前に、どれかの記事で、少し書いたことです。
日本の風習では、分家を建てる毎に、新たにお墓を作ります。
つまり家単位に一墓です。
ついでに:誰かの墓を勝手に作ることはできません。
分家が、親も祭りたい場合は、お役所から許可を貰って
分祀することになります。
お墓の処分も移設も、許可が必要です。
例外? 秋田県の祖母を含めた4人の埋葬墓地に杉が植林され、
樹木葬にされた感じで、お墓が特定不能になりました。
役所だからできたのかと、困惑したのでした。
~転居後8年後のお墓参りでは、杉は高さ2mに至らず
全部のお墓は、ちゃんと確認でき、お供えもできました。
~この時は、全戸のブロック建ての家の残骸も、
コンクリート製の神社も鳥居も健在でした。
20年後は、もはや、お墓の痕跡は何も見つけることが
できませんでした。只々、杉の大木の森がありました。
この時は、全戸のブロック建ての家の残骸も、
神社も鳥居どころか、全家周辺の凸凹地も消えていました。
~今は、地名も変えられていますから、恨み骨髄だったようです。
全員引っ越しすることになった「絶対の弁解」を書いておきます。
第二次大戦中、当地は夏季限定ですが、軍馬の放牧が行われて
いたようです。当時も、牛の放牧は夏季限定で行われていました。
ただし、土地が痩せていて、牛馬用の雑草はともかくとしても、
木は育たない痩せ地のようでした。
各家に配られた土地は結構広かったと思います。
でも、育っていたのは直径10cmには届かない雑木だけで
それを薪にできるものの、切った後が育たないのでした。
~戦後、放牧を辞めて放置されて育った木が、せいぜいの雑木
でした。これが私たちの家の燃料になったのです。
~転居後の20年後では伐採後に生えているのは雑草だけでした。
さらに土地が痩せたということでしょう。
住んでから9年経った時点で、冬を越えるための燃料どころか
煮焚き用の燃料が尽きかけていたのです。
住み続けようとしたら、飢え死にか凍死確実という状況でした。
土地は痩せていて、自家用食料がせいぜい:それも陸稲だよ!
~父が水田を作りましたが、7年以上経ってからです。
只の農地に水を引いてくるのって半端無い仕事なのです。
6年目の小学校卒業旅行には陸稲の黒い米を持参して
凄く恥ずかしかった。
誰も黒い米を見たことがなくエッと思っただけらしかった。
~陸稲と水稲は米の形が違うので水稲用の精米機しか無い
日本では陸稲の精米は、うまく行かない道理でした。
現金は出稼ぎでしか稼げないのでした。
よって、各家が出稼ぎ先に近い土地に引っ越すのが当然でした。
~父が姉婿に引っ張られて今に至るのです。
(宇都宮市に住むだけの金を用意していたというのです)
余計のボヤキ?
オヤジの目論見通りだった場合、私は、中卒で就業していますw
私が、高校・大学まで行った理由の全部は、ここの中学校長が
私のIQ(149?)を見て、こいつ、高校・大学に行かせようと、
先ずは高校在学中の奨学金を世話してくれた所から始まります。
ついでにIQの数値向上に役にたつかも?
昔のことだから、人様の見ているモノを見ることは多かったのです。
人様の見るモノを見る=逆さま、斜め、あるいは真横の絵や文字を
見る・読むわけです。完全に逆さまのは百人一首で鍛えられます。
同じパターンのものにチェックを入れていく試験を受けたことが
あります。慣れたモノで、ホイホイ進めました。
昔、麻雀の牌を覚えることも可能でしたが、皆と同一にしようと
敢えて記憶しないように努めました。これで、結構、持ち出し
ましたが、アイツまずいから呼ばないということにはなりませんでしたw
今は機械がやりますから、全員平等です。でも、負けないから
呼ばれることも無くなりましたw
墓石には、「xx家の墓」といった感じで家名が表示されています。
個人の名前は、墓石本体か、墓石とは別の墓誌用の石に刻みます。
仏教の戒名を刻む場合も、本名も刻むことも多いようです。
さて、夫婦別姓となると、親子も片方は別姓です。
海外の一人一墓とか、一人一棺で複数収納の墓室形式なら、
問題は少ないでしょう。
が、「xx家の墓」の日本式では、無理が出ます。
名字が xx でない人が墓を守っていくケースは早々に、でてきます。
また、祭った全員の名字も付けねばなりません。
数代も経なくとも、他人には判断不能な、お墓になります。
これ、今は、どこの家=誰が祭っている、お墓なのと・・・
日本の風習では、分家を建てる毎に、新たにお墓を作ります。
つまり家単位に一墓です。
ついでに:誰かの墓を勝手に作ることはできません。
分家が、親も祭りたい場合は、お役所から許可を貰って
分祀することになります。
お墓の処分も移設も、許可が必要です。
例外? 秋田県の祖母を含めた4人の埋葬墓地に杉が植林され、
樹木葬にされた感じで、お墓が特定不能になりました。
役所だからできたのかと、困惑したのでした。
~転居後8年後のお墓参りでは、杉は高さ2mに至らず
全部のお墓は、ちゃんと確認でき、お供えもできました。
~この時は、全戸のブロック建ての家の残骸も、
コンクリート製の神社も鳥居も健在でした。
20年後は、もはや、お墓の痕跡は何も見つけることが
できませんでした。只々、杉の大木の森がありました。
この時は、全戸のブロック建ての家の残骸も、
神社も鳥居どころか、全家周辺の凸凹地も消えていました。
~今は、地名も変えられていますから、恨み骨髄だったようです。
全員引っ越しすることになった「絶対の弁解」を書いておきます。
第二次大戦中、当地は夏季限定ですが、軍馬の放牧が行われて
いたようです。当時も、牛の放牧は夏季限定で行われていました。
ただし、土地が痩せていて、牛馬用の雑草はともかくとしても、
木は育たない痩せ地のようでした。
各家に配られた土地は結構広かったと思います。
でも、育っていたのは直径10cmには届かない雑木だけで
それを薪にできるものの、切った後が育たないのでした。
~戦後、放牧を辞めて放置されて育った木が、せいぜいの雑木
でした。これが私たちの家の燃料になったのです。
~転居後の20年後では伐採後に生えているのは雑草だけでした。
さらに土地が痩せたということでしょう。
住んでから9年経った時点で、冬を越えるための燃料どころか
煮焚き用の燃料が尽きかけていたのです。
住み続けようとしたら、飢え死にか凍死確実という状況でした。
土地は痩せていて、自家用食料がせいぜい:それも陸稲だよ!
~父が水田を作りましたが、7年以上経ってからです。
只の農地に水を引いてくるのって半端無い仕事なのです。
6年目の小学校卒業旅行には陸稲の黒い米を持参して
凄く恥ずかしかった。
誰も黒い米を見たことがなくエッと思っただけらしかった。
~陸稲と水稲は米の形が違うので水稲用の精米機しか無い
日本では陸稲の精米は、うまく行かない道理でした。
現金は出稼ぎでしか稼げないのでした。
よって、各家が出稼ぎ先に近い土地に引っ越すのが当然でした。
~父が姉婿に引っ張られて今に至るのです。
(宇都宮市に住むだけの金を用意していたというのです)
余計のボヤキ?
オヤジの目論見通りだった場合、私は、中卒で就業していますw
私が、高校・大学まで行った理由の全部は、ここの中学校長が
私のIQ(149?)を見て、こいつ、高校・大学に行かせようと、
先ずは高校在学中の奨学金を世話してくれた所から始まります。
ついでにIQの数値向上に役にたつかも?
昔のことだから、人様の見ているモノを見ることは多かったのです。
人様の見るモノを見る=逆さま、斜め、あるいは真横の絵や文字を
見る・読むわけです。完全に逆さまのは百人一首で鍛えられます。
同じパターンのものにチェックを入れていく試験を受けたことが
あります。慣れたモノで、ホイホイ進めました。
昔、麻雀の牌を覚えることも可能でしたが、皆と同一にしようと
敢えて記憶しないように努めました。これで、結構、持ち出し
ましたが、アイツまずいから呼ばないということにはなりませんでしたw
今は機械がやりますから、全員平等です。でも、負けないから
呼ばれることも無くなりましたw
墓石には、「xx家の墓」といった感じで家名が表示されています。
個人の名前は、墓石本体か、墓石とは別の墓誌用の石に刻みます。
仏教の戒名を刻む場合も、本名も刻むことも多いようです。
さて、夫婦別姓となると、親子も片方は別姓です。
海外の一人一墓とか、一人一棺で複数収納の墓室形式なら、
問題は少ないでしょう。
が、「xx家の墓」の日本式では、無理が出ます。
名字が xx でない人が墓を守っていくケースは早々に、でてきます。
また、祭った全員の名字も付けねばなりません。
数代も経なくとも、他人には判断不能な、お墓になります。
これ、今は、どこの家=誰が祭っている、お墓なのと・・・
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