風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

空の色

2005年03月17日 | スピリチュアル
中学、高校のときに学校をサボっては自転車で海を見に行っていました。
町を抜け、田んぼを抜けると松の防砂林が見えてきて、江戸時代に掘られた
運河を渡す橋を過ぎると、太平洋が広がっていました。

夏の終わりから秋にかけての夕ぐれの海は言葉になりません。
空の色がピンクから紫に、そしてグレーから紺色へと刻々と変わっていきます。
その風景が消えてなくなるのが惜しくてたまらなくなり、記憶にとどめようとするのですが
うまくいきません。
これほどの光景が記憶の中で再現できないというのはもどかしくて溜まりません。

画家や作家というのはこういう感動を記憶に刻印できる能力があるのでしょう。
日も暮れて、家に帰り着くころには綺麗だったという感動の余韻はあるのですが、
風景の細部はことごとく思い出せなくなってしまってます。
分かりやすい性格設定をされたアニメやTVドラマに慣れた感性では自然のダイナミズムを
そのまま受け止めるだけの素直さがなくなってしまっているのでしょう。
悪玉善玉に色分けされない空の色彩の乱舞。

そういえば、性格的に、細部にこだわって観察するということが苦手です。
誰が何を着ていただとか、どんな言葉を言っただとか、片っ端から忘れます。
印象だけを残します。
それで今まで不便はありませんでしたが、探偵小説も書けませんし、風景画も描けません。
日記も書くことがなくなります。
今日だれだれと会った。乱暴な人だった。もうそれ以上書くことがないからです。

はかない印象だけを心に、ふらふらと歩いていくより仕方ありません。
ま、それでも楽しいといえば楽しいんですけどね。
何も残っていかない不安があるのかもしれません。
意味のない不安ですね。
意味のある不安ってあるのかと聞かれたら、返答に詰まります。
意味の不在を不安というのか。
無意味への恐怖を不安というのか。

で、空を見る。
どこにも不安がありようがなく、雲が流れていきます。




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