先週の木曜日からバーチャル株式投資をしています。
1000万円の資金を投資して、資産の増減をバーチャルで楽しむインターネット上のゲームです。
株価は実際の株価とリアルに連動しています。
まだ実質3日間の取引ですが、現在の資産総額は10,078,265円です。
つまり、78,265円儲けています。
1万6千人ほどの参加者の中で、8千番位のランクに入りました。
わずか数万円の資産の増加で上位50%の中に入ってしまうのですから、殆どの人が損しているのでしょう。
世界的に資金の流れが滞っているようです。
健全な生産活動に健全な資金が流れていません。
もちろん市井の人々の話ではありません。
資本主義が1980年代ころからアメリカを尖兵として新たな段階に入ったようです。
金が金を生む仕組みがインターネットをツールとして容易になってきました。
ライブドアがその典型ですね。
嫌な世の中ですが、この流れは何らかの大きな破綻があるまでは続くでしょう。
世の中に不公平感が広がっていくでしょう。
お金のあるなしだけの話ではなく、教育的不均衡、地域的不均衡、機会的不均衡が拡大していきそうです。
お金というものに対しては常に距離感を感じていました。
どううまく受け入れていいものか、分かった試しがありません。
必要だから、稼ぐ。
こういうお金に対してポジティヴでない人間はお金持ちにはなれません。
じゃあ、お金持ちになりたいのか。
なかなか難しい問題です。
お金で苦労はしたくはないが、お金で振り回されるのはもっと嫌だ。
そんなところです。
頭が悪く、スケールが小さいですね。
先回りして、とっととお金を作ってしまえば、こんな愚痴をたらたら言う必要はないわけです。
お金の難しさは、立派に生きればお金がついてくるわけでもなく、
追いかければ追いつくわけでもなく、逃げたら悲惨になるだけです。
どうしろというのか?
ここで僕はお手上げです。
で、成功した人の話に耳を傾けるわけです。
斉藤一人さんは「仕事は成功するための舞台」と言ってます。
納税額日本一の人なんですが、そういう人もお金を追っているのではなく、「仕事」を追っているのですね。
八木宏之さんという人は「円はすなわち縁。お金は縁をつなぐ道具だ」と言ってます。
結局は、自分とかかわる人間関係を豊かにした人に、お金がついて来るということなんだろうと思います。
お金だけに目を向けている人は、もっとも肝要な人間関係をすっ飛ばして、果実だけに目を向けているのですね。
水をやって、肥料を根元にあげて、枯れた葉を刈ってやってという面倒くさいことだけれども欠かせない作業を
すっ飛ばしてしまっているわけです。
作物を好んで育てている人になぜと聞ききますと、「楽しいから」と言いますね。
その一見めんどくさい作業の一つ一つが、「そのまま成長に現れるから、楽しい」と言います。
難しい教訓では決してないのですが、なんだか実行が難しい教訓になってしまってます。
それほど、現代人の意識は手間を省くことに集中しています。
とくに人間関係の煩わしさから目を背けがちです。
考えてみると、仕事にせよ、人間関係にせよ細々とした手間そのものが人生の一瞬一瞬なわけですね。
一つ一つの些細な手間をかけなければ、人間は何をし、何を考えるというのか。
ブロイラーのごとく、温度調節されたゲージに押し込められて、何もせずとも、餌を貰って死にたいと言うのか。
お金だけに執着すると言うのは、そんなブロイラー化の道を自ら歩き始めていると言ったら、言い過ぎですか?
言いすぎですね(笑)
最後に、斉藤一人さんの詩です。
花があり
水があり
歌がある
私はまた
天国に生まれた
1000万円の資金を投資して、資産の増減をバーチャルで楽しむインターネット上のゲームです。
株価は実際の株価とリアルに連動しています。
まだ実質3日間の取引ですが、現在の資産総額は10,078,265円です。
つまり、78,265円儲けています。
1万6千人ほどの参加者の中で、8千番位のランクに入りました。
わずか数万円の資産の増加で上位50%の中に入ってしまうのですから、殆どの人が損しているのでしょう。
世界的に資金の流れが滞っているようです。
健全な生産活動に健全な資金が流れていません。
もちろん市井の人々の話ではありません。
資本主義が1980年代ころからアメリカを尖兵として新たな段階に入ったようです。
金が金を生む仕組みがインターネットをツールとして容易になってきました。
ライブドアがその典型ですね。
嫌な世の中ですが、この流れは何らかの大きな破綻があるまでは続くでしょう。
世の中に不公平感が広がっていくでしょう。
お金のあるなしだけの話ではなく、教育的不均衡、地域的不均衡、機会的不均衡が拡大していきそうです。
お金というものに対しては常に距離感を感じていました。
どううまく受け入れていいものか、分かった試しがありません。
必要だから、稼ぐ。
こういうお金に対してポジティヴでない人間はお金持ちにはなれません。
じゃあ、お金持ちになりたいのか。
なかなか難しい問題です。
お金で苦労はしたくはないが、お金で振り回されるのはもっと嫌だ。
そんなところです。
頭が悪く、スケールが小さいですね。
先回りして、とっととお金を作ってしまえば、こんな愚痴をたらたら言う必要はないわけです。
お金の難しさは、立派に生きればお金がついてくるわけでもなく、
追いかければ追いつくわけでもなく、逃げたら悲惨になるだけです。
どうしろというのか?
ここで僕はお手上げです。
で、成功した人の話に耳を傾けるわけです。
斉藤一人さんは「仕事は成功するための舞台」と言ってます。
納税額日本一の人なんですが、そういう人もお金を追っているのではなく、「仕事」を追っているのですね。
八木宏之さんという人は「円はすなわち縁。お金は縁をつなぐ道具だ」と言ってます。
結局は、自分とかかわる人間関係を豊かにした人に、お金がついて来るということなんだろうと思います。
お金だけに目を向けている人は、もっとも肝要な人間関係をすっ飛ばして、果実だけに目を向けているのですね。
水をやって、肥料を根元にあげて、枯れた葉を刈ってやってという面倒くさいことだけれども欠かせない作業を
すっ飛ばしてしまっているわけです。
作物を好んで育てている人になぜと聞ききますと、「楽しいから」と言いますね。
その一見めんどくさい作業の一つ一つが、「そのまま成長に現れるから、楽しい」と言います。
難しい教訓では決してないのですが、なんだか実行が難しい教訓になってしまってます。
それほど、現代人の意識は手間を省くことに集中しています。
とくに人間関係の煩わしさから目を背けがちです。
考えてみると、仕事にせよ、人間関係にせよ細々とした手間そのものが人生の一瞬一瞬なわけですね。
一つ一つの些細な手間をかけなければ、人間は何をし、何を考えるというのか。
ブロイラーのごとく、温度調節されたゲージに押し込められて、何もせずとも、餌を貰って死にたいと言うのか。
お金だけに執着すると言うのは、そんなブロイラー化の道を自ら歩き始めていると言ったら、言い過ぎですか?
言いすぎですね(笑)
最後に、斉藤一人さんの詩です。
花があり
水があり
歌がある
私はまた
天国に生まれた