風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

繋がり

2007年02月16日 | スピリチュアル
明日から淡路巡礼なので、禊するつもりで滝に行きました。
4~5ヶ月ぶりくらいで行くお滝です。
話になりませんでした。
水が冷たいので足が痛くて、痛くて。
それでも挫けず、滝に入っては出、出ては入って・・・。
情けない様でした。
ぼくより前に来ていた滝仲間の70を越えたおばあちゃんが堂々と入っているのに、ぼくときたら・・・。
体が慣れるだろうと粘って滝の水しぶきを受けていたのですが、最後まですっきりは入れませんでした。
最後はヤケクソ気味で、六根清浄を唱えながら、滝の真下に入りましたが最後まで辛かったです。

かつてない暖冬とはいえ、二月の滝は甘くありませんでした。
もちろん甘く見ていたわけではないのですが、どこかに大丈夫だろうみたいな慢心があったのでしょう。
滝を始めた頃の緊張感を失っていたのかもしれません。
なんか滝場を守る仏様たちに大変な失礼をしているような気になりました。
滝を出てから、仏様たちに深く頭を下げて滝場を去りました。
六根清浄どころか、軽く滝に跳ね返された感じです。
猛省です。

午後からはお客さんを連れてヒーラーのSさんを尋ねました。
いろいろなことが、いろいろなところで繋がりあい、合点が積み重なっていくのがとても面白かったです。
個人的な事柄なのでお話できませんが。

ぼくの中ではいろいろな出来事やら出会いやらなんやらかんやらが、かなり有機的に一つの方向へ繋がってきています。
一つ一つの意味に囚われず、自分を空っぽにして、流れに乗ることが大事かと思っています。
どういう繋がりなのかというのは、なかなか言葉にするのが難しいです。

世の「立て直し」があるのなら当然自分の「立て直し」が不可避になります。
というより、世の「立て直し」の前に、一人一人の「立て直し」が不可欠になります。
誰かがどこかで「立て直し」をしたって、一人一人が「ふ~ん」と感心していればよいという話でもありませんし。
とりあえず、人(他人)がどう思うかが重要ではないのは確かです。
ぼくが決められるのは、ぼくの意志だけです。
その当たり前のところに、常に戻っている必要があります。

あまりにも話が抽象的過ぎますね。

とにかく、明日からの淡路巡礼は楽しみです。
淡路島というのは行ったことがありませんし、行くことになるとも思ったことのないところです。
そんなことを言ったら、現在九州に住んでいるということさえもそうなんですが。

自分を空っぽにして、聖地を訪れてきたいと思っています。


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