清掃活動をしている。中には、1人で黙々と落ち葉を集めている子もいる。



学校の先生もきて一緒に働いている。担任は、まじめな方である。

ただ、「奉仕作業の時間も、子どもを育てる場である」と考えていない。



こういうときは、学級担任にやってほしいことがある。主に3つである。

それは、まずこの奉仕作業の目的を語ることである。何のためにこの奉仕作業という時間があるのか、休日の朝集まって学校をきれいにするのは何のためか。

これを語ってほしい。子供達に聞いたが分かっていなかった。



2つめは、「頑張っている子を褒める。」である。

担任も一緒に掃除をしているのだから、頑張っている子は分かる。その子の頑張りを褒めてほしい。その日は、頑張っている子を褒めるというような働きかけがなかった。



3つめは、指導である。

友達同士近くに集まって、片手での指先だけを使った草抜きをしている子もいた。1時間たっても片手で持てる位の草しか抜いていない。

このような状況であれば、どこでどのような作業をすればよいかを語る必要がある。


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