トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

もう一つのレトロな街、倉敷市一番街と川西町

2012年01月22日 | 日記
重要伝統的建造物群保存地区の美観地区で、全国に知られる岡山県倉敷市。倉敷川の水面に白壁の土蔵と柳並木が映る風情ある景色を求めて、多くの観光客が訪れます。

美観地区の玄関口、JR倉敷駅南口。駅舎に入っていたホテル倉敷が廃業して、駅舎のホテル部分は取り壊されることになっています。この駅の風景はやがて変わっていくことでしょう。

JR倉敷駅前に、北東から南西に向けて、岡山市から広島県福山方面に向かう国道429号線が延びています。また、美観地区に向かう中央大通りはこの国道429号線から南東に向かっています。

中央大通りの付け根から10mほど西に、国道から入る小さな路地のような街があります。倉敷一番街です。

全国に数多くある一番街のイメージと少し違っているかも知れません。路地の両側の商店の間は3mぐらい、いかにも狭いです。

多くの飲食店が並んでいます。

平日の昼前、美観地区が多くの観光客で賑わっている頃、一番街は、多くの店がまだ開店していませんでした。静かな通りです。

開店していたこのお酒屋さんには活気を感じました。飲食店街だから当然ですかね?!

一番街は、かつては、この通りにあった映画館の名前をとって、「千秋座(せんしゅうざ)通り」と呼ばれていました。映画館の廃業後は、大衆演劇の殿堂として、多くの中高年女性が訪れるところになっていました。

写真の右、建設中の家の手前が千秋座のあったところ、今は、駐車場になっています。右手は、料理旅館の建物、立派な和風建築です。この街は、地元の方が自転車で移動する生活道路のような雰囲気のある、喧噪とは無縁のレトロな商店街でした。

歩いて15分ぐらいで、一番街の出口に着きます。一番街を出ると、右から左に流れる倉敷用水にかかる橋を渡ることになります。その橋、川西橋のたもとに、石製の案内標識が立っていました。

標識には、昭和13(1938)年から昭和42(1967)年まで「平和町」となっていたことが記されています。

なお、昭和3(1928)年に倉敷市になったとき、記念に刊行された「倉敷新地図」には、一番街の通りには、「新阿知町」と書かれていました。ちなみに、「千秋座」も描かれていました。町の名や時代は変わっても、この町の雰囲気は変わらないようです。もう一つのレトロな町並みを訪ねるため、同じ道を引き返して、倉敷駅前まで戻ることにしました。

国道429号線を、福山方面に向かって南西に歩きます。約300mで、川西町交差点に着きます。交差点の下を、一番街の出口(川西橋)で出会った倉敷用水が、右から左に流れているところです。倉敷市北部の酒津から南部の新田地区へ流れる用水路です。

川西町は倉敷用水の南西にあり、町の名は江戸時代からあるそうです。用水の両側にある道に沿って下ります。用水沿いの右岸の町は、昭和3(1928)年の「倉敷新地図」では、「川西町北通」となっていました。

15分ぐらい歩いたところで、用水路の上に建てられた民家風の建物が見えました。かなり古い建物です。入り口のガラスに「川西町一丁目集会所」と書かれていました。

振り返るとすごい建物が・・。建て増しを繰り返したように見えます。1階部分を金属製の丸い金属パイプで支えて建てられているところもあります。壮観です。民家を見ながら、同じ道を引き返すことにしました。

国道429号線の手前の道を左に折れます。

川西町は、いわゆる「飲み屋街」として有名です。いまも飲食店、料理屋、旅館が集まっています。

旅館の建物が並ぶ中に、銭湯を見つけました。橘湯。ラジュウム温泉だそうです。看板の文字は木を貼り付けてつくられています。「営業は16時から」の張り紙がありました。今も現役のようです。創業が大正時代に遡る名銭湯です。

橘湯は旅館も併設していましたが、ドアは固く閉められていました。

飲み屋街の面目躍如、今も多くの酔客を集めています。

用水沿いの道の一つ西の通りに入ります。倉敷新地図では、「川西町本通」とあります。それには、このさらに西の通り(「旧川西町南通」)との間に、「遊郭」という文字が見えます。明治4(1871)年に宿場から遊郭に変わったのだそうです。昭和5(1930)年には、貸座敷が17軒あり、娼妓が113名おられたそうです。また、傘屋、洗濯屋、紺屋、菓子屋、提灯屋など職人さんが集まっていた職人町でもありました。

ここにも、懐かしい昭和の雰囲気を残す飲食店が残っています。

千本格子のついた民家も並んでいます。「御休処 旅館」と書かれていました。この通りも、川西町一丁目集会所の建物(中央の赤い屋根)に、つながっています。

一番街の出口、川西橋から、川西町を振り返りました。

右側の用水路沿いの道がかつての「川西町北通」、左の民家の間の道が「旧川西町本通」、右手の建物が川西町一丁目集会所です。

青い空の下、レトロな町が、のんびりとひなたぼっこをしているように見えました。

美観地区と違って、白壁の土蔵はありませんが、レトロな雰囲気がただよういい街でした。


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