トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

鉄橋上の駅、阪神電鉄武庫川駅

2015年12月28日 | 日記
鉄橋の上にある駅を訪ねてみようと思いました。
すでに、JR土讃線の土佐北川駅(「鉄橋上にある「秘境駅」、JR土佐北川駅」2013年12月2日の日記)、JR福知山線の武田尾駅(「トンネルと鉄橋の駅、JR武田尾駅」2014年4月30日の日記)と、伊予鉄道の石手川公園駅(「伊予鉄道の”鉄橋上の駅、石手川公園駅」2015年4月1日の日記)の三つの鉄橋上の駅は訪ねました。

私は、この日、阪神電鉄の武庫川駅を訪ねることにしていました。阪神地域の方にはおなじみの駅ですが、私はまだ一度も下車したことがなかったのです。武庫川の両岸をつなぐ鉄橋の上が駅のホームになっています。

付近の様子も見たいと思ったので、武庫川駅から一つ梅田寄りの尼崎センタープール前駅で下車しました。私が、これまで訪ねたJR土佐北川駅とJR武田尾駅は、”秘境駅探検家の牛山隆信氏が主催する”秘境駅ランキング”にランクインしている駅でした。愛媛県松山市の伊予鉄道の石手川公園駅は、松山市の郊外にありました。今回は、秘境駅の正反対にある都会の駅、阪神電鉄の武庫川駅に行ってみようと思ったのです。

「尼崎センタープール」はいわゆる泳ぐためのプールではなく、競艇場でした。改札口を出ると、「尼崎ボートレース場」への専用道がありました。

途中の窓から見た競艇場です。「レース開催中」ということでしたが、観客は多くはなかったようです。平素、どのくらい観客がおられるのかわかりませんが・・。

専用道は競艇場の前まで続いていました。こちらも人通りは多くはありませんでした。100円の入場料を払えば、舟券を買わなくても中に入ることができるらしいのですが、スルーして当初の目的地に向かいます。

競艇場の壁に沿って、西に向かって歩きます。競艇場の並びにあった水明公園に入りました。公園の中に、阪神電鉄の路面電車だった71形71号車が静態保存されています。きれいに塗装がなされていました。この電車は、水明公園の北側1kmほどのところにある阪神国道(国道2号線)を、昭和12(1937)年から38年間にわたって走っていました。残念ながら、周囲に囲いがされており、近くで見ることができませんでした。ちなみに、この路面電車は、昭和2(1927)年に開通し昭和50(1975)年まで運行された阪神国道線で、野田駅と東神戸駅間26kmを結んでいた、当時日本最長の路面電車でした。1970年は大阪万博の年、その頃も走っていたのですね。ちなみに、東神戸駅は神戸市の東部の脇浜町にあったそうです。

水明公園から北に向かって1ブロック歩きます。白壁の建物が再現されています。この通りは琴浦通り。ここから少し東方に鎮座している琴浦神社に由来する通りです。阪神国道(国道2号線)が開通するまでの幹線、中国街道でした。白壁の向かいには大庄小学校がありました。

これが琴浦神社です。祭神は、嵯峨天皇の皇子である源融(みなもとのとおる)だそうです。海岸の風景が優れているので、異浦(ことうら)と呼ばれたことから、琴浦といわれるようになりました。

白壁は尼崎市営団地の前につくられています。案内には、この通りである中国街道の説明が書かれていました。江戸時代には、西海道とも尼崎道ともいわれていた通りで、昭和2(1927)年に阪神国道が開通するまで、尼崎市の幹線道路でした。この先の西宮から西国街道とつながり兵庫への道にもなっていました。

この写真は、街道にあった松並木と大庄小学校の写真です。右の大木は、昭和47(1972)年まで小学校のグランドにあったと書かれていました。

ここから西に、中国街道を10分ほど歩くと武庫川に架かる武庫川橋を渡ることになります。

武庫川の西岸から見えた阪神電鉄武庫川駅の東側です。

武庫川橋を渡ると、武庫川右岸(西岸)の土手上の道路と交差します。この道を南に進むと阪神電鉄武庫川駅に着きます。

武庫川西岸の土手の下です。資材置き場になっています。その向こうにレールが見えました。資材置き場になっているところも線路跡です。ここは、阪神電鉄武庫川線の線路跡でした。太平洋戦争中の昭和18(1943)年、武庫川駅と洲先駅(現在の武庫川団地前駅)間が開通しました。武庫川団地の地にあった川西航空機(現・新明和)の工場への資材と会社員の輸送のために、軍の要請により、阪神電鉄の社員のほか勤労奉仕隊も動員して突貫工事で敷設されたそうです。現在、線路跡が残っているのはここまでで、これより北側は住宅地になっています。

昭和19(1944)年には東海道線の西ノ宮駅(現在の西宮駅)までの貨物線が開業しました。国鉄西ノ宮駅に向かう貨物線は、歩いてきた旧中国街道の北にある阪神国道(国道2号線)の南側に次の武庫大橋駅が設けられていました。さらに北に進み、左カーブしながら東海道線甲子園口駅に入っていました。

西ノ宮駅からは武庫川線に国鉄のSLや貨車が乗り入れていたため、武庫大橋駅から洲先駅まではいわゆる三線軌条になっていました。阪神電鉄の軌間は1435ミリ、国鉄の軌間は1067ミリのため、片側のレールから1067ミリのところと1435ミリのところに、もう一方のレールが敷かれていました。こうして、3本のレールを使って、国鉄と阪神電鉄が運行していました。この写真は、少し武庫川駅に近づいてから撮影しました。留置中の阪神電鉄武庫川線の車両です。その上を阪神本線の線路が走っています。武庫川駅の北側で線路は二つに分岐し、右方向に行く線路は、上を走る阪神本線への連絡線です。

これが、連絡線です。上を走る本線に向かって上って行きます。

現在の阪神電鉄武庫川線は武庫川駅と武庫川団前駅(かつての洲先駅)間、1.7kmを結んでおり、2両の固定編成の車両が往復運転しています。朝夕は2両編成の列車、2編成が運行にあたっています。日中は1編成のみの運行になるため、1編成がこうして夕方の運行まで待機しているのです。

武庫川の西岸にある武庫川駅舎です。歩き始めた尼崎センタープール前駅は尼崎市にありました。駅舎のあるこちら側は西宮市、武庫川の中央付近に尼崎市と西宮市の境界線があります。武庫川駅は、明治38(1905)年、阪神本線の開通と同時に開業しています。

武庫川の下流(南)側から見た、阪神本線の武庫川駅の屋根付きのホームです。武庫川の対岸まで100mを超えるホームが続いています。

改札口から入ります。右に行くと武庫川線のホーム。左に行くと階段を上って阪神本線のホームに行くことができます。

階段から見た阪神本線の線路です。神戸三宮駅方面を撮影しました。

2面2線のホームです。神戸三宮駅方面行きのホームに上がりました。向こうのホームは梅田駅方面行きの電車が発着しています。武庫川駅の1日平均の乗降客は28,271人(1013年)だそうです。

神戸三宮駅方面行きのホームにあった時刻表です。「普通」、「急行」が停車しています。東改札口付近にありましたが、このあたりは尼崎市の領域になるのでしょうか?

待合室です。ガラスに描いてある模様がモダンです。

東側の改札口付近です。ホームの南側、金網のむこうは東西を連絡する通路になっています。武庫川駅は橋の上にある駅だということがよくわかります。

こちらは東改札口の外から見た風景です。左の明るいところは通路への出口になっています。

改札口の前を自転車に乗った方が来られ、通路に入っていかれました。

通路から見た武庫川西岸です。正面の白い建物は兵庫医大。その向こうに武庫川女子大もあります。

東改札口入口です。左側の白い囲いの中はバリアフリーの通路です。自転車の方もここを利用して上がって行かれています。

東改札口の外から見た武庫川駅のホームです。手前に通路があり、架線も見えています。

梅田方面行きのホームとの間の踏切です。「特急」が通過していきました。

東改札口の外から見たホームです。歩いている方の姿も見えました。

こちらは、梅田方面行きの改札口への入口です。中に入ります。

梅田駅方面行きの電車のホームです。椅子の後ろに武庫川の水面が見えました。

目線を上げると、歩いて来た旧中国街道の武庫川橋が見えました。

線路の下にも水面が見えました。まさしく鉄橋の上にある駅です。

駅標です。武庫川線の案内もありました。

4つ目の鉄橋上にある駅、武庫川駅を訪ねました。鉄橋の上が全面ホームというのは、この駅が初めてでした。武庫川の中央に尼崎市と西宮市の境界があるそうです。二つの市にまたがるホームを持つ駅でした。

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