トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

岡山市の地名由来碑を歩く(2)・・・旧常盤町 二十日堀

2010年12月22日 | 日記
岡山駅の東にある柳川交差点を、清輝橋行きの市内電車に沿って右折し、
南に10分ぐらい歩くと、左側に岡山中央郵便局が見えてきます。
この通りは、岡山藩主池田家の治める岡山城下町の外堀だったところです。

関ヶ原の戦いで、徳川方の勝利に貢献し、
池田家の前に岡山を領有していた小早川秀秋が、
多くの領民を動員して、20日間で掘ったといわれています。
「二十日堀」ともいわれています。

岡山中央郵便局の前に、
「二十日堀」の「地名由来碑」が立っています。
夜景になってしまいましたが・・・。

 

郵便局を左に見ながら、
外堀の西側の歩道をもう少し南に進んで行きます。
「ひめぎん」、愛媛銀行岡山支店の前に、
「常磐町」の地名由来碑が設置されています。



ここは、江戸時代の前半には、「仏師町」といわれていたところです。
小早川秀秋の時代に、蓮昌寺が北隣に移ってきて、
多くの仏師を京都から呼び寄せこの町に住まわせたので、
「仏師町」の名がつけられたといわれています。


仏師町から、常磐町と改名されましたが、
当時、南隣の町が「松の町」と呼ばれており、
「松の常磐」と続いて縁起がいいからと「常磐町」と改名されたといわれています。
ちなみに、「松の町」は「高砂町」と改名されています。

常磐町は町人町で、嘉永7(1854)年には、
戸数75戸、人口171人(男89人、女82人)だったそうです。
この町には、木綿問屋和田屋右介が住んでいました。  
代々右介を襲名する和田屋は、
2~4代の右介が惣年寄をつとめていました。

また、鴨方に向かう庭瀬往来は、
18世紀中頃からは、
外堀にある5つの町口門の一つ常磐町口門を出て、
この常葉町の南の道をとおり、高砂町を南下して、
大雲寺町に出ていったといわれています。

今は、常磐町は田町二丁目となり、
たくさんの店が並んでおり、
にぎやかな商業地や飲食店街としてにぎわっています。


<参考>
 「絵図で歩く岡山城下町」(岡山大学附属図書館編)
 「岡山市の地名」
 http://www.city.okayama.jp/museum/yuraihi/index2.html







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