
ここは路面電車の右カーブ、半径11mで90度曲がる、日本一の急カーブです。

日本一の急カーブに挑む路面電車です。あまりの急カーブのため、この路線に乗り入れできない車両もあるそうです。

日本一の急カーブに惹かれて、愛知県豊橋市の豊橋鉄道東田(あずまだ)本線の路面電車に乗ってきました。出発はJR豊橋駅でした。

駅前の歩道橋から見た豊橋鉄道の路面電車(以下「電車」と書きます)です。右がホームに入ってくる電車、左が出発して出て行く電車です。

「路面電車のりば」に向かいます。

ホームは1面だけです。そのため、出発していく電車が出ていくまで、到着する電車はホームの手前で待機していました。左は3200形の3201号車。3200形は親会社の名古屋鉄道、岐阜市内線(美濃町線)から移って来た車両で、豊橋鉄道には3両が在籍しています。右は3500形の3503号車、東京都交通局からの車両で4両が在籍しています。豊橋鉄道の駅は「停留場」と呼ばれていました。

駅前停留場のホームにあった路線図です。東田本線には赤岩口停留場に向かう路線(4.8km)と途中の井原駅から分岐して運動公園前停留場に向かう路線(井原停留場から0.6km)があります。

この日乗車した平日の8時台には、赤で表示された赤岩口行きが4本、緑で表示された運動公園前行きが4本、交互に運行され、黒で表示された競輪場前行きの1本を加えて計9本が運行されていました。

軌間が1067ミリの線路を、東田本線の主力車両である780形787号車が入って来ました。780形も名古屋鉄道岐阜市内線(廃止された揖斐線)から移ってきました。運賃は定額で150円。前側の入り口から乗車するときに投入口に入れることになっています。ラッシュ時には、駅員さんが立ち中央の扉(降車用)からも乗車できるようになっていました。

定時に出発しました。ホームを出た電車は大きく左にカーブして駅前大通に出ます。写真は電車の後部から豊橋駅方面を撮影しました。豊橋鉄道は大正14(1925)年に、途中の東田停留場までが開通しました。電車の架線を支える架線柱は線路の中央に設けられています。センターポールがきれいです。

駅前大通停留場。平成17(2005)年に設置された最も新しい停留場です。電車は駅前でも見た3201号車です。駅前停留場から0.3km。

新川(しんかわ)停留場です。洗練された近代的な通りにあります。駅前大通停留場から0.3kmありました。

「たわむれ」と題された像です。これ以外にも多くの像が歩道に展示されていました。

新川停留場から左にカーブして「田原街道」という表示のある道路に入ります。センターポールの先に札木(ふだぎ)停留場があります。新川停車場から0.4kmのところにあります。札木停留場のすぐ先を、左右に横断する通りが旧東海道です。江戸時代には、札木付近はこの地にあった吉田宿の中心部でした。2軒あった本陣は停留場を左折したところにありました。

旧東海道の2本手前の通りは魚町です。豊橋を代表する練り製品の老舗、文政10(1827)年創業のヤマサちくわ本店があります。

電車は札木停留場の先で右カーブして国道1号線に入ります。交差点にある歩道橋の上から撮影しました。国道を走る路面電車は、全国でこの鉄道だけだそうです。センターポールの下を走る電車はほんとうにきれいです。

札木停車場から0.4kmで、次の市役所前停留場に着きます。このあたりには見どころがたくさんあります。

停留場の手前の左側にあった豊橋市役所(左奥)と豊橋市公会堂です。ロマネスク様式の公会堂は昭和6(1931)年、昭和天皇即位式の記念事業として竣工しました。鉄筋コンクリート3階建て。空襲にも耐え、昭和初期の重厚な建築美を今に伝えています。手前に建っている石碑には「藩黌時習館趾」と刻まれています。時習館は、宝暦2(1752)年当時の吉田藩主松平信復が城内の八丁小路に設立した藩校です。同じ名前の藩校が肥後熊本藩にもありました。

公会堂は、手前を走る路面電車の撮影スポットとして有名です。向かいに建つ英数館の前から撮影しました。電車は781号車です。

市役所停留場の左側に少し入ったところにあったハリストス正教会です。大正2(1913)年の建立です。愛知県知多郡内海町出身の河村伊蔵の設計で、玄関の上に鐘塔を備えた正教会として完成された形式のため、平成20(2008)年に国の重要文化財に指定されています。

国道1号線に面して建てられた安久美神戸(あくみかんべ)神明社です。鬼祭で知られています。

これはJR豊橋駅の改札口に飾ってあった鬼です。神明社の鬼祭のPRをしているのでしょう。

次の豊橋公園前駅停留場までの距離は0.2km。豊橋鉄道の停車場間の最短区間です。豊橋公園は停留場の手前を左に入ったところにあります。

豊橋公園は吉田城跡の広い敷地に整備されました。陸上競技場や野球場などのスポーツ施設も設けられています。

昭和29(1954)年に再建された吉田城の鉄(くろがね)櫓です。天正18(1590)年に、15万2千石でこの地に入封された池田輝正は、それまでの今橋から「吉田」と改称し、吉田城の整備に着手しました。しかし、10年後に姫路へ移封になり、その後は譜代大名が移ってきましたが、城の整備は未完成のままでした。天守閣は建設されず鉄櫓が天守の替わりに使われていました。鉄櫓は、宝永4(1707)年の宝永地震で倒壊してから再建されることはありませんでした。

吉田城は豊川を背にしてつくられました。この川の沿岸の吉田湊は、江戸時代を通して水運の終点として、また、伊勢や江戸への起点として栄えました。

本丸には、今も石垣が残されています。

豊橋公園前停留場から0.5kmで、東八町停留場に着きます。豊橋鉄道は全線が併用軌道のため、どの停留場もホームと電車の間はきわめて狭い構造になっています。

東八町は、江戸時代には旧東海道の吉田宿の東惣門が置かれたところでした。江戸からやって来た旅人はここで吉田宿に入っていました。写真は秋葉山常夜灯です。文化2(1805)年に東惣門前に建立されました。昭和55(1970)年の三河地震で倒壊しましたが、平成13(2001)年にこの地に復元されました。

0.4kmで、前畑停留場です。道路の中央の軌道に整然と敷き詰められた敷石(石畳)がきれいです。かつては路面電車といえば敷石がつきものでしたが・・。

前畑駅の手前150mぐらいのところにある横断歩道橋が、軌道の敷石を撮影するスポットとして有名でした。今では歩道橋の近くの敷石が撤去されたのか見えなくなっていました。すでに撮影スポットではなくなっているようです。

次の東田坂上(あずまださかうえ)停留場です。前畑停留場から0.3kmの距離でした。駅前停留場行きの787号車が入っています。

0.5km先にある東田停留場です。路面に「乗降者注意」と書かれているように、安全地帯のない停留場でした。電車から降りたとき、乗用車がすぐそばを走っていて驚きました。東田本線で唯一の安全地帯のない停留場でした。駅前停留場からここまでが、大正14(1925)年に開業しました。

写真は駅前停留場行きの電車の最後尾から撮影したものですが、東田停留場の先で複線区間が終わります。競輪場前停留場は単線の先にありました。東田停留場から0.3kmでした。東田停留場・競輪場前停留場間は、昭和25(1950)年に開業しました。

駅前停留場から順調に走ってきた電車は、ここで、急にスピードが落ちました。競輪場前停留場方面からやって来る電車を待って、停留場に進入していきます。後から来た電車が列をつくることもありました。写真はすれ違うT1001(左・愛称「ほットラム」)号車と3202号車(右)です。「ほットラム」はアルナ車両製の低床車両で、平成20(2008)年から運用が始まりました。転籍車両ではなく、豊橋鉄道のオリジナル車両です。しかし、残念なことに、この電車はあの日本一の急カーブには入れません。

競輪場前停留場の脇にあった駐車場です。競輪場前行きだった電車が、次の出発まで小休止をしていました。左が3502号車、右が3201号車です。

駐車場の隣は豊橋鉄道の営業所です。乗務員さんはこちらで小休止するのでしょう。

次の井原駅の手前の電車内です。ほとんどの乗客が下車していましたので、撮影することができました。井原駅まで0.5kmです。

井原(いはら)駅です。赤岩口行きの電車と運動公園前行きの電車の分岐点です。そのため、井原駅はホームが3ヶ所設置されています。写真は赤岩口方面行きのホーム。左の赤い電車が見えるところが運動公園前行きの電車の乗降場、右奥の乗用車の向こうは駅前方面行きの乗降場です。

井原停留場から0.7kmで、終点の赤岩口停留場に着きました。東田本線の駅間の最長区間です。朝のラッシュアワーが終わる時間でしたが、駅前停留場から30分以上かかりました。やはり、競輪場前停留場の手前にある、単線に変わるところで時間がかかったからでしょう。3202号車です。

軌道の終点です。すぐにでもこの先が延伸できるような感じがします。競輪場前停留場・井原停留場・赤岩口間(1.2km)は、昭和35(1960)年に、単線で開業しました。

赤岩口停留場の脇にあった車庫です。左から2台目の電車は「おでんしゃ」(3203号車)。平成19(2007)年にスタートした、冬期に運行している「おでん電車」です。「おでんしゃ」は豊橋鉄道の商標登録になっているそうです。

井原停留場に引き返しました。このカーブが、半径11mで90度カーブする日本一の急カーブです。電車は、井原停留場から右折して運動公園前停留場に向かいます。写真は、井原停留場方面に向かって撮影しました。

カーブを行く3503号車です。この急カーブは、昭和57(1982)年に、井原停留場・運動公園前停留場間が単線で開業したときにつくられました。

0.6kmで、終点の運動公園前停留場に着きました。

運動場前停留場は比較的新しい停留場ですので、ホームの幅は少し広く点字ブロックも設置されていました。電車は787号車です。

停留場のすぐ先で線路が途切れます。こちらも赤岩口停留場と同じように、車止めはついていませんでした。
豊橋鉄道は「日本一の急カーブ」のある路面電車です。二つの路線5.4kmを16両の車両で年間290万人(平成24年度)を輸送しています。「日本で唯一国道を走る路面電車」、「センターポールが美しい鉄道」、「石畳の線路が残る鉄道」、「沿線の見どころも豊富」など・・。たくさんのキャッチフレーズが浮かぶ魅力あふれる路面電車でした。
まぁお金がない、という番組なんで、豊橋まで撮影に行けなかっただけかも知れませんが^_^;