ファンタジーなど

基本的に、いろいろなことの変なとこに突っ込みます。

中学同窓会の範囲

2021-08-19 01:08:16 | 日記
私の住む地域では、小学校と中学校は1校づつしかありません
から地元の同窓会は、中学校卒業生だけが基本になります。
~今や、小学校入学者が1桁の時代。中学校では部活もまま
 ならず域外通学も当たり前になっています。
 ~ボロい木造小学校建て替えの話もあるようですが、1学年
  3クラスで建てた鉄筋コンクリートの中学校があります。
  6クラス分の空き教室があるわけで、教員室さへ手当て
  できれば小学校も同居できるという処ですが、
  何も進んでいないようです。通学バスを仕立てて他の
  地域へ通学させる方が安上がりという現実があります。
  教職員の給料より通学バス1台+運転者1名の経費の方が
  遙かに安く、通学先の教室も教職員もそのままでいいの
  だから。~机もイスもゲタ箱も余っている。

各地域に、ほぼ永年の連絡担当者を決めまして、同窓会の
忘年会ないし新年会、ならびに1親等内の身内の葬儀の連絡を
することになっています。
~同窓会の役員は、全体の同窓会を開くまで継続です。
 開いた後の最初の忘年会か新年会で後任が決まります。

この連絡範囲は、地元住民に限定されています。
同じ市内や県内に住む方々には連絡がいかないのです。

地元だけでも30人もいて、30人全員来たら入る店は、
地元には同窓生の営業する店一つしか無いよという問題が
先にある。で、40人は絶対入れないということから地元外
には声を掛けられないのでした。
~早期退社で地元に戻り、参加していても、来てたのは、
 いつも20人+・・・
~市内に広げただけでも15+人は増えますから、地元限定を
 続けたようです。

さて、同窓生全体(今140人程)に招集かけても30人は越える
けど40人に届いたことは一度も無かったという寂しい実績が50年
以上に至りました。
 ~地元の全員が揃うことは一度として無かったということでも
  あります。
  私、中3の11月頃の転入ですから、同級生50+人はともかく
  覚えられたとしても、同窓生150人+の顔なんて覚えられる
  わけがありません。地元に戻ってからの地元同窓会で覚えた
  のがほとんどです。同窓会に全く出てこないのも数人います。
  そいつの葬式での遺影が初見というのもいました。

さて、東京で中華店を営み始めた同窓生が観光地めぐりから、食事
会に変えました。電話連絡だけで集める方式です。同窓会の合間に
だいたい4年に1回、東京か鹿沼で実施しました。どちらも、日帰り
の同窓会で、出席者は30人前後になりました。
~東京の方は、中学卒業後、2年に1回のペースで始めた様です。
 提唱者は当時は従業員なので、都内に近い観光地が集合場所の様
 でした。浪人中の勧誘は遠慮してくれたようです。
 全体の同窓会の年は東京分はお休みです。
 ~秋田の同郷の中卒の連中は、こちらが大学浪人の時から声を掛
  けて来たのですが、毎終末の遊びのお誘いでした。
  浪人に遊んでる暇無いし、お金無いよで、ほぼ絶縁した・された
  のでした。大学合格後も、金に余裕無いのは一緒なので付き合い
  きれないのでした。
  ~そもそも、昼と夜の食事代に困ったのでした。立ち食いソバ
   40円、カレー専門店80円、大衆食堂で100円あたりという
   生活でしたから。
   ~女子短大へ進んだ同窓生のお仲間に付き合って、渋谷の
    ロシア料理店に付き合ったことが・・・
    一番安いピロシキが300円だったかで、それがどんな料理か
    まったく知らずに、その料理だけ頼んだのでした。
    出てきたの見て、あ、これだけで食事って無理だわと、冷や
    汗が。以後のお誘いは無くなったし、女性も誘えなくなった
    のでありました。

~東京の店も、鹿沼の店も世代が代わりました。どっちも同窓生は
 隠居になりました。~最初の数回は宇都宮近辺の同窓生の経営店を
 使って始めたのですが、早世してしまったので、鹿沼の同窓生が
 嫁入りした店に替えて継続したのでした。

コロナのせいで、地元の同窓会を含めてできないままです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユーハ(株)の「麻ピー」のデキストリン

2021-08-18 03:19:31 | 通販・買い物
ユーハ(株)の「麻ピー」の「マーラーピーナッツとカリカリ花椒」
がデキストリンを使っていないことを確認して買ったのですが、
その隣に並んでいた「麻ピー」の「カリカリ花椒と黒胡椒」は使って
いないのは一緒と思い込んで買ってしまいました。

黒胡椒のほうにはデキストリンが使われていました。
見事に下痢しました・・・
 (製造所記号が同じ +F でした。)
 ~こちら、三宮一貫ロウ監修としてあります。中華料理店のよう
  ですから料理人がデキストリンを使っていると思われます。
  ~店での手作りで乾物にしておくものって・・・花椒か?
  ~マーラーの方にも花椒が使われているんだが・・・
   (まだ食べていない・・・)

ついでに、「柿の種」にデキストリンを使う会社があります。
 ~一例は、三幸製菓。
うかつに、ツマミに手を出せなくなりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和の開拓の話

2021-08-17 04:13:56 | 日記・エッセイ・コラム
樺太から引き上げ北海道の鉱山住まいの後、
開拓に入ったようです。
最初は、今の、秋田県鹿角市八幡平村トロコ。
(トロコはアイヌ語のようです。)
~こんな国立公園になるような地域で農業が
 できるって考えた役人はバカです・・・

温泉由来の硫黄の採集が経済的になりたって
いるあいだだけは、生活できました。
朝鮮動乱が終わったから?硫黄の需要も無く
なり農業はハナから無理。(林業の需要は
ありましたから、伯父が握りましたw)

次が、秋田県由利郡矢島町谷地沢の西に
無理やり作った谷地沢西という開拓。
ここは、第2次大戦中の馬の放牧場でありました。
高さ2mにみたない土塁というか土を持った壁を
延々と作って囲いを作り、その中に馬を放牧=
放置していたようです。この成果は、地元
(距離は10km程)の方も知らないようでした。
放牧場だったんだから開拓にできると考えたんで
しょう。お役人は。
 (当時の冬の積雪は、0mから4mまで。冬期の
  馬小屋と世話人がいなければ無謀な話ですが、
  馬小屋がどこにあったのか誰も知らなかったw)

さて、矢島(ヤシマと濁りませんw)町の問題は、
産業が無いのです。農業による産出しか無いのです。
父親は、春夏秋は開拓、冬は東京に出稼ぎという行動を
とりました。
一応町で人口1万はいましたので市場はありました。
母は、鶏卵+何かの野菜と頑張りました。野菜は、いろいろ
頑張りましたが、生計を支える程には至りませんでした。
結局は、父の出稼ぎが生活を支えたのでした。
 (母に言わせると、最低限のお金しか送ってこなかった、
  全部遊びに使ったんだろうと。酒飲めない、バクチ好か
  ない父でしたので、女遊びか?)

覚えている野菜は:
 菜種(自家用油で終わった)、ゴマ(自家用油で終わった)、
 大豆(自家用油と豆腐用)、小豆(毎年の自家用分)、
 ソバ(毎年完全に自家用分)、落花生(1年で終わったから
 失敗だろう)、麻(自家用に麻の実を使うだけに終始した、
 麻の実入りミソ炒めはうまかった、これも無許可栽培だった
 かもだが、麻縄作って自家使用していた。ハッパ?いぶして
 吸う?煙いだけ!羊や牛馬のエサにしたことも無い)、
 タバコ(できが悪すぎた、背丈が1mにもなれないのだから。
 婆ちゃんの使用分も賄えなかった。婆ちゃんが死んだ後、作る
 のを止めた。植えていた場所も外れだったから無許可栽培だっ
 たかもね)、
 陸稲(自家用でしかありえない。小6の修学旅行で、真っ黒に
 近い白米を持参して恥ずかしかった記憶が)、
 水稲(丘陵地に水田を作るのはムズく自家用分で終わった。)
 結局の所、売るだけの量は作れなかったのでした。
 ~街まで片道10kmの歩きで、毎日収獲するような野菜は
  無理だとわかりますよね?

売れたのは鶏卵だけでした。(毎週100個を越える卵を担いで
 売りに行かされたのでしたw)
さて、60年前の鶏卵の価格。分かりますか?
10円以上ですが15円に届いたことは多分無いです。
今の鶏卵価格・・・どれだけ経っても、安い。
ただし、元の西川議員が活を入れたといばっていましたから
少しは値上げできたようです。

で、3度目の開拓が現住所です。もっとも、土地は隠居様の
土地になっていたため、畑名目が300平米に足りず、
近くの土地を畑にするよと言って合わせて買うことで入手
したのでした。
 ~その土地、未だに原野でありまして、死んだ兄からの
  名義変更ができなかった理由でもあります。
父は、農業を続ける気は全く無く、宇都宮に住みたがって
いましたが、義兄に逆らえなかったようです。
~父の義兄は最初のトロコで近所に同時開拓しましたが、
 早い機会に、今住む近所に再開拓で入りました。
~同じ金額で宇都宮に家買えたんだとぼやいてました。
 お墓は、父の義兄が嫁に出た娘達のために確保して
 いて譲ってくれなかった。
 ~結局は娘達の誰も墓を作らなかったし、孫達も作らな
  かった。
  この地区のお墓、南向きと西向きが混在してゴチャ
  ゴチャの雰囲気に。
 ~墓は隣の地区からわけてもらい、そこに作った。
  こちらは、すべてが南向き。

さて、同じ樺太、コノトロ村からの開拓者も世代がすべて
代わりました。最近、私の下の世代の跡取りも、無くなり
始めました。
牛肉や牛乳に賭けた開拓も、借金を解消できないまま
終わるようです。
借金をなんとか解消できた家もあります。燐家は、牛と牛舎
と借金を知人に継承して貰って逃れたようです。知人には
赤字を利用できる理由があったということでしょう。

今回無くなった家の次男は東京に生活基盤があります。
入院中の母がいます。多分、破産にして終えるのでは
ないかと思います。死んだ長男は、今飼っている牛を
全部売って、家土地を売っても借金を消せないと言って
いましたから。
~長男は独身のままでした。

父の義兄の家は、今は孫娘の世代です。で、食えない家
3軒をまとめて牛乳をやっています。当然、借金だらけです。
当初の契約からしたら、全家の借金は昨年あたりでゼロと
いうことになっているようですが、契約期間がうん十年と
いうのが実際だったようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初盆3件のお返しに3品のデキストリンと余分なお話

2021-08-13 20:40:53 | 社会・経済
今年の初盆は、3件でした。
~親戚(従兄弟)の親戚(従兄弟の嫁さんの従姉妹)
 である方を除いての数です。

その3件のお返しに、3品のデキストリン使用製品が
入っていました。
デキストリンが普及しすぎです~~~

兄の嫁さんと娘とその息子と成人した娘が自分の息子を
連れて兄の墓参りに来ましたので即刻譲りましたw

兄のところは、こんな感じ。

兄ー死去
 |ー+ー息子(母親と仲が悪く別居)
 母 |   |
   |   +ーー男の子2人(問題無し)
   |   |
   |   嫁さん
   |
   +ー同居の娘ーー+ーー娘(前夫の子供:母と別居)
           |  +---息子(まともそう)
           |  夫(妻と同居)
           |
           +ーー死去した次夫の息子(小学生・自閉症・同居)

自閉症の孫はともかく、兄の嫁さんに性格的な問題があり、一時警察沙汰を
起こしたようです。嫁さん自体も認知症当たり前のヤバイ域に入っています。
これ以上の問題を起こさないで欲しいです。

おまけ:下野新聞に「同居の娘」の事故記事が載ったことがありました。
  正面衝突で、車線変更して突っ込んできた女性は即死だったそうです。
  当時の一家3人(母・娘・孫娘)は、娘が大腿骨損傷したようですが
  他は無事だったようです。ここでの母の印象は、あ、娘死んだわ~。
  この時は下野新聞で、読んだとき、同じ名前の人って居るんだな~と
  いう感想だけ。まさか姪っ子本人だったとはw
  兄と同じ名前の高校時代の同級生の死亡記事があり、葬式にも参列して
  いましたから。兄も同じ地元に居ため、お前死んだ筈とからかわれたw

  ところで、兄の隆の名では生の上に一本の棒があったとか。
  でも生地は樺太であるために戸籍謄本は入手できず、多分名付け親は祖父の
  補守(ヤスモリと読むからこれ事態無理筋かも)が名付けただろうから無理
  というもの。
  ~父の原ソツにしてもソツはノ木偏に卒業の卒です。誰からもゲンサンは
   いいとしてゲンスイさんとしかよばれなかったようです。
   父にしても、日本に国籍を作り直す際に隆の生の上に棒が一本あったなんて
   思ってもいなかったはずw
  他の子供達にも難読文字をあてまくりましたwさらに読み方にも懲りましたw
  「力子」あなたどう読みますか?スジコが正解です。誰も正しく読んでもらえ
  ないからと、本人、自称を変えました・・・カネコと。カネコも無理読みなん
  ですが・・・戸籍では読み方までは書いていないから許されるのですねw
  ~親戚で読み方に2派ありました。「スジちゃん」と「カネちゃん」の二つです。
   母は、カネちゃんと呼んでいましたが、実はスジちゃんだよという注釈を付け
   るのでした。
 
  日光市は頑張ってソツの文字を作ってくれましたw
  ~一時、別の文字になっていたというのは愛嬌:変わった文字を使う人はいっぱい
   居て間違って二重に当ててしまったというのが事実のようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

呼び出しリンを数回聴いて応じても切れている電話のこと

2021-08-11 22:37:35 | 通販・買い物
電話関係、ネット関係の売り込みに多い感じですが、固定電話・
携帯電話にかかわらず、数回の呼び出し音で応じても切れている
ことが多くあります。
3回電話をとって、そのウチ1回以上は必ず切れているという感じ
です。
~昔、ワン切りが、電話が生きているかどうかの確認を採る
 ために多用された時期がありました。今もあるっぽいので
 知らない番号は、2回コールまでは採らない様にしています。
 ~もちろんワン切りも、気付いたら着信拒否に登録しています。

代表電話で掛けまくっているコンピュータみたいなのがあり、
応じた客を、空いているオペレータに繋ぐ方式と思われます。
で、空いているオペレータがいない場合は、即切りしていると
推定できます。つまり業者優先・顧客無視のシステムです。

空いているオペレータがいない場合は、呼び出ししない設計に
すべき処ですが、そこまで顧客に優しい設計ではないようです。
~着信拒否や、ネットでの電話番号への不評コメントが書き込
 まれることになり、会社の評判を下げ続けていることになっ
 ているからバカなのですが。
当方は、即切りされた場合、着信拒否に登録しています。
~固定・携帯合わせても月に数回しか掛かってこないまでに
 減りました。固定電話は、解約します~支払いが基本料だけ
 で、テレホンカードを使用する余地も無いようですから。

契約には、70才未満の肉親の同意者が必要だというケースも
出てきました。
ギリギリ近在に住む妹が一人該当するので、妹の同意を取ることに。
で、妹のとこに同意を求める文書が届き、同意書に署名・捺印して
返信してくれたそうです。
でも、その先の連絡が一切ありません。
ひょっとして、受話器をとったら切れているという奴で、反射的に
着信拒否してしまったかもw
~これらのシステムの呼び出しには、顧客のデータを反映する
 ようにはできていないようですから。
 契約中の顧客にも勧誘電話するというオバカなシステムですから。
 ~太陽光発電、エコキュウトウ、バッテリーの売り込みがやたらと
  続き、実施済みだからそれ登録しろよと言っても改善されず、
  着信拒否しか対策は無かったのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする