ローマは紀元前7世紀の中頃にラテン人とサビニ人が町を築いて以来、2600年以上の歴史を持ちます。
ローマ帝国の都として栄えた『永遠の都ローマ』には、ローマ帝国の中枢フォロ・ロマーノ、アウグストゥス霊廟、円形闘技場コロッセオ、神殿パンテオン、トラヤヌス帝記念柱、コンスタンティヌス帝凱旋門など、数多くの古代の遺構が残り、ローマ帝国の栄華を今日に伝えています。
そのなかでも、コロッセオが規模からも中心的な遺構でしょう。
周囲527メートル、高さ48.5メートルの円形闘技場コロッセオは5万人を収容することができたそうです。
古代ローマ帝国の皇帝、ウェスパシアヌス帝(9~79年)が建てさせたもので、西暦80年に完成し、正式名称は『フラウィウス朝の円形闘技場』といいます。
付近にネロ帝(37~68年)の巨像、コロススがあったことに由来して、コロッセオと呼ばれるようになり、英語で競技場を意味するコロシアムの語源ともなりました。
ローマ皇帝は市民に娯楽を与えることで、治世の安寧を図ろうとしました。
コロッセオの観客席は身分によって分けられていました。一階席は元老院と議員、二階席は騎士、その上が市民、最上階は市民権を持たない人のものでした。これは、人々に身分制度を意識させて帝国の秩序を保つ、皇帝の巧みな統治術でした。
コロッセオの廊下のようです。
各階に並ぶアーチはそれぞれ異なった様式で、1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式となっています。
内部の廊下部分はこうなっています。
それでは中に入ってみます。
続く.........................................................................。
ローマ帝国の都として栄えた『永遠の都ローマ』には、ローマ帝国の中枢フォロ・ロマーノ、アウグストゥス霊廟、円形闘技場コロッセオ、神殿パンテオン、トラヤヌス帝記念柱、コンスタンティヌス帝凱旋門など、数多くの古代の遺構が残り、ローマ帝国の栄華を今日に伝えています。
そのなかでも、コロッセオが規模からも中心的な遺構でしょう。
周囲527メートル、高さ48.5メートルの円形闘技場コロッセオは5万人を収容することができたそうです。
古代ローマ帝国の皇帝、ウェスパシアヌス帝(9~79年)が建てさせたもので、西暦80年に完成し、正式名称は『フラウィウス朝の円形闘技場』といいます。
付近にネロ帝(37~68年)の巨像、コロススがあったことに由来して、コロッセオと呼ばれるようになり、英語で競技場を意味するコロシアムの語源ともなりました。
ローマ皇帝は市民に娯楽を与えることで、治世の安寧を図ろうとしました。
コロッセオの観客席は身分によって分けられていました。一階席は元老院と議員、二階席は騎士、その上が市民、最上階は市民権を持たない人のものでした。これは、人々に身分制度を意識させて帝国の秩序を保つ、皇帝の巧みな統治術でした。
コロッセオの廊下のようです。
各階に並ぶアーチはそれぞれ異なった様式で、1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式となっています。
内部の廊下部分はこうなっています。
それでは中に入ってみます。
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この規模って、凄いですね。
東京ドームで円形に使っても7万人程度らしいです。
レンガ造りのような感じですが、強度も凄いものですね。
現在のような鉄筋構造でなく、レンガの積み重ねで強度が保たれる設計なんでしょうが、2000年の風雪に耐えて現存しているというのは、奇跡とも思える遺構です。
ローマのコロッセオ凄い造りなんですね。
アレクリパパさんも書いていますが
5万人って凄い数ですね。
それだけ盛り上がっていたのでしょうね。
当時 これほど大きく立派なものが出来たのは
凄いことですね。皇帝の考えや行動もスゴイです。
今の日本のリーダーにもこんな人が欲しい気がします。