風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

2005年09月10日 | スピリチュアル
今朝は滝行。
いつの間にか、若いメンバーが増え、活気があります。
さて、何人が冬を越すのでしょうか(笑)

いろいろありますね。
ある女性メンバーが抱えていた家庭内の問題を解決する糸口が見えてきたようです。
彼女の話を聞くと、滝に入ってから急速に物事が展開したようにしか思えません。
彼女の滝に入る姿勢も真摯ですし、その真摯さが天に通じたのだとぼくは思うわけなんですが。
詳しい話は、省きます。
こういうことは、分かる人が分かればいいんです←傲慢

このブログにもたびたび登場するQちゃんの21日間の行も明けました。
21日間など短すぎる、今度は100日間だという意気込みが、その言動にありありと表れています(笑)
これはもう抜けられないでしょう←なにから?(笑)

経験すれば分かると思いますが、「行」というのは不思議です。
その日数の長さに関わらず、何かひとつのテーマをクリアするための起承転結がちゃんとあるかのようです。
その期間中は、惰性で、ただなんとなく滝に行くということが、一日たりともありません。
いろんな出来事が、いろんな感情が、いろんな思考が、ひとつの段階に向かって、日替わりで次々と起きます。
体は疲れますが、精神は活力にあふれ、しかも透明になっていきます。

で、「行」をすれば、それでは何か日常がするすると上手くいくのか、ということになります。
問題は日常に戻ってからも、山のようにごろごろ転がっています。
ただ、その山のような問題に対して、いちいち過剰反応しなくなります。
大抵の悩みというのは、その本人の過剰反応の連鎖から来ています。
問題は問題としてただ見る。
きちんと見極めた問題を、正当な手段と、正当な態度で、ただ片付けていく。

例えば、しょっちゅうぼくが悩む問題があります。
それは、支払うべきお金が途端に枯渇することです。
銀行にも、仕入先にも、いろいろな経費も、次々と支払うべき責務がやってきます。
支払うべきお金がなければ、当然あれこれ悩みます。
悩む回路に陥りますと、次々と不安になります。
なんせ、何かが売れなければ、入ってくるお金の予定というのは全くないのです。
で、将来何かが売れるかどうか、まったく分からないのです。
悩んでいるうちに、瞬く間に時間が過ぎます。
支払期日が来ます。
そして、前途が真っ暗になり、首を吊るのです。

他人から観察すれば、この悩みというのは、まったく無駄無益な営みです。
悩むのではなく、出来ることを淡々と実直に片付けていくしかありません。
まず、支払いを延ばしてもらう交渉をする。
それから、外に売りに出る。
ここで、外に出たって、売れるかどうか分からないなどと、たわごとを言ってはいけません。
売れるまで、外に出るだけです。
やらなければならないことを、ただ、する。
それだけなのですが、悩みだすと、途端に決断と行動が完全に麻痺します。

こう書きながら、これはぼく自身に言っている言葉なのだと気がつくわけなんですが(笑)
とにかく、かくさように、悩むというのは無駄なんですね。
本人は大変だ、大変だと騒ぎますが、物事を大変にしているのは、その本人です。
ただ、すべきことを、ただ、心を込めて、しかもその心に囚われずやり遂げていくという人が、人生の達人なのでしょう。

「行」というのは、そういうことを気づかせます。
というか、無駄の思考回路をめぐらすことなく「行」に取り組むと、そういうことに気がつくというか、なんというか。

で、気がついているのか?>おれ