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ファンタジーなど

基本的に、いろいろなことの変なとこに突っ込みます。

ガムシは冬眠しないようだけど水面凍結で溺れ死ぬかも

2023-01-01 09:30:12 | うんちく・小ネタ
朝、隣のネコが水飲みに来ていましたが、ホーロー風呂桶もプラ水槽も凍結中でした。
 ~以前はどちらもメダカ鉢だったのですが、今は睡蓮鉢の代用品です。
  後者のプラ水槽は、メダカが全滅する事故が年中起きるので飼うのを諦めました。
  メダカには毒でも猫なら大丈夫でしょうと放置。

ハンマーで氷を割ってやろうとしたら、ホーロー風呂桶水面近くで、大型の昆虫が
力無くもがいていて動きを止めました。
氷を割って風呂桶枠に置いて日光浴させていたら少し経って動き出しました。

大型昆虫は溺れ死ぬ寸前だったようです。

ゲンゴロウより遙かに大きく色も黒だけどタガメとも違うのでググってみました。
どうもガムシのようです。
足も泳ぎに適した形じゃないようです。間違って水に落ちた甲虫の印象でした。

日本語の起源・系統を調べる際に忘れられていること

2022-12-31 23:57:23 | うんちく・小ネタ
DNAによる日本人の起源もなかなか難しいようです。

さらに、日本語の起源となると、正に孤立言語としか言えないようです。

さて、日本語の起源を探す際に、ある数と決めた語彙の、各国・各地域の
読み方と比較して近い・遠いと判定し、近い数の割合などから、言語が近い・
遠いと判断するようです。

これ日本の各地域でも差異があるため、これが日本語だとしてまとめて
やっってしまうとか標準語を採用するとか言うのは、結構まずいようです。
~標準語は江戸下町言葉とも違うので明治以降のどこかで作られた言葉と
 言えそうです。

さて、意外な所で、先生方が気がつかないのか見落としていることがあります。
それは、

1:古墳時代から、移動した集団がある。
  ~例:天皇家一族および、家来達

2:古墳時代以降に、移動したないし移封された貴族団・武士団がある。
  ~例:藤原氏の流れの一族は住み着いた土地に合わせてx藤を名乗っています。
     今や日本全国に入り乱れて住んでいるのですから、そこからさらに移動
     したわけです。
     名字を名乗れなかった庶民も名乗れないだけで名字を持っていて地元の
     集会では名乗っていた人も多いようです。全員が地主の名字を名乗った地域も
     あります。全員が遠くても姻戚関係があったようですから結構妥当ですね。
  ~武士団は派遣された地域に住み着き定住していましたが、
   戦国時代からは、武士団の移動が激しくなります。

3:平安時代以降は、島が流人用に結構使われています。
  江戸時代の幕府は八丈島を多用したようです。
  他藩でも独自の島流しをしていたようで、西郷隆盛は奄美大島・沖永良部島と
  2度も流されています。
  流人とはいえ、世話は村人達がしたようですから当然会話します。1、2と違い
  地元民との付き合いが濃いはずですから、流人の話言葉は伝わります。
  しかも村に流人は一人しか置かないように努めたでしょうから、村ごとに、話し
  言葉は違うはず。流人が死亡したら次の流人を送れるわけで幕府が同じ村には
  同じ国の流人なんて配慮するはずもないから伝わる方言は入り乱れるはず。
  方言を別の方言に置き換えることもおきるはず。

4:廃藩置県で生活の糧を失った武士団の多くは北海道に渡り藩ごとにまとまって
  住み着き開拓をします。
  よって北海道の方言を調べる?それ完全に間違っています。町村ごとに方言が
  違うからです。札幌は仙台藩士が主だったようですが、北大を作ったり、国の
  役所を置いてからそこら中の人々が集まるから、言葉もゴッチャに。

  元アイヌ系の方々は、隣村とも通訳を使わないと会話できなかったそうで、
  明治時代に共通語として日本語を強制しています。
  アイヌのコミックでは共通語を話したように描いていますが、共通語はなかった
  ようです。
  ~アイヌ語の辞書を作って残そうとした日本人がいたそうですが、村ごとに違う
   言葉だったので諦めたという話があるようです。
   矢野徹氏の「カムイの剣」では、アイヌに共通語があるかのように書いていましたが、
   残念ながら無かったのです。そういえばインディアン語も英語もあまり苦労せずに
   喋れた物語になっていたような・・・
   ~アメリカインディアンも共通語は無かったようです・・・1500言語って・・・
    北海道の縄文人は遺跡を残して絶滅していますから別として、万葉仮名文字を編み
    出すまでの永い間でも東北から沖縄まで会話可能な言語を維持できたというのは
    奇跡でしょう。日本全国の日本人が出来たばかりかもの万葉仮名で誰もが理解できる
    和歌を作り残せたのだから会話できる環境にあったことは自明です。
    日本人は互いに広く常時通商していたから同じ言葉を維持できたということでしょう。

5:第2次大戦後、町を焼き出された人々の一部は新たな開拓に住み着いたようです。
  私らより古い開拓の人たちの思い出話が米軍の空襲だったので。

6:満州・樺太引上げ者が開拓に住み着いた。
  樺太引上げ者は2つに大別されます。
  終戦即引き揚げ組と、ロシアと米国との協議で1946以後に引き揚げた組です。
  我が家は後組です。樺太同地区・同時期引き上げで同じ開拓に住み着きましたが
  家族単位で喋る言葉が違います。それは出身地が違うからです。当然、開拓がある
  地域の方言とも違います。
  つまりは子供達は、家(我が家では土佐弁)、開拓(学校で習う標準語)、
  学校(東北弁~多数派の地元の子供達は標準語を習っているのに方言を使い続ける)
  で言葉を使い分けたのです。

7:各地の国立大学への進学者は他の地域からも入ります。卒業して務める先も、その地域
  の会社が自然多くなります。
  例えば金沢大学。静岡出身者が入学卒業し石川県の会社に勤め今も住んでいます。
  彼の大学仲間が青森県出身で彼の妹に惚れて結婚し、今も一緒です。

8:会社の仕事が気に入って地方の会社を選ぶことも多いです。
  私、石川県の会社が気に入って入っちゃいました。
  でもソフトウェアがより気に入ったら東京勤務だった。
  ~バスガイドが喋る能登半島方言がほとんど理解できなかった記憶が。

9:大都市圏は地方出身者の坩堝です。

10:鹿児島は、薩摩藩がスパイを見つけやすくするために、人工言語を持ち込んだ。
  これらの言葉を外さないと鹿児島県のデータは無意味になります。
  昔、仕事で熊本出張の帰り、空港で食後まったりとしていました。
  そこに女子高生らしき一団が。会話がさっぱり理解できなくて、韓国人の一団かなと
  思いました。5分ほど聞いていたら日本語の言葉が混じることに気付きました。
  同じ飛行機で東京に向かう熊本の女子高生の一団なのだと。
  これなら他国のスパイは一発で露見するなと感心しました。

1~9のケースがありますから、人の選択をランダムにしてしまうと、データを採るごとに
違う結果が出るはずです。完全ランダムで元外人を選んだら悲惨です。
選択・抽出を恣意的に行わないと現地方言だけに絞ることはできません。
 ~これ、地域別にDNAの傾向を出そうという場合も同じですね。
近年はTV等の影響も昔から長くありますし10のケースもあるので語彙の選択もランダムは
マズイです。


福寿草の七福神について 追加2

2022-12-21 11:04:15 | うんちく・小ネタ
福寿草の「七福神」という品種に奇妙なコメントがつくことが多いようです。

いわく:
 古い品種解説文には七輪(花)回り咲く

さて、品種解説文の実際は中村農園の故中村種次郎氏発行の「福寿草銘鑑」
(昭和初期に発行)とその後の「検証」という表で、「七福神」の解説文に

 黄金色二重七花固まり開く奇品

とあります。今の花は、二重(フタエ)は合っていますが、平凡な花のようです。
 追記2:一般に、二重はニジュウと読み、ガクが花弁のように大きく上の花弁と
     合わせてニジュウの花に見える花を指すようです。フクジュソウに多い
     咲き方は一重よりその上の重ね咲きで、外弁の花弁の隙間を内弁が
     埋めるような咲き方で別の見方ではフタエと言いたくなるものです。

江戸時代の銘品集(89ページ)のコピーが平成福寿草の会15周年記念誌
福寿草写真集の8ページ下に載っています。
~同ページの上は、江戸時代幕末の「本草要正 巻4」です。
 原書もネットで参照できます。
~残念ながら、銘品集の原本には未だ辿れていません。

さて、その銘品集に「七福神」の項目があり、七福神のメンバー7人の夫々に
見立てた7品種の福寿草が並んでいます。

つまり、江戸時代の七福神は一つの品種ではなかったのです。
七つ揃えて咲かせるから七花固まり開くことが可能だったのです。

どこかで口伝の誤りが発生し、そのまま収集家の中村氏に伝わってしまった
ことに原因があったようです。

さて、江戸時代の「七福神」の構成員と(福寿草品種)は次の様です。

大黒天(榊原万福咲)  絶品(別名の八重咲品種で現存するかも)
夷三郎(絞石竹咲)   絶品(絞りの撫子が存在しない)~恵比寿天じゃなかったのね
            追記2:絞りの福寿草も出現するそうですが、お金を取って良い
                商品にはできていないようです。数年に1花とか1株に
                1花という出来のようです。
福禄寿(三段咲)    いまある三段咲とは品種が違うらしい
            福禄寿の名前でより大輪の「福寿海」みたいなのがある
             追記1:ただし銘鑑には記載されていない
毘沙門天(魚子咲)   魚々子 のことなら現存。
            追記1:銘鑑では「魚之子」としています。
                平成福寿草の会は「魚々子」を使っている
            追記2:魚子はどの花でもナナコと読むそうです。々や子を入れて
                ナナコとするのは誤用のようですが品種名なら許容範囲かも。
                魚子咲の定義は花弁が小さくオシベ、メシベが目立つ花の
                咲き方を言うようです。すごくザックリな定義です。
                福寿草の魚々子は、オシベより短く細い花弁ですからピッタリ。
                 七々子(ナナコ)は花弁がないかあってもより小さい。
                菊やバラの魚子の写真を見ると、魚子の定義を疑ってしまいます。
                花が結構大きいよ。オシベ、メシベは目立ってないよと。
                いずれにしても面白いだけの品種かと。
            追記1:毘沙門天の名前で黄花大輪(8~9cm)があるようです
                もちろん銘鑑に記載されているはずもない。近年の品種です。
布袋和尚(青梅青茎)  青梅草はいろいろ現存しているがこれは絶品かも
弁財天(浅黄白)    両方の名と弁天の名でも通用し現存
            追記2:浅黄白の品種名から白花系に属しますが、実生可能なせいも
                あるのか断定できないほどの違いが出ているようです。
寿老人(長島)     寿の名もあるらしいが平成福寿草の会が絶品と判断
            追記1:「寿」の名で通用していたのは「小菊」、「連雀」
                「高遠桜」の別の品種だった

となっています。
現在の七福神は、どれでもないようです。残念ですけど。

追記1:福寿草の名前で登録されたことがあるのは2つだけです。
    他は誰も管理していない名前なので付け放題とも言えます。

イザナミ神のこと

2022-10-20 08:38:25 | うんちく・小ネタ
アニメのノラガミを見て改めて思ったことです。
 ~「ノラガミ」は、あだちとか原作、2011年あたりから月刊少年マガジンに連載し
  2022年現在も連載中です。全作マンガで読んでいます。
  コミックは25巻、マンガ掲載は第102ー2話が最新となっています。
  作中年月は数年ですがちゃんと経過しています。

さて、
記紀の記述通り、冥土の支配者はイザナミとなっています。
~イザナミ以外の死者の霊は、人格も記憶も何も無いイザナミに命じられるまま動く
 有象無象とされています。
 そして、生者・死者ともに冥界を逃れることは無いか困難とされています。

ここで、この様子が、一般の神道と違うことがわかります。
神道は我が家の理解ですが
   ~我が家の宗派は不明です。婿入りした曾祖父が神道で、曾祖父が祭った書き
    付けが神棚の神社から出てきました。これも婿入りの祖父が樺太に渡った時に
    仏教に変えたけど水子が出過ぎて神道に戻ったそうです。
    ~ただし、祖父が祭った者達の書き付けは残っていない。
 1:死んで50日経過で神になる。
   ~仏教は49日で仏になる。
    日数が違うように見えるが起算日が違うだけで同じ日になるそうだ。
 2:お盆の時期には、墓を経由して家に設けられた祭壇に一時帰ってくる。
   ~これ完全に仏教の影響ですね。
 3:いずれは、氏神様などに融合するから先祖と家族は一纏めで良い。
   ~名前生没年月日没年齢を書いた板をまとめて収納したものを祭る。
    個人書きで良いらしい。位牌は葬式用の粗末な物だけで不要らしい。
    ~兄は家を出て別に構えたので、そちらでは兄だけを位牌で祭っている。
   ~仏教は33年か50年で祭り上げをして終了らしい。
 4:神道に地獄は無い。

明治天皇は神様扱いになっていますから、今の天皇家が祭る神道は、記紀とは
違うようです。
伝承と、記紀成立時には、かなり乖離していたけど、そのまま書いたというところ
でしょうか。

おまけ:
 ノラガミでは、恵比寿は力業で冥土から脱出します。
 毘沙門と夜トは、裏技で脱出します。
 ~死者の野良は刀になったままで置き去りにされるのですがじきに脱出してきます。
  ~これご都合主義かな。
  術者は人間で、死後、記憶と能力を保ったまま別人に転生してくるのですが、この方法は
  最近になって解明されます。手段そのものは、毘沙門と夜トが脱出する方法と同じなの
  ですが、毘沙門と夜トは生者のまま生還し、術者は死者のためか実在の若い男に元の知識と
  能力を上書きする形で転生するという違いがあります。
   ~野良は死者なので同じ手段での脱出なら転生が当然となりそうですが、
    それでは、野良の使い道が・・・と考えた?

大岡忠相の女性はいつまで性欲があるの話について 改2

2022-10-08 20:57:41 | うんちく・小ネタ
表題の件、母親は黙って火鉢の灰をかき混ぜて解を示したとされています。

ただし、当時の江戸時代は、土葬しかしない時代のはず。

 追記:飛鳥時代に天皇は火葬することになって古墳を作らなくなったのだという
    田中英道氏の記事を見つけました。火葬が一般化したような記事でした。
    当時の火葬には木材を使ったはずです。かなり昔の映像ニュースで、
    山で遭難した人の火葬場面がありました。畳ほどの面積でほぼ目の高さに
    まで積み上げた木材の上に載せて燃やしているものでした。
    ~父親から火葬の話を聞いたことがあります。木材が少ないと燃やしきれず、
     マサカリで切り刻んでから焼き直したこともあったそうです。
     ~食肉が食えなくなったのは、この話のせいと思います。
     ~映画火垂るの墓で妹をドラムカンで火葬にするシーンが出てきますが、
      実際には燃やしきれないと思いました。
    木材は日々の家事や寒季の暖房に必須です。農具、武器用の製鉄のためにも
    必須です。森林資源の多い土地としてわざわざ飛鳥を攻め取ったのです。
    平民にまで火葬を許すなんて絶対にあり得ないでしょう。
    ~石炭の日本での発見は1469年。17世紀末でも一部地域で自家消費のレベル
     でしかなかったようです。
  追記2:人が焼けるときに発する臭気は、不快の一言です。
      秋田県のある中学校の校舎が焼き場より高い土地に作られてしまっていて
      南向きの風の日に焼き場が使われていると、すさまじい臭気と色付きの空気
      (色については記憶から飛んでいます)が学校全体を覆ってしまうのでした。
      あの臭いを考えれば山の上に火葬場を作るの一択です。現在の火葬場も
      これより上には誰も住んでいないという山の中腹に作られているのが多いです。
      現在の火葬場の煙突から出るものは、ほぼ無臭化・無色化されています。
      山から遠い土地での火葬場は徒歩か牛車しかない時代では無理があります。
      ~たとえ木材が豊富でもです。

灰になるまでという成句が成立していたはずがないのです。
当時の成句ならば、「骨になるまで」が正しいはずです。

火葬が当たり前になる昭和も後期か、平成になってからの
成立でもおかしくないでしょう。

平成でも、死ぬまでと言う意味で、「骨になるまで」と言うのが
当たり前だったはずです。

おまけ:
ヨーロッパなどの棺桶で保存し、完全に骨になってから
棺桶から取り出し砕いてばら撒き、棺桶を空けて次に備える風習の
地域なら、「灰になるまで」の成句が成立しても良さそうですが、
灰になる前に骨になるまでの時期が永いですから、これも無理そうです。
 ~昔一時を賑わした「キリストの棺」がそれに該当します。
  棺は見つかったけど、骨の痕跡しか残っていなかったようで、
  使い回しされないままに埋もれていたようです。

おまけのおまけ
 ~天皇と皇后は、縄文時代から続く陵を作って土葬する習わしでした。
  平成天皇と皇后は火葬を求めたと漏れ聞きますが、陵を作ることは
  決定事項でしょう。
  ともかく、天皇に関しましては、「灰になるまで」の言い方は
  存在したことはなかったのです。

さらに
 我が家の風習では、神道であり、全員は、「お墓の土に着いていくよ」
 というのがあります。
 で、土佐から樺太出立でも、我が家一族および婿入りした曾祖父一族の
 お墓の土を壺に入れて向かったのです。
 ~曾祖父一族は婿入り前に婿殿を残して絶えたようです。
 樺太引き上げでさらに墓の土を加え、北海道のどこかで末姉の墓土を加え
 たはずです。
  引き上げ船に乗る前での死亡で、死亡を隠したまま北海道に渡り、
  その後どこかに埋葬したはずですが、聞けば母は泣くし、父の話は長すぎて
  まともには聞けないまま終わりました。
  樺太で死んだ長姉次兄2人と引上げ中に死んだ次姉の死亡証明として、
  夕張市で火葬証明を作ったようです。
  火葬許可証ですからお墓の場所は書かれていませんし、保存年限を過ぎたので
  原本は存在しません。
  ~これ、本籍は作れないからと、代わりに作った物のようです。
  ~戸籍を作った場合、その時の生存者しか書かれないのです。
   つまり、どれだけ戸籍謄本を収集しても、私の、長姉、次兄、次姉が書かれた
   書類は、出てこないのです。これが私が相続を全て終えて死なないと、相続が
   面倒になる理由でもあります。これ、ソ連が日本が役場に残した書類を全て焼き
   捨てたからでもあります。というか、日本の残した全てを消し去ったというのが
   正しいのでしょう。樺太では、丘も山も何もかも均しまくった結果、肥料に
   乏しい下層の土を表土にしてしまった結果、残念な土地にしてしまったのです。
   ~樺太時代の話を聞いていた限り、豊かな時代だったようです。一家全員が農業
    だけで生計できたのです。しかも誰がいつどれだけ来ようが食事させられる
    環境を維持できたようです。これ、現在地でも、母が健在な間は維持できたよう
    です。これって、いつでも、ご飯は数人分はあるよってことで、おかずはすぐ
    作れる状況にあり、漬物などは常備ということです。
    ~私は、この状況は放棄です。
     これ、別の目線では、冷や飯ならいつでもあるよというか、常に冷や飯を
     片付けることから始めなければいけないってことで、暖かいご飯はまず
     食べられないということなのです。

 秋田県八幡平で祖父の墓土を加え秋田県矢島町で祖母の墓土を加えて、
 今の墓の中に壺ごと収まっています。今後誰かが墓を移す場合、その壺に今の墓土を
 加えて移動することになります。
  ~壺に骨は入れません。
   分骨には、役所の許可を貰う必要もあります。
   兄の娘が、他界した夫の墓を作り、兄(娘からは父)の骨を分骨しました。

 今の墓には土を納めた壺の他に、父、長兄、母、弟(四男)の骨壺が収っています。