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とつぜんリストラ風雪記 2

とつぜんリストラ風雪記 1 


第2章 M電機とK電気の関係

 2002年9月27日の朝の常務の話。
「ご存知の通りわが社は今、大変に苦しい経営状態です。親会社のM電機からの受注が大幅に減少しています。M電機自身もNEC、富士通、日立や東芝との受注競争で苦戦をしいられていて、コスト削減のため内作の占める割合が大きくなり、私たち協力会社への外注が大幅に減っております。そこで、46歳以上の正社員を対象に早期退職希望者を募ることになりました」
 電電公社の電話機修理業者としてスタートしたK電気も、電電がNTTとなり、電話の仕事から完全撤退。M電機の仕事100%となっていた。資本こそ入っていないが、M電機退職者の受け皿となっていた。幹部クラスの社員から、課長係長クラスまでかなりの数のM電機退職者がいた。M電機で不要となった社員の捨て場所だった。いわばK電気は、M電機のゴミ捨て場だった。
 K電気の場合、不要品の捨て場がない。K電気にも協力会社がある。それらのK電気の協力会社、ようするに下請けはこの時点で半数以上がK電気と縁を切っていた。そのうちの多数は廃業。優秀な技術を持ち、向こう先の見える会社は早々にK電気に見切りをつけて他社の仕事を始めていた。
 関西でM電機の協力会社で主要な会社は3社。そのうちK電気が、M電機からの受注量も会社の規模もトップだった。ところが他の2社はM電機以外の仕事をしたり、自社ブランドの商品を持っていた。K電気だけがM電機の仕事100%だった。M電機が風邪をひけばK電気が肺炎をおこす。頭から小便をかけられても、それがM電機の小便なら喜んでかかっている。K電気はそんな会社だった。
 小生は1993年にK電気労働組合の副執行委員長を務めていた。労使委員会や団交などの機会に、組合はM電機におんぶにだっこのK電気の状態にたびたび危機感を表明していた。NTTの仕事から完全に撤退したが、もう一度NTTに営業活動をする気はないか、と会社に問うた。会社の回答はM電機の仕事で手一杯でそんな余裕はないとの回答だった。そういう会社の体質でありながら2000年には本社工場を新築している。
 早期退職の募集期限は10月いっぱい。1ヶ月の考慮期間が与えられた。最初の個人面談が10月9日に行われた。そこで早期退職の具体的な条件が提示された。退職の方法は2種類ありどっちか選択できる。

A 11月15日を持って退職。退職金はある程度割増。
B 2年間はK電気に籍だけあり。出社の必要なし。2年の間は60パーセン
の月給を出す。アルバイト程度ならしてもいい。他社に正社員として雇用さ
れば、その時点でK電気を退職。

 この時点では小生は退職するつもりはなかった。K電気に残るムネを表明し
て席をたった。あとで同僚のM氏に聞くと彼は退職を決心したとのこと。M氏
は小生より二つ年上。
 小生は社内で情報収集に努めた。元副委員長なので、その時の組合幹部に顔
が聞く。その筋から得た情報では、今回はとりあえずのリストラで、来年にな
ればもっと大規模な第2次の募集がある。そして最終的には指名解雇となる。
と、いったものだった。
 それから一週間後、常務が話しかけてきた。「君はどうする」「私は残るつもりです」この時常務は指名解雇の可能性を口にした。常務の態度から小生はこの時、事実上の肩たたきだったと判断した。
 様々な情報を元に判断すると、指名解雇は確実に実行される。そうなると退職金の割増も、条件Bの特典もない。夜遅くまで家族とも相談してK電気を去る決心をした。
  

                               つづく
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1月23日(水) ケータイで怒るおばさん

 今日、帰りの電車を降り、改札を出たところで、おばさんが携帯電話をかけていた。顔が真っ赤。なにやらえらい怒っている様子。横を通るとき聞こえたのだが、「あんた、なんべん私をだましたらわかるんや」と、いうようなことをいっていた。通り過ぎても気になるからチラッと見ると、うんうんと首を振っていた。どうやら相手がなにやらいいわけをいっているのだろうか。ひととおり聞くと、さらに怒りだした。
 携帯電話をかけながら、あんなに怒っている人は初めて見た。相手はだれだろう。ダンナ、友だち、恋人、不倫の相手?
 

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