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トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

JR姫新線の駅舎を訪ねる ~その2~

2016年11月03日 | 日記
大正12(1923)年、津山駅から美作追分駅までが開業した作備線は、翌大正13(1924)に久世駅まで、そして、大正14(1925)年には、中国勝山駅までが開業しました。現在の姫新線に編入されたのは、昭和11(1936)年のことでした。前回、JR院庄駅からJR久世駅までの姫新線の駅を訪ねました(「JR姫新線の駅舎を訪ねる ~その1」2016年10月6日の日記)が、今回はJR中国勝山駅からJR新見駅までの各駅を訪ねて来ました。

JR中国勝山駅です。久世駅から4.9km。真庭市勝山にあります。白壁の武家屋敷を思わせるどっしりとした感じの駅舎です。鉄筋コンクリート造り平屋建て、切妻屋根の日本瓦葺き。駅が開業したとき、当時の勝山町議会で「将来発展するのは美作ではなく中国地方の勝山だ」と衆議一決して命名されたそうです。現在の駅舎は、平成12(2000)年に建設されましたが、当時の心意気どおり、堂々とした、見事な駅舎になっています。しかし、皮肉なことに、新しい駅舎が完成した年から、中国勝山駅はJRの直営駅から簡易委託駅に転換してしまいました。

駅舎内にあった観光案内所です。右側のホーム寄りには委託されている乗車券発券所があります。女性の方が勤務されていました。1日あたりの平均乗車人員は 333人(2014年)だそうです。

駅舎にあった時刻表です。左側が津山駅行き、右が新見駅行きの時刻表です。新見駅行きは「休日運休」の列車も含めて8本。津山駅行きは12本の列車が運行されています。津山駅から新見駅までの直通列車が6本、この駅から折り返して津山駅に戻る列車が5本あるなど、立派な駅舎にふさわしく、姫新線の中心駅になっています。

2面2線のホームは、跨線橋でつながっています。

広い駅舎には、うどん店が入居しています。広い駐車場には、お店に来られるお客の車もかなりありました。

駅舎の建物のデザインからもわかるように、江戸時代、勝山は三浦氏、2万3千石の城下町でした。中国勝山駅の前にある出雲街道の城下町への入口にあたるところに、「檜舞台」と書かれた門がつくられています。中国勝山駅の前にありました。

勝山は、高瀬舟が発着する川港として、商業の中心地としても知られていました。旭川沿いには、商家から川に下る石段など、川港で繁栄していた頃の名残を見つけることができます。
 
昭和60(1985)年「町並み保存地区」に岡山県で初めて指定された町並みにはのれんが飾られ、訪れる人を迎えています。

駅舎にあったベンチです。木材や茶の産地として知られた勝山は、また、ヒノキの産地としても有名でした。姫新線の次の駅、月田駅の近辺で切り出されたヒノキは「月田檜」と呼ばれ、岡山市場でも高値で取り引きされていました。木材の搬出は、月田川を利用して勝山まで流し、勝山で筏に組んで岡山城下まで運んでいたそうです。ベンチの向こうの窓際には「学習コーナー」が、久世駅と同じように置かれていました。

駅前の駐車場で休んでいた真庭市コミュニティバス、”まにわくん”です。”西の軽井沢”といわれた蒜山高原を結んでいます。地元のタクシー会社が運行を委託されているようです。

中国勝山駅から4.8km、月田(つきだ)駅に着きました。真庭市月田にあります。昭和5(1930)年、作備線が、中国勝山駅から岩山駅まで延伸したときに開業しました。切妻の屋根が続くデザインが印象的です。

正面から見た月田駅舎です。月田はヒノキの産地として有名です。木の香りがするような駅です。平成9(1997)年に建てられました。しかし、平成23(2011)年から無人駅になっています。1日平均乗車人員は78人(2014年)だそうです。

駅舎内です。右側に乗車券券売所、その向かいにベンチが置かれています。

ホームに出ます。新見駅方面です。1面1線の単式ホームですが、向かいのホームと撤去された線路の跡が残っています。かつては、相対式2面2線の駅だったようです。

こちらは、ホームから見た中国勝山方面です。手前、右側の建物には月田木材事業協同組合の事務所が入居しているようです。

駅舎を出て左側に自転車置き場がありました。学校ごとに置き場所が決まっているようです。この日は日曜日でしたので、置かれた自転車はこの2台だけでした。

駅舎に掲示してあった駅周辺の住宅地図です。今も木材を扱う事業所が並んでいます。

月田駅前にあった製材所です。たくさんの木材が並べられていました。

この写真は、月田木材事業協同組合の事務所が入居している建物の前から新見方面を撮影したものです。正面左にホームが残っています。形状からすると、正面に貨車を置いて木材の積み込みを行っていたのではないかと思われました。草に覆われていて下の様子がわかりませんので、確かなことはいえませんが・・。ともあれ、月田駅周辺は、今も木材の生産が盛んなところでした。

月田駅から、6.1km、富原駅に着きました。真庭市若代にあります。この駅も、昭和5(1930)年に、中国勝山駅から岩山駅まで延伸したときに開業しました。木造平屋建て、寄せ棟造り。正面の上部の塔のような部分は明かり取りのためにつくられたのでしょうか?

この駅は道路脇にありました。通りから取り付け道路で入っていく駅が多いのですが、ここは、駐車場が駅舎と並んで設けられており、駅前のスペースも広くはありませんでした。

駅からホームに入ります。ホームまで階段で上っていくタイプの駅でした。無人駅のようです。

ホームから、新見駅方面を撮影しました。木造駅舎と、ホームにある待合スペースの屋根がみえます。1面1線のホームですが、この駅もかつては2面2線のホームだったようですね。

向かいのホームに残っていた駅名標です。撤去された線路の先にありました。文字は残っていませんでしたが、懐かしくうれしい発見でした。

待合いのスペースにあった木製のベンチです。背中の部分の彫刻が楽しいベンチでした。富原駅は、1日平均の乗車人員は41人(2014年)だそうです。

刑部(おさかべ)駅です。新見市大佐小阪部(おおさおさかべ)にあります。富原駅から6.5kmのところにありました。この駅も、作備線が中国勝山駅から岩山駅まで延伸開業した、昭和5(1930)年に開業しました。現在の駅舎は、平成5(1993)年の建築で、木造平屋建て、切妻造りで日本瓦葺きだそうです。外壁が漆喰塗りのため、明るい印象を受けます。

駅前の広場です。パラグライダーの形のものは街灯だそうです。

平成23(2011)年から無人駅になっている駅舎を抜けてホームに出ます。相対式、2面2線のホームです。新見方面を撮影しましたが、ホームの先に構内踏切が設置されていました。広々とした印象を受けますが、1日平均の乗車人員は60人(2014年)だそうです。

丹治部(たじべ)駅です。刑部駅から3.8km。新見市大佐田治部にあります。正面の三角屋根のデザインに特徴があります。木造平屋建て、切妻造りの日本瓦葺きです。作備線が岩山駅まで延伸した昭和5(1930)年に開業し、現在の駅舎は、平成6(1994)年に建設されたものだそうです。

駅舎の中を抜けて、ホームに出ます。ホーム側から見た三角屋根にはステンドグラスがはめ込まれていて明かり取りに使われているようです。ホームは1面1線の単式ホームになっています。この駅の1日平均乗車人員は16人(2014年)だそうです。平成23(2011年)までは、乗車券の販売のみを委託する簡易委託駅になっていました。

駅舎の中には、大佐公民館田治部分館が同居しています。この日は活動はされていなかったようです。

ホームの端から新見駅方面を撮影しました。ホームに沿って、今は懐かしい電柱が並んでつくられていました。

丹治部駅から4.8kmで岩山駅に着きます。新見市上熊谷にあります。この駅は、丹治部駅までの開通より早い昭和4(1929)年に、作備西線として新見駅から岩山駅までが開通したときに開業しました。昭和5(1930)年に中国勝山駅から岩山駅間(作備東線)が開通したことにより、津山駅から新見駅までが、作備線として全通することになりました。その後、昭和11(1936)年に、作備線が姫新線の一部に編入されたことによって、現在の線名である姫新線となりました。

開業時の駅舎が今も使用されています。木造平屋建て、切妻造りセメント瓦葺き。外壁は下部が竪板張りで上部が下見板張り、駅名標は手作りのようです。正面に改札口の鉄製の柵が見えます。地元、新見市では、この駅舎の歴史的価値を認め、昭和50(1975)年に当時の国鉄から所有権を譲り受けて保存に努めてきました。そのため、現在もいい状態で維持されているようです。

駅舎の内部です。待合いの部分には作り付けのベンチが付いています。

改札の設備です。鉄製の年季の入ったもので、かつて、改札係の駅員が立っていたところです。写真の奥の壁面には木製のベンチが一体になって付いています。

ホームから、新見駅方面を撮影しました。1面1線の単式ホームです。以前の2面2線の相対的ホームの線路が撤去されています。ホームに植えられている木が、時代の流れを伝えてくれています。

駅舎の一部が、地域の集会所として使われています。岩山駅の1日平均乗車人員は6名(2014年)とのこと。鉄道の利用者のための施設ではありますが、新見市では公民館や集会所など地域活動にも利用しています。新しいトイレが整備されるなどのメリットが、駅利用者にも返ってきているように思いました。

大急ぎでしたが、院庄駅から岩山駅まで13駅を巡って来ました。一番興味を惹れたのが駅舎のデザインでした。平成の時代になって、改修がなされることで個性的な駅舎が生まれたり、駅の施設を多目的に活用することによって、様々な人が駅に集まるような動きが出てきています。そういう人々が鉄道を利用してくれるようないい循環になっていくことを期待しています。

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