風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

やさしい気持ち

2005年09月20日 | 雑感
昨日、A氏の納屋の軒先で燻製器を組み立てました。
蓋が本体とぴたりと合わず、中途半端に隙間があります。
これでは煙が外に流れ出てしまいます。
これだから、アメリカ発注の中国産はと、A氏とぶつぶつ悪口言いたい放題でした。
これは燻製器としてよりは、バーベキュー向きに作られているのではなかろうかというわけで、
急遽、材料を買い出しに行って、バーベキューをしました(笑)

竹炭で焼いたバーベキューは思いのほか旨かったです。
なんというか、上品にしっかり焼けます。
肉も野菜もすべて食べ切りました。
普通ですと、ぼくの場合、こういうシチュエーションでは二三切れ食べると、もうたくさんという感じになるのですが。

A氏の田舎はご多分に漏れず、過疎地です。
瓦屋根の大きな屋敷があちこちにあるのですが、おばあさん一人で住んでいるケースが多々あります。
旦那に死なれ、子供たちも村を出て行き、村はしーんとしております。
森や川で遊ぶ子供たちの姿はありません。
朝も、昼も、夜も、しーんとしています。
我が農漁村再生プログラムはなんとしても前に進行させねばならぬゆえんです。
最初の燻製プロジェクトは早くも頓挫しかかっていますが(笑)
こういう場合、すぐへこたれるのがぼくの専売特許なのですが、今回は諦めません。
おいしい牡蠣の燻製を作ります!←見よ、この決意表明←ばか

明朝、人を滝に入れますので、今日は酒・肉抜きです。
昨日飲みすぎたので、ちょうどいいです。
なんか、いろいろなことが起きます。
そのいろいろを語りだすとキリがないのですが、みな何かのメッセージではあろうかと思います。
傲慢、鈍感に見逃し続けてはいけません。

「小さい頃は神さまがいて
 不思議に夢をかなえてくれた
 やさしい気持で目覚めた朝は
 おとなになっても 奇跡はおこるよ」 荒井由美

ちょっと引用するのが恥ずかしい気もしますが、そういう気持ちを持てた人が幸せ者なんでしょう←書いてて恥ずかしい
優しい気持ちで目覚めたことなど、記憶にありません。
どろんと濁った目をシブシブ開けて、タバコをふかします。
あははは←無意味な笑い

肺に陰のあるお客さんが今日もやって着ました。
手当てをします。
だいぶ反応が小さくなりました。
油断が出来ませんので、精密検査の前に、影が消えてしまえばいいと思います。
大丈夫だったら、ダイヤのブローチを買うと言ってくれました(笑)

笑ってばかりいる場合ではないのかもしれませんが、深刻ぶっても事態は改善しないのはさんざん経験してきました。
仏教をちょっと勉強しますと、深刻なことなど何もないのだと思われてきます。
生きるもよし、死ぬもよし。
禍福はあざなえる縄の如し。
禍福の波間にもまれながらも、心の底に「優しい気持ち(慈悲)」が、とうとうと流れているようだと本物なのでしょう。