トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
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南海電鉄高野線の秘境駅(2) 紀伊細川駅

2019年09月07日 | 日記

南海電鉄高野線の紀伊細川駅です。この駅は、牛山隆信氏が主宰されている秘境駅ランキングの147位にランクインしている秘境駅です。橋本駅から50パーミル(‰)の急勾配を、曲線半径100m以下という急カーブで上った山間にあります。今回は、前回訪ねた紀伊神谷駅(「南海電鉄の秘境駅(1)紀伊神谷駅」2019年8月27日の日記)に引き続き、南海電鉄高野線にある秘境駅、紀伊細川駅を訪ねることにしました。

橋本駅で乗車した2000系4両編成の電車は、行き違いのためのやや長い停車時間も含めて35分ぐらいで、”秘境駅” 紀伊細川駅に着きました。このとき下車したのは私一人でした。車体長17m・2扉車の乗車してきた電車は、構内踏切を通過して、次の紀伊神谷駅に向かって出発して行きました。

紀伊細川駅のホームからの橋本駅方面です。大きくカーブした、行き違いのできる2面2線の相対式ホームが見えます。到着したホームの上屋と駅名標以外には何も設置されていないシンプルな駅になっています。

上屋の先にあった駅名標です。「こうや花鉄道プロジェクト」の一環で作成された洒落たデザインです。紀伊細川駅は、標高363m。標高92mの橋本駅から260mほど上って来ました。電車は、この先標高535mの終着駅である極楽橋駅まで、さらに、275m上っていくことになります。紀伊細川駅は、橋本駅側の上古沢(かみこさわ)駅から3.0km、次の紀伊神谷駅まで2.4kmのところ、和歌山県伊都郡高野町細川にあります。

ホームの端から見た橋本駅側です。通り抜けてきた入谷トンネル(11番の番号が見えます)と時速33kmの制限速度表示、左側に引き込み線の車止めが見えます。南海電鉄高野線は、高野下駅を過ぎてからのトンネルには番号が振られています。入谷トンネルは11番目のトンネルになります。多くが100m台のトンネルですが、399mの椎出(しいで)トンネルが高野線の最長トンネルとされています。椎出トンネルは、高野下駅の橋本駅寄りにあるトンネルです。どのトンネルも50パーミルの急勾配に設けられているそうです。

構内踏切に、向かって引き返します。対面する狭いホームの裏に、駅舎の白い建物がありました。紀伊細川駅周辺は静かです。山深いところにある駅だと感じさせてくれます。

ホームの上屋まで戻って来ました。構内踏切を渡って駅舎に向かいます。紀伊細川駅は、昭和3(1928)年6月18日、高野山電気鉄道が高野下駅・神谷駅(現・紀伊神谷駅)間を開業させたときに、「細川駅」として開業しました。現在の「紀伊細川駅」に改称されたのは、昭和5(1930)年のことでした。そして、戦後の昭和22(1947)年には、南海電鉄の駅となりました。

構内踏切からの紀伊神谷駅方面です。本線に戻った高野線の線路は左に大きくカーブしています。

構内踏切から駅舎側のホームに上がります。ホームの向こうの通路を通れば、駅舎の自動改札機の前まで行くことができます。

これは、極楽橋行きの電車が停車するホームから撮影したものです。ホームから平屋建ての駅舎に行く階段のあたりのようすです。橋本駅方面行きのホームも、駅名標以外は何も設置されていないシンプルなつくりでした。

ホームから降りて駅舎の橋本駅側にあった駅事務所です。紀伊細川駅の一日平均乗降人員は21人(2017年)だそうです。これは南海電鉄の百駅中の98位に当たります。前回訪ねた紀伊神谷駅(100位)と上古沢(かみこさわ)駅(99位)に次ぐ3番目の少なさだそうです。でも、無人駅ではありません。業務委託駅になっており、駅事務所には電灯が灯り、駅スタッフの方が勤務についておられます。

自動改札機を抜けて駅舎内に入りました。緑の庭園の中に、駅舎からホームに上がる階段が見えます。

紀伊細川駅の駅舎は、昭和3(1928)年の開業時に建設されたもののようです。これは待合室の内部で、2間四方の広さでした。駅舎への出入口付近から撮影しました。正面に時計、時刻表、運賃表と出札窓口が見えます。左側に見える造りつけのベンチや出札窓口は、少年時代の駅を思い出させるつくりになっています。ただ、乗車券の販売はなされておらず、「乗車駅証明書」で乗車し、下車駅で精算するシステムになっています。

駅舎からホームへの出入口に掲示されていた経済産業省の「近代化産業遺産」の認定書です。平成21(2009)年、紀伊細川駅は、紀伊清水駅、学文路駅、久度山駅、高野下駅、下古沢駅、上古沢駅、紀伊神谷駅、極楽橋駅、鋼索線の高野山駅の9駅、紀ノ川橋梁、丹生川橋梁の2つの橋梁、鋼索線と共に、近代化産業遺産に認定されました。

平成16(2004)年、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。紀伊山地にある吉野、大峰、熊野三山とともに、「高野山石道と金剛峯寺境内」も登録されました。高野山への参道である「町石道(ちょういしみち)」を通るハイキングコースの案内が窓に掲示してありました。紀伊細川駅から矢立を経由して高野山に向かう「高野山町石道」の短縮モデルコース(約9.9km)としてハイキングをする人が増えているとのことです。

南海電鉄では、世界遺産高野山への旅を魅力あるものにすることを目標に、「こうや花鉄道プロジェクト」と名付けた企画を推進しています。

駅舎から出ると左側にトイレがありました。

駅舎から狭い駅前広場に出ました。はるか下に、高野町の町営住宅などの集落が見えました。町営住宅の近くには、ここから見えるプールのほか、公園、集会所なども整備されています。
駅舎の出入口から5.6歩ぐらいで、下の集落から駅舎に上ってくる階段に着きました。急勾配の階段でしたので、下ってみようと思いました。町石道のハイキングコースで向かう「矢立」への案内看板もありました。

 すごい急勾配です。


コンクリート階段が終わるとさらに細い未整備の道になりました。さらに道は集落に向けて下っていきます。

急な階段を上って、再度、駅舎に戻ってきました。駅舎の出入口付近に掲示してあった「防災マップ」です。「マップ」の左下にある廃校になった西細川小学校の跡地が災害時の避難場所になっています。そこまで赤い色で示されたのが「避難誘導経路」です。左右に流れる不動谷川を渡ったところに細川変電所があるようです。

紀伊細川駅周辺を歩いてみることにしました。駅前広場にあった「矢立」の案内にしたがって、今度は、駅舎から橋本駅側に下っていきます。
この時、極楽橋駅方面に向かって、特急”こうや”が通過して行きました。
谷側に設置されていた案内板です。「近畿自然歩道 高野山町石道」の説明が書かれています。「弘法大師、空海が平安時代に、高野山に真言密教の根本道場を開設してから信仰を集めるようになった。各地から高野山に行く道はいつしか7本(「七口」という)に集約された。その一つの九度山の慈尊院から山上の大門に至る表参道が高野山石道」で、ユネスコの世界遺産に登録されました。この道には、「空海が1町ごとに木製の卒塔婆を建てて道しるべをつくった」が、「鎌倉時代から1町ごとに石造りの五輪塔形の町石(ちょういし)が建てられた」と書かれていました。この町石が建てられた道を「町石道(ちょういしみち)」と呼んでいるそうです。
「町石道」に向かって、広い道を下っていきます。
下りきると、変形した四差路に出ます。ここで、写真の左方面に向かって進みます。地元で厚い信仰を集める八坂神社に行くことにしました。
八坂神社へ向かう道です。正面の山の中腹に「紀伊細川駅」の白い建物が見えました。
右側の前方にあった八坂神社です。拝殿とその裏の本殿が見えます。弘法大師がこの地に、病気除けや農耕の神として知られる素□鳴命(すさのおの命)を祀ったと伝えられている神社です。
参道です。不動谷川に架かる社前橋(しゃぜんばし)を渡ってお詣りしました。
先ほどの変形四差路に戻ってきました。駅から下って来た道の側壁に大きな道路標識が描かれていました。四差路を左折して、「矢立 高野山町石道」という案内にしたがって進みます。廃校となった西細川小学校を訪ねるつもりでした。
不動谷川と細川の出会う出会橋を渡って進みます。右側に細川変電所があります。通りの右側を下って流れる細川に沿って歩きます。

「高野山町石道」と書かれた道標にしたがって矢立に向かって進みます。
やがて、通りの左側に「西細川多目的集会所」と書かれた白い建物の屋根の上に、旧小学校の校舎跡が見えるようになりました。
着きました。災害の際の避難場所になっている旧西細川小学校の校舎跡に着きました。玄関前の石段の脇に「高野町立西細川小学校 創立百周年記念碑 昭和55年12月末日 高野町長 徳富義孝書」という記念碑が残っていました。その後ろの木製の碑には「和紙の会 第一土曜日午後」と書かれています。「和紙」とは「高野紙」。約1200年前、弘法大師によって伝えられ、高野山の寺院の出版物に使用されたといわれる丈夫な和紙だそうです。衰退し伝統文化が消えそうになったとき、女性の方が、最後の職人から技術を受け継ぎ、今も紙漉(かみすき)の修行を続けておられるそうです。ここで、毎月第一土曜日に、紙漉教室が行われています。
駅舎に戻ってきました。一つだけ気になることがありました。写真のように、トイレ前には餌と水は置いてありましたが、紀伊細川駅にたくさんいるはずの猫の姿を、訪問してからまったく見ていなかったからです。駅のスタッフの方は「駅が飼っているわけではないのですよ」とのことでしたが・・。
駅舎の周囲を探していたら、庭の近くに2匹見つかりました。ほっとしましたが、私は、たくさんの猫が占拠している駅だと思い込んでいたようです。

牛山隆信氏が主宰されている秘境駅ランキングの147位にランクインしている紀伊細川駅を訪ねて来ました。牛山氏は「秘境度4ポイント(以下「P」)、雰囲気3P、列車到達難易度1P、外部到達難易度4P 鉄道遺産指数3Pの合計15P」と評価されています。そして「古い駅舎で、眼下に集落を臨み、急な階段で上る駅」だとコメントを寄せておられます。高い山の中腹にあり、駅に行くためには急な坂道を登って行かなければならないというロケーションが、秘境駅の雰囲気を強めているように感じました。

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