トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

しまなみ海道を歩きました!

2013年09月21日 | 日記
しまなみ海道は、瀬戸内海をまたいで四国にわたる本州四国連絡道路の尾道・今治ルート。正式には、西瀬戸自動車道と呼ばれています。瀬戸中央自動車道(児島・坂出ルート・昭和63(1987)年4月10日開通)、神戸淡路鳴門自動車道(平成10(1998)年4月5日開通)に続いて、3ルートの最後、平成11(1999)年5月1日に開通しました。風光明媚な芸予諸島を島伝いに結ぶ自動車道ですが、自転車歩行者専用道路が併設されているのが大きな特色です。

今回は、岡山市に本社を置くバス会社、両備ホールディングスの企画でした。リュックサックならぬ”リュックサークル”の歩く旅です。約100名の方とともに、生口(いくち)島のサンセットビーチから多々羅大橋で大三島へ向かい、さらに大三島橋をわたって伯方(はかた)島の”はかたS&Cパーク”までの14.2kmを歩きました。この案内図は、案内図の中の「現在地」であるサンセットビーチに掲示されていたものです。

サンセットビーチの浜辺です。ここがスタート地点でした。

ストレッチをすませて、出発です。ここで思いがけない方が私の姿を見つけてくださいました。かつて勤務していた岡山県玉野市でお世話になった先輩でした。思いがけない出会いのため、ずいぶん楽しい旅になりました。

10時40分、手作りの出発ゲートから歩き始めました。玉野時代の思い出話や懐かしい人の近況をお聞きしているうちに25分が経過しました。

白い建物はトイレです。ここで、国道から離れます。その後は、前方の山の中腹にあるガードレールの道を歩くことになります。

”リュックサークル”の案内マークにしたがって、レモンの果樹園の中にある山道を、多々羅大橋に向かって登っていきます。コースの要所に張られていた案内マークには、みんなずいぶん助けられました。

植えられていたレモンです。明治時代に始まった、ここ瀬戸田町のレモン栽培は、昭和38(1963)年には日本一の産地になり、現在では「皮まで食べられるエコレモン」として全国に知られるようになっています。

山の中腹から見た多々羅大橋。対岸の大三島が霞みでよく見えません。

多々羅大橋の入り口にあった遮断機です。風雨が強い日は、この遮断機が降りてきて、進入禁止になるそうです。

最後に階段を上って多々羅大橋に上がります。「生口島南」のインターチェンジから2kmのところでした。

しまなみ海道の自転車歩行者専用道路に上がりました。多々羅大橋の手前にあったのが自転車の料金所です。多々羅大橋をわたる料金は100円でした。係員の方はおらず、利用者が料金箱に払い込むシステムになっています。しまなみ海道の9本の橋と尾道大橋(広島県道路公社の管理橋)を含めて、合計 510円かかるそうです。歩行者はもちろん無料です。

そのまま、自転車歩行者専用道路を歩きます。多々羅大橋の上で、すぐサイクリングの方とすれ違いました。この日は土曜日でしたので、この後も、たくさんの方とすれ違うことになりました。

多々羅大橋に2カ所あった「多々羅鳴き龍」。ガードレールにおいてある拍子木を打つと鉄塔に反響して、龍の鳴き声のように聞こえるとか、私は龍の鳴き声を聞いたことがなかったので定かではありませんが、確かに反響は大きいかったようです。

楽しそうに反響を楽しんでおられた女性の参加者です。

橋の上で、広島県から愛媛県に入りました。このあたりの島々から架橋運動が湧き起こったのは、昭和20(1945)年、この日のゴール地点のある伯方島の木浦港を出た第十東予丸の沈没事故(死者397名)でした。そして、12年後に、スタート地点があった生口島の瀬戸田港を出港してすぐに起きた第五北川丸沈没(死者113名)事故の後からは、架橋は島民の悲願ともいうべきものになっていきました。

県境から15分後に左折しました。道の駅”多々羅しまなみ公園”に向かうためです。

これは、多々羅大橋の上から見た道の駅です。遠くに霞んでいます。ずいぶん高いところにあるのですね、多々羅大橋は。

多々羅大橋に上った時と同じように、坂道をぐるぐる回りながら下っていきます。

道路上にあった自転車道のマークです。

道路脇に展示されていた海上自衛隊のヘリコプター。

要所に立っておられた”リュックサークル”のスタッフです。

11時55分、道の駅に着きました。スタートから1時間15分かかりました。ここで、いただいていたお弁当を食べました。

道の駅の近くにあった案内板です。この後は、大三島を南に下り大三島橋を渡って伯方島にむかいます。

12時20分頃出発しました。

道の駅を出て、すぐ、左側にあった甘崎城跡です。海中の島に建てられていました。説明によれば、「天智天皇10(671)年、唐の軍隊が侵攻してくるのに備えて築城された、日本最古の水軍城」とのことでした。663年、白村江の戦いで、唐と新羅の連合軍に敗れた大和朝廷は、日本への侵攻に備え、瀬戸内海から近畿地方にかけての各地に山城を築城しました。甘崎城もそのときに築城されたもののようです。

多々羅大橋の上から見えた甘崎城跡です。霞んでいて幻想的な雰囲気を感じました。

その先の堤防に描かれていた、地元の中学生の壁画です。

ここからのコースは、国道の歩道部分をひたすら歩きました。単調なコースで、先輩も私も無口になりました。道路からの照り返しに汗をたっぷりかきながら、ひたすら歩きました。国道を歩くこと50分、駐在所の前で国道を渡り、大三島橋に向かう坂道へと入っていきます。前を行く参加者も皆さんお元気でした。

サイクリングロードのマークを見ながら坂道を登っていきます。下っているように見えるのは、振り返って撮影したからです。

入り口にあった自転車の料金所です。追い抜いていったサイクリングの方が、走りながらコインをぽーんと投げ込んで行きました。大三島橋の利用料金は50円でした。

駐在所の前から、さらに20分。大三島橋が見えました。さらに5分ほどがんばって、橋に近づいたところで足を止めて休憩しました。一緒に歩いた先輩は、まだまだお元気でした。

大三島橋をのぞむ鼻栗展望台に向かう道から分かれて大三島橋に入りました。

対岸の伯方島の海岸線です。まだもやがかかっているような状態でしたが、遠くに海と島が見える風景には癒されます。元気も出ました。

伯方島に入りました。大三島橋を渡りきると、ぐるっと回る道を通って山を下って行きます。めざすは、ゴールの”伯方S&Cパーク”です。

途中くぐった大三島橋の下で休憩し、シャツも着替えました。日陰になっていて、ここだけは涼しかったです。

さらに下り坂になっている道を歩きます。休憩してから5分ほどで、しまなみ造船の工場の脇に到達。建造中の船舶を見ながら進みました。このあたりは、伯方町伊方です。

巨大なクレーンに「しまなみ造船」の名前がありました。

造船所の工場に沿ってカーブします。工場の建物の真ん中あたりで左折して、さらに歩きます。何かゴールに近づいてきたという予感がします。

前方にあった伯方大橋を見ながら進んでいきます。ゴールが見えてきました。

ここは、伯方S&Cパーク(「スポーツアンドカルチャーパーク」)です。体育館と文化センターがある広々とした一画でした。 伯方ビーチにありました。

ゴールです。14時40分でした。ここまで、出発してからちょうど4時間かかりました。参加者のなかには、バスガイドさんのもつテープを切ってゴールする方もおられました。写真は、記念撮影中のご夫婦です。

ゴール脇にあった道の駅。”マリンオアシスはかた”です。目の前の駐車場には、帰りに乗車するバスが待っていました。

生口島のサンセットビーチから大三島を経て伯方島のS&Cパークまで、14,2kmを4時間かかって歩く旅でした。私にとっては、以前、旧井笠鉄道本線線路跡の笠岡・井原間の18km(2011年10月25日の日記)を歩いた時に次ぐ長さでした。しかし、暑さとしんどさは、断然今回のコースの方が上でした。そのため、達成感も少しありました。 先輩と一緒に歩いた旅は、疲れましたが、一方でなかなか楽しいものでした。 後日、先輩から、そのときの写真も届きました。皆さんに、感謝です!


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1 コメント

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見ました (山田)
2013-10-12 11:18:54
 「求めよ!さらば与えられん!」ですね。いろんな旅が飛び込んで来るように思えました。とても魅力的なコースです。行きたくなりました。
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