秘境駅訪問家の牛山隆信氏が作成した秘境駅ランキング。JR土讃線からは3駅が選定されています。すでに、ランキング7位の徳島県坪尻駅(「秘境の駅、JR坪尻駅に行ってきました!」2011年3月19日の日記)、同24位の高知県新改(しんがい)駅(「JR土讃線、もう一つのスイッチバック、新改駅」2012年8月7日の日記)は訪ねました。どちらも「スイッチバック駅」で知られる山あいの駅でした。 今回は、土讃線三つ目の160位の秘境駅、JR土佐北川駅を訪ねました。ちなみに、牛山氏がランキングの根拠としたポイント数は、坪尻駅は86ポイント、新改駅は67ポイント、そして、今回訪ねた土佐北川駅は15ポイントでした。
阿波池田駅から須崎行きの普通列車で土讃線(香川県多度津駅起点)を南に向かいました。景勝地の大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)を通り、たくさんのトンネルを抜けて、約1時間10分後、土佐北川駅に着きました。下車すると、たちまち厳しい寒さに襲われました。
トラス式の橋梁の中に土佐北川駅はありました。ホームは島式の1面2線でした。写真は多度津駅方面の光景です。正面に大豊(おおとよ)トンネルが、右側に下を流れる吉野川の支流、穴内(あなない)川が見えました。
南側から撮影した土佐北川駅の姿です。全国でもめずらしい橋上に設置された駅でした。土佐北川駅は昭和35(1960)年に開業しましたが、鉄橋の上につくられたのは昭和61(1986)年3月3日のことでした。ちなみに、橋上の駅としては、他に、伊予鉄道横河原線の石手川公園駅(「伊予鉄道の”鉄橋上の駅、石手川公園駅」2015年4月8日の日記)、東大島駅(東京都営地下鉄新宿線)、武庫川駅(阪神電鉄「鉄橋上の駅、阪神電鉄武庫川駅」2015年12月28日の日記)がよく知られています。私の知る限りでは、JRでは福知山線にある西宮名塩駅、一部橋上にはみ出している武田尾駅(「トンネルと鉄橋の駅、JR武田尾駅」2014年4月24日の日記)も橋上の駅として知られています。
土讃線はもともと大歩危・小歩危などのある、険しい谷間を縫って走っていました。そのため、土砂崩れや地滑りなどの自然災害によって大きな被害を受けて来ました。 多度津方面の隣の駅である大杉駅と土佐北川駅の間は、大杉トンネル(昭和48=1973年開通)と大豊トンネル(昭和61=1986年開通)という大きなトンネル(実際にはその間にもう一つあります)を設置し、ルートを変更することによって、自然災害から土讃線を守ってきました。土佐北川駅は、大豊トンネルの完成した年に、橋上に移されたようです。
周辺のようすを見ることにしました。駅から離れ、近くを走る国道32号線に出ました。写真は、そこから大杉駅方面の国道を撮影したものです。飼犬が元気よく吠える声を聞きながら、ここから手前の方、土佐北川駅に向かって歩くことにしました。
先ほど橋上から見えていた大豊トンネルが右上にありました。
国道32号線は、土讃線の下をくぐります。下から見た光景です。右が阿波池田方面行き、左が高知方面行きの線路です。
右側にあった食堂風の建物です。駅の周辺にはこのお宅を含めて3軒の民家がありました。
左側を流れる穴内川です。写真の左の方へ流れています。その先で吉野川に合流します。
国道32号線をさらに高知方面に向かいます。10分ぐらいで「JR土佐北川駅」の標識が見えました。
標識のところにあった北川口橋を渡ります。穴内川にかかっています。この橋の右側にもう一本旧橋が残っています。
北川口橋を渡りきると土讃線の線路の下に着きます。左へ向かうと土佐北川駅です。広場にあった公衆電話。その前にあった掲示では、この駅周辺の住所は高知県長岡郡大豊町久寿軒(くすのき)だそうです。駅(鉄橋)に向かって歩きます。正面右側の建物はトイレです。
トイレ前です。川沿いの道をさらに進みます。
その先に駅標がありました。そこで通路は二つに分岐します。
一つはまっすぐに階段を上り、川を渡る通路に向かう道です。その階段を少し登ってみました。
穴内川の上流方面が見えました。
もう一つは右折して駅のホームに向かう道です。ここで右に折れて駅に向かいます。突き当たりは待合室です。
プレハブ建築のような雰囲気ですが、椅子や時刻表、料金表やポスターなど駅にある情報はそろっていました。ただ、煙草の吸い殻や缶コーヒーのプルトップが放置されていたのが残念でした。
待合室の手前を左折して階段を上がるとホームです。ホームの入り口付近には、屋根がついていました。
ホームの右側に描かれていた乗車口の案内です。
階段の近くにあった「使用済み切符の回収箱」。かなり長い期間置かれているようですね。
「土佐北川」の駅名表示。「D33」はこの駅の駅番号です。
駅名表示です。高知方面の次の駅は、角茂谷(かくもだに)駅で、2.2kmの距離です。多度津方面の大杉駅までは6.1km、大豊トンネルと大杉トンネルを抜けていきます。
高知方面行きの線路の脇にあった「93キロポスト」。土佐北川駅が土讃線の起点、多度津駅から93kmの距離にあることを示しています。
ホームに残っていた足跡。コンクリートが固まる前に踏みつけたのでしょう。踏みつけた人は今もこのように残っていることを知っているのでしょうか?
トラスに取り付けられていました。このトラス橋は昭和59(1984)年にできたのでしょうね。駅は昭和61(1986)年にできたそうです。
ホームの右側のトラスの間から見えた風力発電の風車です。到着したときには見えませんでしたが、駅に吹いていた冷たい風から、風力発電機を設置していることはよく理解できました。
阿波池田駅から須崎行きの普通列車で土讃線(香川県多度津駅起点)を南に向かいました。景勝地の大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)を通り、たくさんのトンネルを抜けて、約1時間10分後、土佐北川駅に着きました。下車すると、たちまち厳しい寒さに襲われました。
トラス式の橋梁の中に土佐北川駅はありました。ホームは島式の1面2線でした。写真は多度津駅方面の光景です。正面に大豊(おおとよ)トンネルが、右側に下を流れる吉野川の支流、穴内(あなない)川が見えました。
南側から撮影した土佐北川駅の姿です。全国でもめずらしい橋上に設置された駅でした。土佐北川駅は昭和35(1960)年に開業しましたが、鉄橋の上につくられたのは昭和61(1986)年3月3日のことでした。ちなみに、橋上の駅としては、他に、伊予鉄道横河原線の石手川公園駅(「伊予鉄道の”鉄橋上の駅、石手川公園駅」2015年4月8日の日記)、東大島駅(東京都営地下鉄新宿線)、武庫川駅(阪神電鉄「鉄橋上の駅、阪神電鉄武庫川駅」2015年12月28日の日記)がよく知られています。私の知る限りでは、JRでは福知山線にある西宮名塩駅、一部橋上にはみ出している武田尾駅(「トンネルと鉄橋の駅、JR武田尾駅」2014年4月24日の日記)も橋上の駅として知られています。
土讃線はもともと大歩危・小歩危などのある、険しい谷間を縫って走っていました。そのため、土砂崩れや地滑りなどの自然災害によって大きな被害を受けて来ました。 多度津方面の隣の駅である大杉駅と土佐北川駅の間は、大杉トンネル(昭和48=1973年開通)と大豊トンネル(昭和61=1986年開通)という大きなトンネル(実際にはその間にもう一つあります)を設置し、ルートを変更することによって、自然災害から土讃線を守ってきました。土佐北川駅は、大豊トンネルの完成した年に、橋上に移されたようです。
周辺のようすを見ることにしました。駅から離れ、近くを走る国道32号線に出ました。写真は、そこから大杉駅方面の国道を撮影したものです。飼犬が元気よく吠える声を聞きながら、ここから手前の方、土佐北川駅に向かって歩くことにしました。
先ほど橋上から見えていた大豊トンネルが右上にありました。
国道32号線は、土讃線の下をくぐります。下から見た光景です。右が阿波池田方面行き、左が高知方面行きの線路です。
右側にあった食堂風の建物です。駅の周辺にはこのお宅を含めて3軒の民家がありました。
左側を流れる穴内川です。写真の左の方へ流れています。その先で吉野川に合流します。
国道32号線をさらに高知方面に向かいます。10分ぐらいで「JR土佐北川駅」の標識が見えました。
標識のところにあった北川口橋を渡ります。穴内川にかかっています。この橋の右側にもう一本旧橋が残っています。
北川口橋を渡りきると土讃線の線路の下に着きます。左へ向かうと土佐北川駅です。広場にあった公衆電話。その前にあった掲示では、この駅周辺の住所は高知県長岡郡大豊町久寿軒(くすのき)だそうです。駅(鉄橋)に向かって歩きます。正面右側の建物はトイレです。
トイレ前です。川沿いの道をさらに進みます。
その先に駅標がありました。そこで通路は二つに分岐します。
一つはまっすぐに階段を上り、川を渡る通路に向かう道です。その階段を少し登ってみました。
穴内川の上流方面が見えました。
もう一つは右折して駅のホームに向かう道です。ここで右に折れて駅に向かいます。突き当たりは待合室です。
プレハブ建築のような雰囲気ですが、椅子や時刻表、料金表やポスターなど駅にある情報はそろっていました。ただ、煙草の吸い殻や缶コーヒーのプルトップが放置されていたのが残念でした。
待合室の手前を左折して階段を上がるとホームです。ホームの入り口付近には、屋根がついていました。
ホームの右側に描かれていた乗車口の案内です。
階段の近くにあった「使用済み切符の回収箱」。かなり長い期間置かれているようですね。
「土佐北川」の駅名表示。「D33」はこの駅の駅番号です。
駅名表示です。高知方面の次の駅は、角茂谷(かくもだに)駅で、2.2kmの距離です。多度津方面の大杉駅までは6.1km、大豊トンネルと大杉トンネルを抜けていきます。
高知方面行きの線路の脇にあった「93キロポスト」。土佐北川駅が土讃線の起点、多度津駅から93kmの距離にあることを示しています。
ホームに残っていた足跡。コンクリートが固まる前に踏みつけたのでしょう。踏みつけた人は今もこのように残っていることを知っているのでしょうか?
トラスに取り付けられていました。このトラス橋は昭和59(1984)年にできたのでしょうね。駅は昭和61(1986)年にできたそうです。
ホームの右側のトラスの間から見えた風力発電の風車です。到着したときには見えませんでしたが、駅に吹いていた冷たい風から、風力発電機を設置していることはよく理解できました。
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ホームの先端です。下はグレーチングです。
グレーチングの下には、穴内川の川原石が見えました。足がすくみました! あわてて、ホームに帰りました。
土佐北川駅の滞在中に通過した列車です。特急”しまんと5号”、高松発高知行きです。
11時過ぎに通過した特急”南風3号”、岡山発中村行きです。
そして、12時過ぎに通過した岡山発高知行きの特急”南風5号”でした。
再び「土佐北川駅」と書かれた駅表示まで戻ります。穴内川を渡る通路を進みます。
この駅は、あくまでも橋なのです。この橋を渡って対岸に行く人が利用しています。
通路から見たホームです。高さがわかりますね。
通路を歩いているときに通過した特急”南風12号”、宿毛発岡山行きです。
待合室にあった時刻表です。停車する列車は、下りの高知方面行きが1日9本。多度津方面行きが1日8本だけです。多度津方面行きの列車は、8時1分の阿波池田行きの後は12時2分まで一本もありません。その後は15時12分発でインターバルが3時間あります。「秘境駅」といわれる土佐北川駅ですが、牛山氏はその根拠になる5項目のうち「列車到達難易度」に8ポイント、「鉄道遺産指数」に4ポイントを与えています。しかし、他の「秘境度」や「雰囲気」、「車到達難易度」はたったの1ポイントしか与えていません。周囲を歩いてみましたが、すぐそばを国道32号線が走っていて住民の生活にはほとんど支障はなく、「秘境」という印象は受けませんでした。鉄道駅でありながら「列車到達難易度」が高い、鉄道駅としては「秘境」という印象でした。また、「雰囲気」が1ポイントというのも頷けました。その点で、坪尻駅や新改駅とは大きく違っていました。
初冬の一日、寒さにふるえながら駅の周囲を歩き町の雰囲気も味わいました。「秘境駅」であろうとなかろうと、山里のおだやかな雰囲気を残す、ほんとうにいい駅でした。
ホームの先端です。下はグレーチングです。
グレーチングの下には、穴内川の川原石が見えました。足がすくみました! あわてて、ホームに帰りました。
土佐北川駅の滞在中に通過した列車です。特急”しまんと5号”、高松発高知行きです。
11時過ぎに通過した特急”南風3号”、岡山発中村行きです。
そして、12時過ぎに通過した岡山発高知行きの特急”南風5号”でした。
再び「土佐北川駅」と書かれた駅表示まで戻ります。穴内川を渡る通路を進みます。
この駅は、あくまでも橋なのです。この橋を渡って対岸に行く人が利用しています。
通路から見たホームです。高さがわかりますね。
通路を歩いているときに通過した特急”南風12号”、宿毛発岡山行きです。
待合室にあった時刻表です。停車する列車は、下りの高知方面行きが1日9本。多度津方面行きが1日8本だけです。多度津方面行きの列車は、8時1分の阿波池田行きの後は12時2分まで一本もありません。その後は15時12分発でインターバルが3時間あります。「秘境駅」といわれる土佐北川駅ですが、牛山氏はその根拠になる5項目のうち「列車到達難易度」に8ポイント、「鉄道遺産指数」に4ポイントを与えています。しかし、他の「秘境度」や「雰囲気」、「車到達難易度」はたったの1ポイントしか与えていません。周囲を歩いてみましたが、すぐそばを国道32号線が走っていて住民の生活にはほとんど支障はなく、「秘境」という印象は受けませんでした。鉄道駅でありながら「列車到達難易度」が高い、鉄道駅としては「秘境」という印象でした。また、「雰囲気」が1ポイントというのも頷けました。その点で、坪尻駅や新改駅とは大きく違っていました。
初冬の一日、寒さにふるえながら駅の周囲を歩き町の雰囲気も味わいました。「秘境駅」であろうとなかろうと、山里のおだやかな雰囲気を残す、ほんとうにいい駅でした。
「1日16kmはとても歩けないが、電車移動と1つのポイントで2~3km程度ならば」というのも本音です。