マンションに帰りつき、ソファに座った。リサイクルストアで買ったいい感じに擦り切れた焦げ茶色の革張りのソファだ。
飲み足りない感じがして、九州に出張に行った旧い友人に送ってもらった薩摩の焼酎の封を切り、グラスに注いで氷を浮かべた。
電車の中でも、駅を降りてマンションに帰る道すがらでも、彼女の不可解な行動をいくら考えても答えは見つからなかった。
この世は腹が減ったら飯を食うだけではすまないのだ。たぶん。
彼女の携帯電話に電話してみようとも思ったが無駄な気がしてやめた。
彼女と知り合ったのは10数年前だ。
学生時代の友人から子供が生まれたという連絡があり、そのお祝いに彼の新居に向かった。
新居は東京の西の端のベットタウンの新築だった。玄関を入るなり、新築の建物特有の匂いがした。
誇らしげな笑みを浮かべる友人に招かれ、広めのリビングルームに招かれると、その場に彼女がいた。
友人の奥さんの手料理を手際よくテーブルに並べていた。
友人の奥さんの高校時代の親友だと友人の奥さんから紹介された。
「はじめまして、植村里美と申します」
「田中健一です、はじめまして」
ヨガの講師でもしていさそうな、浅黒く引き締まった身体をしていた。
彼女は長い髪を紺色の輪ゴムで後ろに束ね、水色の綿のTシャツとモスグリーンのインド綿らしきスカートをはいていた。
「こいつはシベリアのツンドラ地帯をテントを持って放浪したいんだと。昔からそう言っていた」とぼくの友人は言った。
里美は曖昧に笑った。おそらくなんて返答したらいいのかがわからなかったのだろう。
ぼくもなんて返したらいいのかわからなかった。
それからみんなで赤ん坊を見に行った。
日当たりのよい奥の部屋で赤ん坊は眠っていた。
両手両足を大の字に開き、リンゴみたいな小さな顔を横に向けていた。
里美はベビーベッドに駆け寄り、赤ん坊の顔に自分の顔をこすり付けんばかりに近づけ、よしよしよしと言った。
「このままうまく寝ていてくれるかしら」と友人の奥さんが言った。
「どうかな」と友人が言った。
「泣いたらわたしにまかせて」と里美が言った。
ぼくはなにも言えず、ぎこちなく笑った。
。
それから、里美とは電話番号の交換もし、友人夫婦の家に何度か一緒に訪れ、都心で二人きりで食事もし、映画を見にも行った。
そのころの彼女はファミリーレストランのアルバイトをしながら、日本語講師の資格を取るべく勉強をしていた。
海外の人に日本文化のよさを伝えたいと彼女は真剣だった。
彼女にさっぱりとした性格と、機転の利く頭の良さは好きだったが、どういうわけか女性としてみることができなかった。
二人で酒をしこたま飲んで、あれやこれやでぐだぐだ討論を重ねることが楽しかった。
お互いに身の上話はしなかった。大体の経歴くらいは知っていたが、それ以上は興味はなかった。
一度だけ二人とも泥酔したとき、彼女がぼくの部屋に泊まった。
さらに缶ビールを何缶か空け、あーでもないこーでもないをへらへら話した。
そのまま眠りについたのだが、朝起きたときに二人に妙にぎこちない雰囲気が漂った。
ぼくは少し寂しい気がした。
里美は無言でアルバイトに出て行った。
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