先日、普通列車で四国を半周したときに通ったのですが、そのとき十分見ることができなかったJR土讃線坪尻駅に行ってきました。
さて、坪尻駅の駅標と駅舎です。
駅名標には「徳島県三好郡池田町」と書かれていますが、平成の大合併により、現在は三好市池田町西山になっています。
JR土讃線の電化区間は高松駅から琴平駅までになっています。琴平駅で、電車からディーゼルカーに乗り継いで、さらに南下しました。単行のワンマンカーでした。
讃岐財田駅を過ぎるとどんどん標高が上がっていき、四国山地を越えるためのトンネルが続いています。坪尻駅のあたりも、25パーミル(1,000mで25m登る)の傾斜になっていました。

3つめの坪尻トンネルを出るとすぐ右に坪尻駅が見えました。

ディーゼルカーは、駅の前でスピードを落として本線をそのまま進み、やがて、本線の左の待避線に入って停車しました。次に、前方にいた運転士さんは、車両の後ろに移動して、待避線の前の信号が青になるのを待って、後ろ向きに列車を動かし始めました。列車は一度本線に戻り、次に写真の手前右の線に入っていきました。そして、坪尻駅のホーム前で停車しました。坪尻駅には、スイッチバックで入っていくのです。
この駅に停車しない列車は、本線を時速100kmで通過していきます。

坪尻駅は周囲を山で囲まれていて、しかも、車が入っていくことができる道もありません。坪尻駅に行くには、歩いていくしか方法がないのです。舗装などの整備がなされていない道は、下手をすると崖から滑り落ちてしまうような危険なところです。谷は深く、水が滝になって落ちている音が聞こえています。おまけに、「まむし」に出会うこともあるそうです。

日本で7番目の「秘境の駅」なのだそうです。駅から、山あいの高所を走る国道(右の写真参照)に出て行くためには、本線の踏切を渡って、上の左の写真のような道を歩いていかなければなりません。
坪尻駅着9時51分。下車したのは、私も含めて4人でした。4人ともこの駅を訪ねてきた旅行者で、地元の人はおられませんでした。

駅のホームでは、「おつかれさまでした」と、手書きの垂れ幕が迎えてくれました。視線を下げると、野の花が生けられていることに気がつきました。その下の引き戸を開けて待合室に入ると、無人駅とは思えないような美しい光景が広がっています。ゴミ一つない清潔で明るい雰囲気に驚きました。
整然と貼られたポスター、手作りの駅スタンプに旅のノート、そして、「鉄子の旅」などの図書も並んでいました。そのうち、「霧の土讃線」のポスターは、「土讃線還暦記念曲」のもので、JR土讃線の各駅に掲示されていたものでした。
広くはない待合室ですが、隅には掃除用具が置いてあって、掃除や整理整頓をして、駅を守る人たちがおられることを教えてくれていました。3メートルほど進むと、裏口の引き戸にぶつかってしまうような狭い待合室を出ると、また驚く光景にぶつかります。「坪尻駅還暦記念の植樹」と「アメリカオレゴン州からの訪問団の植樹」。 先ほど、「まむし」に出会うこともあると書きましたが、駅の前に、手作りの「マムシ注意」の標識がありました。
これらは、すべて、地元西山地区の町づくり団体「おおぞら会」の人々のご尽力のたまものです。

去年(2010年)、「おおぞら会」の方が置かれていたスタンプが、行方不明になったことがありました。2ヶ月後、1,300km離れた青森県のJR津軽線の中沢駅で発見されて帰ってきました。しかし、その時一緒になくなっていた駅ノートは、結局帰ってこなかったようです。
荒れ果てていくことが多い無人駅ですが、この「秘境の駅」は、思い入れのある人々によって、しっかりと守られていました。

私がこの駅の近くをぶらぶらしている間に、上りと下りの2本の特急列車が通過していきました。
ところで、この駅をいったい何人の人が利用しているのでしょうか。「探偵、ナイトスクープ」では、かつて1日の乗降客4名としていました。「なにこれ珍百景」では「1人しか利用しない駅」と紹介されていたそうです。駅にあった「おおぞら会」の方が書かれた説明によると、現在、この駅を利用している地元の方は、開(ひらき)清さんとおっしゃる方、お一人なのだそうです。この駅は、開さんのためにあるといっていいかもしれませんね。
10時53分、来るときに乗った列車が、折り返し琴平行きになって帰ってきました。今回は、本線から直接駅に入ってきました。
1人が降りて、4人の旅行者がみんな乗り込みました。

入ってきた時と同じように、スイッチバックで、右下の線路から中央の本線を通って、左の待避線に入っていきました。そして、そこから再び手前の本線に入り、その先の坪尻トンネルに向かって進んでいきました。
還暦を過ぎた坪尻駅、これから何年現役であり続けるのでしょうか。地元の人の利用は増えていくのでしょうか。おおぞら会の人たちは・・・・。いつまでも、大事に守ってくれる人がおられる駅として、使われ続けてほしいと願ったものでした。
さて、坪尻駅の駅標と駅舎です。


駅名標には「徳島県三好郡池田町」と書かれていますが、平成の大合併により、現在は三好市池田町西山になっています。
JR土讃線の電化区間は高松駅から琴平駅までになっています。琴平駅で、電車からディーゼルカーに乗り継いで、さらに南下しました。単行のワンマンカーでした。
讃岐財田駅を過ぎるとどんどん標高が上がっていき、四国山地を越えるためのトンネルが続いています。坪尻駅のあたりも、25パーミル(1,000mで25m登る)の傾斜になっていました。

3つめの坪尻トンネルを出るとすぐ右に坪尻駅が見えました。



ディーゼルカーは、駅の前でスピードを落として本線をそのまま進み、やがて、本線の左の待避線に入って停車しました。次に、前方にいた運転士さんは、車両の後ろに移動して、待避線の前の信号が青になるのを待って、後ろ向きに列車を動かし始めました。列車は一度本線に戻り、次に写真の手前右の線に入っていきました。そして、坪尻駅のホーム前で停車しました。坪尻駅には、スイッチバックで入っていくのです。
この駅に停車しない列車は、本線を時速100kmで通過していきます。


坪尻駅は周囲を山で囲まれていて、しかも、車が入っていくことができる道もありません。坪尻駅に行くには、歩いていくしか方法がないのです。舗装などの整備がなされていない道は、下手をすると崖から滑り落ちてしまうような危険なところです。谷は深く、水が滝になって落ちている音が聞こえています。おまけに、「まむし」に出会うこともあるそうです。



日本で7番目の「秘境の駅」なのだそうです。駅から、山あいの高所を走る国道(右の写真参照)に出て行くためには、本線の踏切を渡って、上の左の写真のような道を歩いていかなければなりません。
坪尻駅着9時51分。下車したのは、私も含めて4人でした。4人ともこの駅を訪ねてきた旅行者で、地元の人はおられませんでした。




駅のホームでは、「おつかれさまでした」と、手書きの垂れ幕が迎えてくれました。視線を下げると、野の花が生けられていることに気がつきました。その下の引き戸を開けて待合室に入ると、無人駅とは思えないような美しい光景が広がっています。ゴミ一つない清潔で明るい雰囲気に驚きました。




整然と貼られたポスター、手作りの駅スタンプに旅のノート、そして、「鉄子の旅」などの図書も並んでいました。そのうち、「霧の土讃線」のポスターは、「土讃線還暦記念曲」のもので、JR土讃線の各駅に掲示されていたものでした。




広くはない待合室ですが、隅には掃除用具が置いてあって、掃除や整理整頓をして、駅を守る人たちがおられることを教えてくれていました。3メートルほど進むと、裏口の引き戸にぶつかってしまうような狭い待合室を出ると、また驚く光景にぶつかります。「坪尻駅還暦記念の植樹」と「アメリカオレゴン州からの訪問団の植樹」。 先ほど、「まむし」に出会うこともあると書きましたが、駅の前に、手作りの「マムシ注意」の標識がありました。
これらは、すべて、地元西山地区の町づくり団体「おおぞら会」の人々のご尽力のたまものです。



去年(2010年)、「おおぞら会」の方が置かれていたスタンプが、行方不明になったことがありました。2ヶ月後、1,300km離れた青森県のJR津軽線の中沢駅で発見されて帰ってきました。しかし、その時一緒になくなっていた駅ノートは、結局帰ってこなかったようです。
荒れ果てていくことが多い無人駅ですが、この「秘境の駅」は、思い入れのある人々によって、しっかりと守られていました。


私がこの駅の近くをぶらぶらしている間に、上りと下りの2本の特急列車が通過していきました。
ところで、この駅をいったい何人の人が利用しているのでしょうか。「探偵、ナイトスクープ」では、かつて1日の乗降客4名としていました。「なにこれ珍百景」では「1人しか利用しない駅」と紹介されていたそうです。駅にあった「おおぞら会」の方が書かれた説明によると、現在、この駅を利用している地元の方は、開(ひらき)清さんとおっしゃる方、お一人なのだそうです。この駅は、開さんのためにあるといっていいかもしれませんね。
10時53分、来るときに乗った列車が、折り返し琴平行きになって帰ってきました。今回は、本線から直接駅に入ってきました。
1人が降りて、4人の旅行者がみんな乗り込みました。


入ってきた時と同じように、スイッチバックで、右下の線路から中央の本線を通って、左の待避線に入っていきました。そして、そこから再び手前の本線に入り、その先の坪尻トンネルに向かって進んでいきました。
還暦を過ぎた坪尻駅、これから何年現役であり続けるのでしょうか。地元の人の利用は増えていくのでしょうか。おおぞら会の人たちは・・・・。いつまでも、大事に守ってくれる人がおられる駅として、使われ続けてほしいと願ったものでした。
コメントにしては長すぎたかな? ごめんなさい。