トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

”秘境駅”上古沢駅から中古沢橋梁を訪ねる

2019年10月02日 | 日記

南海電鉄高野線には、牛山隆信氏が主宰されている”秘境駅ランキング”にランクインしている駅が、3つあります。 その中で、67位にランクインしている紀伊神谷駅(「南海電鉄の秘境駅(1)紀伊神谷駅を訪ねる」2019年8月27日の日記)と、147位の紀伊細川駅(「南海電鉄高野線の秘境駅(2)紀伊細川駅を訪ねる」2019年9月7日の日記)は、すでに訪ねて来ました。

この日は、もう一つの”秘境駅”、187位にランクインしている上古沢(かみこさわ)駅を訪ねることにしました。
南海電鉄橋本駅から、極楽橋駅行きの各停の電車に乗車しました。
25分ぐらいで、下古沢駅に着きました。「3本の列車との行き違いのため、15分ぐらい停車します」という車内アナウンスがありました。 ホームに出て、対向列車の写真を撮ることにしました。先頭車両の近くのホームで待っていると、「長くお待たせしてすみませんね」と、運転士さんが声をかけてくださいました。 「停車時間を楽しんでいますので・・・」とお返ししましたが、このようなお気遣いをいただいたのは、初めてのことでした。

最初の行き違い列車が来ました。橋本駅行きの各停です。下古沢駅は、もともとは、2面2線のホームでしたが、平成14(2002)年に、列車の交換設備が撤去され棒状駅になりました。そのため、橋本駅方面行きの電車が通る線路は撤去され、砂利に覆われた状態になっていました。
二本目の行き違い列車は、特急こうや号でした。 ところが、平成29(2017)年10月22日の台風21号の影響により、上古沢駅構内で起こった地すべりのため、行き違いの機能が下古沢駅に移設されることになりました。 現在では、2面2線の対面式ホームをもつ駅に戻っています。
最後に、回送列車の2300系の電車が通過して行きました。この車両は「人と環境にやさしい車両」をコンセプトに、平成17(2005)年にデビューしました。広い窓を持つズームカー。 2両編成4本が運行されています。この編成は、2301号車と2351号車で、「さくら」の愛称で呼ばれています。
標高177mの下古沢駅から、3,4分ぐらいで、標高230mの上古沢駅に着きました。 50パーミルの急勾配、曲線半径100m以下という急曲線のルートを、制限時速33kmで、中古沢橋梁を渡り、3つのトンネルを抜けて上って来ました。 運転士さんに「お気をつけて」とお気遣いのお礼をすると、すぐに、次の紀伊細川駅に向かって出発して行きました。電車の最後尾に駅舎に向かう構内踏切が見えました。

反対方向の橋本駅方面のホームの全景です。上屋と駅名標があるだけのシンプルなつくりになっていますが、駅名標は、高野線の旅の魅力向上のための「こうや花プロジェクト」の一環として、シンボルマークの緑・赤・ゴールドを使ったものにリニューアルされています。 線路に合わせて、ホームも大きく左にカーブしていました。


ホームの橋本駅方面の端から見た極楽橋駅方面のようすです。
平成29(2017)年10月22日に襲来した台風21号の影響で、駅の橋本駅方面で地滑りが発生し、運転見合わせとなりました。平成30(2018)年2月に、南海電鉄では、早期の復旧のため、橋本駅方面行きのホームの使用を休止し、行き違いの設備を下古沢駅に移設することにして、3月31日に運転を再開しました。 それ以後、1面1線の棒状のホームになりました。 2面2線のホームだった頃、橋本駅行きの電車が通っていた線路は撤去され、砂利に覆われています。 
使用休止になっているホームの先に、上古沢駅の駅舎の屋根が見えました。

以前、橋本駅方面に向かう列車が停車したホームの末端部分です。ホームの向こうの斜面の下に、上古沢の集落が広がっているのが見えます。 
極楽橋駅方面のホームの端まで戻ってきました。構内踏切と駅舎が見えます。
秘境駅ランキングを主宰されている牛山隆信氏は、上古沢駅を「人家の少ない地域の、山深い急斜面にある有人駅、古い駅舎が傾いている」と記録されています。牛山氏が「有人駅」と書かれているように、上古沢駅は、平成12(2000)年から業務委託駅になっていましたが、平成30(2018)年3月31日、橋本駅・極楽橋駅間が台風による被害から復旧したときからは、無人駅になっていました。
構内踏切を渡って駅舎に向かいます。撤去された線路跡です。 


極楽橋駅方面の線路跡です。牛山氏が「古い駅舎が傾いている」と書かれていましたが、右側にある駅舎を支える柱が右側の谷に向かって傾いているように見えます。

構内踏切と、使用休止になっているホームへの階段です。階段の上り口は鎖で封鎖されています。
駅舎に向かいます。白い駅舎の手前にグレーに見える建物が増築されています。近くで見ると、駅舎部分がかなり右側に傾いているのがわかります。
上古沢駅は、昭和3(1928)年、高野山電気鉄道が、高野下(こうやした)駅と神谷駅(現・紀伊神谷駅)間を開業させたときに開業しました。南海電鉄の駅になったのは、戦後の昭和22(1947)年3月のことでした。
キップを自動改札機に通して駅舎に入りました。その向こうに、造り付けのベンチが見えます。これまで訪ねてきた紀伊神谷駅や紀伊細川駅と同じ規格で建てられた駅舎だと感じました。 開業当時の駅舎が今も使用されているようです。
上古沢駅の中に入りました。自動改札機の向こうに駅舎の上屋や高野線の線路が見えました。 駅舎は2間四方ぐらいの広さです。 駅には自動発券機が設置されていないため、オレンジ色の「乗車駅証明書」の発券機が設置されていました。その後ろの壁面には、経済産業省の「近代化産業遺産」の認定書がありました。
平成21(2009)年に紀伊清水駅・極楽橋駅間の各駅、紀の川橋梁、丹生川橋梁、鋼索線と高野山駅とともに、上古沢駅も「近代化産業遺産」に認定されました。

無人駅のためか、紀伊神谷駅や紀伊細川駅にはなかった、南海電車の運行状況を示すモニターが設置されていました。このときは、南海本線の和泉大津駅と忠岡駅の間で発生した事故によるダイヤの乱れを伝えていました。
駅舎への出入口から見た駅舎内です。 清掃が行き届いており、清潔感あるれる駅舎になっていました。この駅の1日平均の乗降客は14人(2017年)で、南海電鉄の100駅中の99位、紀伊神谷駅に次いで利用者の少ない駅になっているようです。

駅舎の正面です。こうして、正面から見ると、谷側に傾いているようには見えませんでした。 正面左側の通路から裏に回ってみます。

こちらから見ると、やはりかなり傾いており、4本の柱で駅舎を支えているようです。

この日は、もう一つ、中古沢橋梁を訪ねようと思っていました。
「中古沢橋梁へいく道は駅に資料がありますから大丈夫。よくわからなければ、駅に設置されているインターホンスピーカー(遠隔対応装置)を利用すれば教えてくれますから・・」と、橋本駅から乗った電車の運転士さんに教えていただいていました。

駅舎に掲示されていた「防災マップ」です。この中に中古沢橋梁へ行く道が書かれていました。マップの右下が上古沢駅でそこから上に向かって高野線が延びています。左右に延びている道が高野線と交差するところが中古沢橋梁のあるところのようです。
中古沢橋梁をめざして歩きます。マップの案内にしたがって、駅前にあるトイレの脇を下って行きます。降りたところで、昭和43(1968)年に廃止された高野山森林鉄道の跡地に合流するようです。 高野山森林鉄道(以下「森林鉄道」)は、明治42(1909)年に九度山・高野山間が開通しました。運営は、大阪営林局高野営林署が担っていました。ルートは、ほぼ現在の南海電鉄高野線の九度山駅・極楽橋駅間と並行しており、全長45kmを超える路線だったようです。
坂を下りきったところで、写真の向こう側から伸びている森林鉄道の線路跡と合流します。ここを右の方に進んで行きます。

森林鉄道の跡地を下古沢駅方面に向かって進みます。上古沢駅よりもさらに進んだところに、「上古沢駅」 「古峠 二ツ鳥居を経て 丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ)」と書かれた道標がありました。写真の右の細い急坂の道が上古沢駅に通じる道です。ここはまっすぐに進んで行きます。

平成29(2017)年に起きた地すべりの復旧工事の跡が、右側の斜面に見えています。 この先は、森林鉄道のトンネル跡まで、道なりに進んで行きます。
右側にトンネルが見えました。左の道を進むと、災害時の避難場所である中古沢の集会所に行くことができます。 トンネルに入ります。
トンネルを抜けると線路跡は大きく右にカーブする道になりました。

日当たりがよくないせいか、ぬかるみのような道になっていましたが、そのまま進むと左にカーブしながら橋を渡ります。 ガードレールの部分にあった4つのプレートには、「渕ノ上橋」 「ふちのうえはし」 「エリ谷川」 「昭和58年3月架橋」と書かれていました。

大きく左にカーブしながら下ると目の前に車庫がありました。歩いてきた森林鉄道跡地は車庫の左側をさらに下っていたようです。 このとき、ちょうど目の前の車庫に軽自動車に乗った方が入って来られました。 駐車された後、お尋ねすると「中古沢橋梁はこの道を山の方に向かって降りて行けば、中古沢橋梁に行けますよ」とのこと。
ここで、森林鉄道の跡地から離れ、180度回って左の道に入り坂道を下って進みました。

やがて、道は登り坂になりました。先ほど渡って来た「渕ノ上橋」(かつての森林鉄道跡)の下をくぐります。 中古沢橋梁の建設資材は、木材を降ろした空のトロッコを使って運ばれたといわれています。 この道は、トロッコから降ろした建設資材を運んだ道だったのではないでしょうか。
その先に、九度山猟友会と九度山町の連名で、「イノシシ、ニホンジカの捕獲のため、『くくりなわ』をしかけているのでご注意を」という「お願い」が掲示されていました。

上古沢駅から20分ぐらい歩いて、中古沢橋梁を見上げるための「中古沢橋梁展望デッキ」(以下「お立ち台」)に着きました。 南海電鉄が推進している「こうや花鉄道プロジェクト」の一環として、平成22(2010)年2月につくられたそうです。
「お立ち台」の上に、「トレッスル橋」の中古沢橋梁が見えました。日本の「トレッスル橋」としては、JR山陰本線の余部(あまるべ)橋梁が最もよく知られています。
トレッスル橋は19世紀から20世紀にかけて、アメリカ合衆国では、谷を渡る橋梁によく採用されており、「お立ち台」にあった「説明」によれば、建設した高野山電軌鉄道は、「トンネルとトンネルの間の深い谷という地形に合わせて組み立ての容易なトレッスル橋を採用した」そうです。

また、「橋脚と橋桁を一体構造の鋼テラスで組み上げたπ(パイ)の形をしている。これは日本でも他に例を見ない珍しい形式の橋梁」だとも書かれていました。

「当時珍しかったコンクリートブロックを大量に使用し、森林鉄道を使って運んだことで、工期の大幅な短縮が図られ、3年の工期を経て、昭和2(1927)年に竣工しました。 全長67.6m、 高さ33.4m のトレッスル橋です」(「説明」より)。
極楽橋駅方面に向かう電車が、33.4m上方の橋梁の中央部を通過しています。

今回は、南海電鉄高野線の”秘境駅”上古沢駅を訪ねてきました。
上古沢駅は、牛山隆信氏の主宰する”秘境駅ランキング”の187位に位置づけられています。 牛山氏の評価では、秘境度 2ポイント(P) 雰囲気 1P 列車到達難易度 1P 外部到達難易度 2P 鉄道遺産指数 1P のトータル18Pを獲得しています。
人家の少ない地域の山深い急斜面にある駅でしたが、明るい日射しが注ぐ、美しい駅でした。 傾いた駅舎が、90年にわたるこの駅の歴史を静かに伝えていました。


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